目次
要旨. 3
中文摘要. 4
I、序論. 5
1.比喩の概説. 6
1.1比喩の定義. 6
1.2比喩の構造. 6
1.3比喩の種類. 6
2.比喩表現についての従来の研究. 6
3.研究の動機と目的. 8
Ⅱ、隠喩の視点から. 8
1.隠喩について. 9
2.隠喩の視点から中日における五感形容詞による比喩表現の分析. 9
2.1中日の五感形容詞. 9
2.1.1中日の視覚形容詞. 9
2.1.2中日の聴覚形容詞, . 11
2.1.3中日の嗅覚形容詞. 11
2.1.4中日の味覚形容詞. 12
2.1.5中日の触覚形容詞. 12
2.2中日の五感形容詞による隠喩表現の分類. 13
2.2.1感情の隠喩表現. 14
2.2.1.1中国の五感形容詞による感情の隠喩表現. 14
2.2.1.2日本の五感形容詞による感情の隠喩表現. 18
2.2.2状態の隠喩表現. 19
2.2.2.1中国の五感形容詞による状態の隠喩表現. 19
2.2.2.2日本の五感形容詞による状態の隠喩表現. 22
2.2.3性質の隠喩表現. 24
2.2.3.1中国の五感形容詞による性質の隠喩表現. 24
2.2.3.2日本の五感形容詞による性質の隠喩表現. 26
2.2.4その他の隠喩表現. 28
2.2.4.1中国語の隠喩表現. 28
2.2.4.2日本語の隠喩表現. 31
Ⅲ、比喩的転換の視点から. 33
1.比喩的転換について. 33
2.比喩的転換の視点から中日五感形容詞の比喩表現. 33
2.1中日の共感覚比喩の定義. 33
2.2共感覚比喩の体系. 34
2.2.1中国語の共感覚比喩的体系. 34
2.2.2日本語の共感覚比喩的体系. 35
2.3中日の共感覚比喩の用例と分析. 37
2.3.1中国の共感覚比喩の用例と分析. 37
2.3.2日本の共感覚比喩の用例と分析. 42
Ⅳ、結び. 49
1.まとめ. 49
2.今後の課題. 50
参考文献:. 51
关键词:比喻表现 五感形容词 隐喻 比喻转换
关于比喻已经有很多人从很多方面以很多的形式给予了研究。本稿把汉语和日语的五感形容词作为研究对象,来进行中日两言语比喻表现的对照研究。『广
辞苑』把感觉分成八种,但是,本论文把感觉形容词分为视觉,听觉,嗅觉,味觉,触觉这五种。到目前为止,有关五感形容词比喻表现的研究几乎都以五感觉间的比喻表现作为中心。而且,中日对照的研究也非常少。五感形容词的比喻表现不仅仅是五感觉间的比喻,也包含了五感觉和五感觉以外的人、事物、事的性质和状态等的比喻表现(通感)。因此,本稿以此为创新点,全面地考察了五感觉间的比喻表现和通感的比喻表现,使它们的特征更明显的呈现在我们面前。
本稿,关于中日两言语的比喻表现,从隐喻的视点和比喻转换的视点,通过对照研究,系统地分析了中日两言语比喻表现的各种用例,使两言语比喻表现的差异更加清晰、明确。
因此,本文结构如下:
第1部分,简单介绍有关比喻的定义,比喻的构造,比喻的条件等比喻的知识,确立了本文的研究目的、动机和崭新点。
第2部分,从隐喻的视点论述了五感觉形容词和五感觉范围以外的隐喻表
现。
第3部分,从比喻转换的视点论述了五感之间上产生的比喻表现也就是通感
的比喻表现。
最后介绍本文的总结和将来的课题。
本文只是从隐喻的视点和比喻转换的视点,对中日两言语比喻表现进行对照研究。但是笔者认为,要对此问题做彻底研究必须从更多的视角入手,这也是我今后应该努力的方向。
キーワード:比喩表現 五感形容詞 隠喩 比喩的転換
比喩表現に関する研究は、これまでにもいろいろな人の手で行われ、いろいろな方面からいろいろな形で取り上げられて、いろいろな論及がなされた。本稿では現代中国語と日本語の五感形容詞を研究対象として、中日両言語の比喩表現を進める。『広辞苑』では感覚を八つに分けているが、本稿では、感覚形容詞を視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五種類に分類する。今まで、五感形容詞に関する比喩表現の研究は殆ど五感覚間の比喩表現を中心とした。それに、中日対照の研究も非常に少ないのである。五感形容詞の比喩表現は五感覚間の比喩表現だけでなく、それ以外の人、もの、ことの性質や状態などを含めた五感形容詞の比喩表現もある。だから、本稿はこれを斬新さとして、全面的に五感覚と五感覚間の比喩表現乃至共感覚の比喩表現を考察し、それぞれの比喩表現の特徴も明らかにしたい。
本稿は、中日両言語における比喩表現について、隠喩の視点と比喩的転換の視点から、対照研究を通して、用例の特色を分析している。
本稿の構成は次の通りにしている。
まず、第1部分において、比喩の定義、比喩の構造、比喩の条件などの比喩に関する知識を簡単的に紹介して、本研究の研究目的や先行研究及び本論文の動機、斬新さを確定したのである。
次の第2部分では、隠喩の視点から中国語と日本語における五感覚形容詞から五感覚範囲外までの隠喩表現を論及した。
第3部分では、比喩的転換の視点から五感の間に生じる共感覚転用について考察した。
最後に、本稿の結びを紹介して今後の課題を提示した。
本稿はただ隠喩の視点と比喩的転換の視点から着手して、中日両言語における比喩表現の対照研究を進めた。しかし、対照研究を一層深めるために、もっと多角度の視点から考察する必要がある。
I、序論
1.比喩の概説
1.1 比喩の定義
『「比喩は言語の貴重な宝であり、智慧の火花である」。「人類の不断の創造力が、豊富な生命をもった巧みな比喩を生み出していく」』。簡単に言うと、比喩とは物事の説明に、類似したものを借りて表現することである。中国語と日本語の言い方を取り上げると、中国語では、「比喻就是打比方」、日本語では、「たとえることである、AをBと喩える」というふうに定義される。
1.2 比喩の構造
比喩の基本的な構造は、本義すなわち表現対象(たとえられるもの)と、喩義すなわち比喩対象(たとえるもの)と「まるで、たとえ、あたかも」などの説明語からなっている。勿論、そういった説明語を問わない場合もある。これは中国語の「本体(被比喻的事物)」「喻体( 作比喻的事物)」、「比喻词(比喻关系的标志性词语)」と同じである。
1.3 比喩の種類
中日の比喩表現は、ともに、基本的に「直喩(または明喩)」、「隠喩(または暗喩)」、「風諭」(中国語の借喩)にわけられている。勿論、日本語の比喩の種類は、「活喩、提喩、換喩」などなどがある。これは中国語の「借代、借喩」などと大体対応できる。
2.比喩表現についての従来の研究
比喩表現に関する研究は、これまでにもいろいろな人の手で行われ、いろいろな方面からいろいろな形で取り上げられて、いろいろな論及がなされた。一方、日本の言語学界では、文体論の立場から比喩を総合的に論じた『比喩表現の理論と分類』(中村明氏)と『比喩表現辞典』(中村明氏)の両書が目立つ。『比喩表現の理論と分類』の中で、比喩そのものを多角的に分析した理論的考察の部分と、文化作品に見られる比喩に例を形式によって分類した部分とに分かれ、詳しい文献リストが添えられている。理論編にはかなり詳細論及があり、分類の方も新しい原理に従った体系化されている。主に、比喩表現の形態面が扱われているのである。つまり、どんな要素がどう結びついて比喩表現を構成するかという観点で行った分類である。中村明氏は『比喩表現辞典』の中で、比喩表現の基本的な性格――比喩の目的、方法、機構、条件、本質の分析などの面から、いろいろ言及した。分類には主に、比喩表現の内容面に触れている。この点では『比喩表現の理論と分類』と違うと考えられる。ほかに、この本の用例は主に一般向けの楽しい本を目指し、わかりやすくして面白い用例を選んで収録したものである。また、山梨正明氏の『比喩と理解』は比喩の研究において非常に有名である。この本では、比喩にかかわるさまざまな側面を、言語学と関連分野の知見を踏まえながら考察していく。特に、言語学の観点から、実証的にできるかぎり広い範囲の比喩現象の体系的な技術をまざした。したがって、いわゆる典型的な直喩や隠喩にかかわる現象だけでなく、換喩、提喩、慣用化された比喩、共感覚的な比喩、音声的な比喩、文字通りの意味の一部に組み込まれている凍結した比喩や死喩などの現象も考察の対象とした。中国の言語学界では、比喩の歴史は非常に悠久である。わが国の文化典籍の中に、早くから比喩という言葉があった。たとえば、≪易経》、≪尚書》、≪詩経》などである。“五四”運動以来、比喩についての研究において一番有名なのは陳道望氏の『修辞学发凡』と張弓氏の『現代漢語修辞学』である。『修辞学发凡』の中に、陳氏は定義を下す方法で「比喩というのはどういうものである」を紹介した。これは比喩に関する研究について重要な意義を持っている。また、張弓氏は『現代漢語修辞学』の中で、転義の視角から比喩の定義を紹介する。「比喻式是根据类似的联想和对事物关系的新认识,选取另外的事物来描绘本事物的内在特征。这是语言形象化的一种重要手法,也是人们经常广泛运用的一种修辞手法(基本上利用词的转义)。」中では、転義の視角から比喩を考えて、このような見地は非常に斬新で創造性を持っている。解放後、比喩についての研究は更に深くなってきた。袁晖氏の《比喩》は比喩の定義、比喩の類型、比喩の方式、比喩の働き、比喩と文法などいろいろな方面から比喩について詳しく論じている。また、比喩に関する論文も非常に多いである。曹铁根氏の『漢語比喩と漢文化』、方江英氏の『異文化の視角から中日比喩の異同を見て』、任洪群氏の『比喩の概説』、徐莲氏の『中日比喩名詞の比較』などはそれである。
3.研究の動機と目的
比喩についての研究は重要な意義を持つのである。しかし、中国語と日本語の比喩のすべてに対する考察は範囲が広すぎて大変困難である。私はかつて山梨正明氏の『比喩と理解』という本を読んだ。山梨氏はこの本の中で、日本語の五感を表す語彙の比喩の体系を説明している。しかし、五感詞の比喩表現は感覚間の比喩だけでなく、それ以外の人、もの、ことの性質や状態などを含めた五感詞の比喩表現もある。また、人間の五感を表すのに中国語と日本語はほぼ同じように、形容詞が中心をなしている。今まで、日本の言語学界では、五感形容詞の研究があまり多くないが、中国の言語学界でも、五感形容詞及びその比喩表現に関する研究はもっと少ないと言えるであろう。だから、私は中国語と日本語の五感形容詞の比喩表現を対照しながら、中日両言語の比喩表現に関する研究を進めたいのである。 まず、中国語と日本語の五感形容詞の比喩表現を調査、分析し、できるだけ多くの例文を集めて考察する。以上の作業を通して、中日の五感形容詞における比喩表現の特徴を、また、中日の五感形容詞における比喩表現の対照を通じて、中日の五感形容詞の異同および中日の五感形容詞における比喩表現の異同を、そして、更に、中日の五感形容詞における比喩の体系を明らかにしたい。本稿は、五感覚間の比喩表現だけでなく、五感覚と五感覚以外の比喩表現も含めて、全面的にこれらの比喩表現を考察し、五感覚と五感覚以外の比喩表現の特徴も明らかにするものである。
Ⅱ、隠喩の視点から
1.隠喩について
「たとえるもの」と「たとえられるもの」、そして、この「たとえの根拠」となるもの、この三つの要素は比喩表現の重要な構成要素である。これらの要素は常に比喩の記号過程に明示されるとは限らない。この三つの基本要素の代表的な位置づけとしては、次のようなものが考えられる。一般に「たとえるもの」はその叙述の対象、「たとらえるもの」はその対象を効果的にたとえる表現手段、「たとえの根拠」はこの「たとえるもの」と「たとえられるもの」の関連性ないしは類似性をうらづける要因である。比喩を大雑把に類別すると、直喩と隠喩(暗喩ともいう)の二つになる。
隠喩は表面上、比喩であるとわかるような形式を隠すところに特徴があるとされる。だから、当然、「まるで」とか「ような」とか「のごとき」といった説明語は現れないし、また、たとえるものとたとえるられるものとの区別もなく、両者は、一見、融合して現れる。例を挙げると、白髪のことを「頭に霜をおく」と言い表すのが、隠喩である。本来、白髪と霜は無関係なのだが、白さを共通項にして暗示させるという手法である。
2.隠喩の視点から中日における五感形容詞による比喩表現の分析
形容詞の比喩表現とは形容詞のもっている本義以外の意味に使われる言語表現事項を指すものである。そして、五感形容詞の比喩表現は五感形容詞の本義から転移された意味の変化と変容は五感形容詞の比喩表現である。この意味での比喩は隠喩のことである。この部分は中国語と日本語における五感形容詞から五感覚範囲外までの隠喩表現に限定する。
2.1 中日の五感形容詞
一般的に、五感形容詞は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚といった五感を指す形容詞である。本稿においては、五感を表す形容詞だけに焦点をしぼることにする。中国語には、人及び事物の性質あるいは状態を表す単語を形容詞という。形容詞や動詞は活用形がなく、決まった語尾もないので、語彙の形態上からの判定が難しく、意味による判断に頼らざるを得ないことがある。日本語における形容詞は、一般的に活用のある独立した品詞で、物やことがらの性質、状態などを表し、終止形が「い」で終わるものを指す。しかし、日本語には、形容詞動詞は形容詞と同じように物事の性質と状態を表す語であるから、本稿においても、中日の五感形容詞についての論述は日本語の「ナ」形容詞も含める。
2.1.1 中日の視覚形容詞
視覚は一般的に明るさや色、形、動きなどを感じる感覚の動きを指す。つまり、視覚でとらえる対象は主に光、色と人間や物事の姿などである。視覚形容詞は視覚を表すには「高い」「深い」「ふとい」のようなマイナス·プラスなど語感の属性形容詞が多い。また、光を表す形容詞には、光の強弱によって、明暗を描写する明暗形容詞と色を表す色彩形容詞もとても多い。具体的に言うと、次のようなものが挙げられる。
まずは、中国語と日本語の色彩を表す基本的な形容詞を見てみよう。
現代中国語には、色彩形容詞が次のように10語ある。
青 黑 白 红 紫 黄 粉 绿 蓝 灰
中には、青 黑 白 红 黄 绿 蓝という7語は日本語の中に対照する形容詞がある。しかし、日本語には中国語の“灰”、“紫”の形容詞に対応するものがないのである。また、「あおい」は色彩の表現範囲が広く、中国語の“青”、“绿 ”、“蓝”の三つをカバーしている。中国語に比べると日本語に、色彩形容詞が極端に少ない。中国語には前述の基本形容詞のほかに、また、複合色彩形容詞がいろいろある。例えば、“紫红、黑白、粉青、黑红”などである。また、中国語の色彩形容詞“黑”“红”は生産性のとても高いもので、ABB型などの派生の形容詞が多く見られる。“黄绿白蓝青”なども生産性が高い。“粉”はもっともの低いもので、複合形容詞が少なく、比喩表現もあまりないのである。
次は、日本語と中国語の明暗を表す基本的な形容詞を見てみよう。
中国語の明暗を表す形容詞:明亮 光明 亮堂 明朗 暗淡 昏暗 阴沉 阴
暗 模糊 闪闪发光 炫目
日本語の明暗を表す形容詞:明るい 輝かしい まばゆい まぶしい
暗い
明暗形容詞は色彩形容詞と大体同じ傾向がある。中国語には明るさを表すものと暗さを表すものがとても多い。これに対して、日本語には、語彙数が大変少ない。明暗に関する形容詞では、「明るい 輝かしい まばゆい まぶしい」は人間の快い感じを表し、プラス評価であるのに対して、「暗い」は不快な感じを表し、マイナス評価である。
2.1.2 中日の聴覚形容詞
聴覚は音色や音の高さなどの感じる感覚の働きである。音は大きさ、高さ、音色という三要素に分けることができる。五感において中国語と日本語の聴覚形容詞は、ほかの四つの感覚を表す形容詞に比べると、語彙数は極端に少ない。
中国語の聴覚形容詞:响 响脆 响亮 悠扬 宁静 静悄悄 静悠悠 静寂 吵闹哄哄 嘈杂
日本語の聴覚形容詞:強い 優しい 悠長 静か 静寂 うるさい 騒がしい やかましい けたたましい
2.1.3 中日の嗅覚形容詞
嗅覚は匂いに刺激されて鼻によって、匂いを感じる感覚である。これらの形容詞は大きく、二種類に分けることができる。
中国語の嗅覚形容詞:
快い匂い:香 香喷喷 浓郁 芳醇
不快な匂い:臭 腥臊 腥臭 臊 血腥
日本語の嗅覚形容詞:
快い匂い:かぐわしい 香りばしい
不快な匂い:臭い かび臭い 青臭い 生臭い 小便臭い 汗臭い バタ臭い 泥臭い 土臭い 味噌臭い 金臭い 酒臭い タバコ臭い
中国語にも、日本語にも、、嗅覚形容詞の数はそれほど多くないようである。
日本語の中によくない匂いを表す形容詞が圧倒的に多い。香りを表す形容詞がとても少ない。快い匂いを表すのに、「かぐわしい」などの形容詞が使われ、不快な匂いを表現する場合には、基本的に「臭い」という語が使われる。日本語の中に、「臭い」は非常に生産性の高い形容詞で、ほとんどの匂いを表現することができる。悪臭を表すばかりでなく、中間的な匂いについても、時にはよい匂いについても表現することができる。だから、いろいろな匂いを表現する「くさい」の複合形容詞が多く、においを表現する時、名詞の後につけると、「~くさい」という形容詞が簡単にできてしまう。それに比べて、中国の“臭”はほとんど極端にくさいにおいにだけ使われるから、その複合語の数が限られている。中国語の“臭”は「くさい」のようにいろいろなにおいを表現する機能を持っていない。よくないにおいに対して特定した表現をする時、においによって、“腥”、“臊”、“膻”などに使い分けている。だから、中国語の“臭”の複合形容詞は語彙数が少なく、生産性が低い。
2.1.4 中日の味覚形容詞
味覚は舌で味を感じる感覚で、人間の基本的な感覚である五感の中の一つである。ここでいう味覚形容詞は「味」を表す形容詞のことである。味覚には「甘い」、「苦い」、「塩辛い」、「酸っぱい」の四味を四基本味とよぶことが多いである。
中国語の味覚形容詞:甜 酸 咸 苦 辣 涩 淡 甜丝丝 甜滋滋 酸甜 麻辣 苦涩涩 酸溜溜 甘美 清淡 香甜 淡不唧 苦辣辣 苦丝丝 苦英英 辣 辣乎乎 辣丝丝 辣酥酥 麻辣辣 腻浓 酸辣 酸溜溜 酸酸 酸甜 甜 甜溜溜 甜蜜蜜 甜生生 甜丝丝 甜丝丝 甜甜 咸 咸不唧 咸乎乎 咸涩
日本語の味覚形容詞:甘い 酸っぱい 塩辛い 辛い 苦い 渋い えぐい
おいしい うまい まずい しつこい くどい
中日味覚形容詞の語彙数の差は大きい。日本語の味覚形容詞は中国語に比べ
て、それほど発達していないから、語彙数は少ない。中国語の中の“酸甜苦
辣”などの複合形容詞が非常に多い。これに対して、日本語の中に、複合形容詞の数が比較的に少ない。
2.1.5 中日の触覚形容詞
触覚は何か触る時の感覚である。しかし、実際に、これは触覚のほんの一部に過ぎない。触覚はもっと広い範囲を指すものである。触覚は人間の皮膚で触る感覚だけでなく、皮膚の一部や体で感じる温度、固さ、湿り気などの感覚である。
中国語の触感形容詞:热 热乎 热乎乎 热滚滚 火热 暖 暖洋洋 温 温和 寒
寒冷 冷冰冰 凉 凉丝丝 冰凉 软 软乎 柔 硬 硬棒棒
重 轻
日本語の触感形容詞:暑い 蒸し暑い 温かい あたたか ぬるい 寒
い 冷たい 冷ややか 涼しい やわらか やわら
かい なめらか かたい 重い 軽い 痛い 鈍い
痒い
中国語と日本語はほぼ同じ数の基本的な触覚形容詞を持っている。しかし、
中国語の温度を表す形容詞は二次的な複合形容詞が非常に多い。中国語に比べて、日本語の温度を表す触覚形容詞は生産性が低く、複合形容詞が少ない。また、中国語には、痛痒を表す触覚形容詞の語彙数が少なく、複合語がほとんどない。日本語の中に、痛痒を表す触覚形容詞の語彙数は中国語より少ない。
2.2 中日の五感形容詞による隠喩表現の分類
五感形容詞の比喩は主に人、もの、ことなどの性質、状態に使われている。また、感情の比喩もある。例えば、日本語の例をあげると、視覚形容詞「明るい」は「明るい人」のように、性格を表す。聴覚形容詞「静か」は「この商品は静かなブームを呼んでいる」のように、状態を表現することができる。嗅覚形容詞「泥臭い」は「泥臭いやつ」のように「性質」を表す。味覚形容詞「酸っぱい」は「酸っぱい思いをする」のように、感情の表現に転じる。触覚形容詞「ぬるい」は「そんなぬるいやりかたではだめだ」のように、性質の表現ができる。この節には、中日の五感形容詞と五感覚以外の隠喩表現を感情の隠喩表現、状態の隠喩表現、性質の隠喩表現、ほかの隠喩表現という四つの種類に分けることにした。
2.2.1 感情の隠喩表現
2.2.1.1 中国の五感形容詞による感情の隠喩表現
(1)他轻轻地哼着曲子,觉得心里暖融融的。
(2)听了王棍一席话,就像沐浴着春风,心窝里暖煦煦的。
(3)她几句话说得我心里暖洋洋的。
(4)他听了表扬心头凉悠悠。
(5)我心里痒苏苏的。
(6)回忆起美好的过去,他心里甜丝丝的。
(7)王一波被选为优秀班干部,心里就像翻了蜜罐甜滋滋的。
(8)终于完成了组织布置的任务,心里像喝下了一口糖水,甜津津的。
(9)虽然是梦,王凡心里照样甜蜜蜜的。
(10)王教授心里酸甜酸甜的。
(11)大家的喜悦心情更浓烈了。
(12)听了他的解释我心亮堂了。
(13)你这麽一说,我心里明朗了。
以上の五感形容詞の比喩表現は歓喜の感情を表すのである。例(1)~(3)の中に、“暖”はもともと温度を表す時、ちょうど気持ちがよく、体に快適な温度を表す。中国語の中に“暖”の比喩表現は必ずその複合形容詞でうれしさを表現するのである。しかし、日本語の中にあまり直接に「暖かい」などの形容詞でうれしい感情を表さないようである。中国語では、「暖」などの形容詞を使って、うれしい感情を表現する頻度がとても高く、このような表現はごく普通に使われるものである。例(4)の例文のように、日本語の「涼しい」にあたる“涼”でうれしい感情の表現もできる。中国語の“凉悠悠”は寒くも暑くもない。気持ちのよい温度を表す。そこから、うれしい感情の比喩に転じたものである。ほかに、中国語では、強い感動を受けて生じた喜びの感情は“热”“暖”などで喩えられる。理由ははっきりせず、弱い喜びの感情を表す時に、“痒”の感覚を借りて表現する。例(5)に示したように、“痒”は皮膚感覚を表す時、日本語の「かゆい」は使えない。例(6)~(10)は主に“甜”の派生語で、喜ぶ感情を表す。例(9)の“蜜蜜”は、甘さの代表的なものの一つである蜂蜜の蜜で、非常に甘い状態を表すとともに、このようにうれしい感情の比喩にも使われる。例(10)の“酸甜酸甜”は日本語の「甘酸っぱい」の意味とほぼ同じである。 “甜”は、砂糖など甘い物の味である。人間はこの甘い味を味わった時、いい感じがする。この感覚はそのまま感情の表現に用いられて、喜ぶ感情を表す。例(11)の“浓烈”はにおいそのものを表すものではなく、感情の程度の比喩に使われる。中国語は“浓烈”のにおいをよい気持ちと連想して、比喩としてよく使われるが、日本語には、このような使い方は見られないのである。例(12)(13)に示したように中国語では、“明朗”、“亮堂”などの視覚形容詞は喜ぶ感情やすっきりした気持ちの比喩に使われるが、日本語の「明るい」は中国語ほど使わないようである。
(14)明暗的心情
(15)心情突然重起来。
(16)心情越来越暗淡。
(17)第二天醒来,头很痛,心很灰。
(18)两年前的那件事让我很心酸。
(19)马上要离开父母独立生活了,我心里酸溜溜的。
(20)看到她悲惨的生活,心里酸酸的。
(21)看了她的来信,莫名地产生了一种苦涩涩的感觉。
(22)听了她的一番苦诉,王刚像吞了一把辣椒,麻辣辣的,心里感到一阵难受。
(23)我悔恨交加,心里像洒了胡椒面,麻麻的疼痛。
(24)他这样的选择,让我很心痛
(25)他说了这样不负责任的话,我很心痛。
(26)听了他的陈述,有点压抑,心里凉飕飕的。
(27)看到他一幅可怜的样子,心里凉凉的。
以上の用例が示したように、五感形容詞の比喩表現も悲傷と苦痛の感情を表すことができる。例(14)~(16)のように、中国語では、“暗”と“暗”の派生語などの視覚形容詞は感情の比喩表現をする場合、悲傷と苦痛の感情を表すのである。中国語の暗さを表す視覚形容詞の数は日本語より多いが、光が足りない状態、光のない状態では、暗さや暗闇に対して、人々は嫌い感じを持っている。このような感じを感情の比喩表現に使うなら、悲傷と苦痛の感じを表すことができる。例(17)の“灰”は中国語では、形容詞であるが、日本語にはそれにあたる形容詞がない。ここの“灰”は暗い感情を表すものである。日本語において、このような比喩表現がない。“酸”は非常に大事な味の一つで、比喩の方においても、いろいろな意味に使われている。例(18)~(20)のように、中国語では、“酸”は悲しい感情を表すのである。味覚において、酸味を表すものである。酸味は強い酸味と弱い酸味は場合によって、好まれるかもしれない。比喩に使われる時、一般的にマイナスイメージのものである。人は強い酸味を食べた時にその刺激で顔は悲しそうな表情になる。また、涙が出そうなことがあるところから。“酸”は悲しい感情や気持ちの比喩に転じたと考えられる。例(21)~(23)の中の“麻”“辣”“苦”は中国語でこの三つの形容詞を使って精神的な辛さや苦痛を表現することが多い。“麻”“辣”“苦”はすべて強い刺激的な味で刺されたような痛みを伴う感じである。“麻”と“辣”は比喩の時、ほぼ同じぐらいで、せつない感情を表すが、“辣”は“麻”より少し程度が強い。“苦”は苦い味である。このような味を嫌う感じが感情的な、精神的な苦しみと苦痛の表現に転じてきた比喩である。例(24)~(25)の“痛”は中国語では、抽象的な物事を表現することができる。“痛”は普通には、生理的、肉体的な痛い感じを表すのである。抽象的な物事を表現する時、具体的な感覚から精神的な感じに転用される。この時には、比喩は発生するのである。例(26)の“凉飕飕”は形容詞“凉”から複合されたものである。温度が低くて、人に不快な感じを生じさせるので、その意味から生まれた比喩である。
(28)看了妈妈给她的信,她心里暖暖的。
(29)看到男友为自己精心准备的生日礼物,心里暖乎乎的。
(30)焦裕禄的话,说得大家心里热乎乎的。
(31)看到这五位烈士的遗物,心里顿时热辣辣的。
(32)听到他们的事迹,鼻子一酸,禁不住流下了眼泪。
以上の例文は感動を表すのである。例(28)~(31)のように、中国語では感動を表す場合、“热”と“暖”は比喩表現に使われず、複合形容詞を使うのである。普通には、「暖かい」は人が一番好きな温度で、熱くになると、気持ちが悪くなる。しかし、中国語では「暖かさ」から「熱さ」までの温度の変化は感情の比喩表現の中に、感動の程度を表す。“暖”より“熱”は感動の度合いが強い。日本語では、感動で思わず涙が出ようとする時の感覚は「熱い」を用いて表現される。
(33)有仇恨的人见面分外眼红。
(34)他做了那」麽过分的事,让人恨得牙痒痒。
以上の例は怒りの感情を表すのである。例(33)が示したように、人間は怒った時に、顔色が赤くなったり、目に血筋が走ったりすることがあるから、視覚から怒りの感情を表す比喩である。日本語の「赤い」は中国の“红”と同じように顔色や感情に使われている。例(34)の“牙痒痒”は中国語では、憤慨する感情を表すことができる。日本語に訳したら、「歯が痒い」。しかし、日本語にはこのような比喩がなく動詞で表現されるであろう。
(35)被开了那样的玩笑,看得他脸上火辣辣的。
(36)看到心仪的男人顿时脸上热辣辣的。
(37)他意识到自己的错误,心里不由得辣乎乎的发烧。
(38)被这麽多的人包围着,脸上热烘烘地难受。
以上の例文は恥ずかしい感情を表すのである。人間は羞恥を感じる時、顔が熱くなる。中国語では“熱”の複合形容詞は感情の表現に使われる。例えば、例(38)の“热烘烘”は温度を表す時、体の全体或いは一部が感じられる温度で、体温より高い温度を表す。また、“辣”は辛い感じを表すのである。例(35)~(36)の中で、“火”“热”と一緒に組み合わせ、熱感覚と痛感覚の複合した感覚で、恥ずかしい感情を表すのである。しかし、日本語では、「熱い」と「辛い」で、このような感じを表しないのである。
2.2.1.2 日本の五感形容詞による感情の隠喩表現
(1)胸が熱くなってしまった。
(2)彼氏の手つくりの弁当を見ると、彼の温かい心が胸に伝わってくる。
例(1)~(2)は感動の感情を表すのである。日本語では、感動を表す場合は「熱い」を使っている。中国語でも人の親切さに感動した時に、「熱い」にあたる“热”と“暖”の複合形容詞がよく使われている。普通には、「暖かさ」から「熱さ」までの温度の変化は感動の程度を表すのである。
(3)一人暮らしは心が寒い。
(4)彼氏が北京へ出張へ行った後、住んでいる街までが寒く感じる。
(5)もうなくなった両親を持ち出されたのは、彼には、痛く感じた。
(6)耳が痛い
(7)百万円の損は痛い。
(8)腹が痛い
(9)今度はその方の父母に痛い思いひをさせてやるぞ。
(10)酸っぱく感じる。
以上の例文は不快感を表す比喩で、マイナスの表現である。「寒い」は温度が低く、人間に好ましくない冷感である。例(3)~(4)の「寒い」はここでは抽象的な感情を比喩に表現する。中国語にも日本語「心が寒い」に似ている形容詞“心寒”がある。例(5)~(6)の「痛い」は抽象的な意味を使うのである。「痛い」はもともと肉体的な痛感という意味でここでは精神的なショックを受けた不快な感情を表す。例(6)の中に、自分の弱点や欠点が指摘された時の不快感を「痛い」で表す。例(7)の「痛い」は物質的な損失により、ショックを受けた時の比喩にも使われる。中国語の中には、このような使い方もある。例(8)では、「腹が痛い」というのは、具体的な感覚を表すもので、体の一部である腹のところに苦痛を感じる意味であり、人間の生理的な不快感を表している。例(9)では、「痛い思い」とは、精神的に苦しい辛いという意味であり、人間の心理的な不快感を表している。つまり、具体的な感覚を表す「痛い」は、抽象的な感情語に、転用されている。このように、具体的で直接的な感覚を表す語は、抽象的な精神作用である感情経験を、比喩的に表しているのである。例(10)の「酸っぱい」も不快な感情を表すことができる。中国語の“酸”の表す「悲しい」や「辛い」という感情は「酸っぱい」という不快な感情よりもっと強烈なものである。
(11)小さなこどもが一人で海で泳ぐのを見て、寒く感じる。
(12)メーキャプを見て、えぐく感じる。
以上の例文は恐怖の感情を表すのである。例(11)の「寒い」は低い温度で感情の比喩表現をする時、低い温度が人体に対して生じた不快な感覚をそのまま比喩に転用して、マイナスの意味を表す。「寒い」は恐怖の感情を表す時、「背筋が寒くなる」という表現がある。中国語に訳したら、“可怕”で、“寒”が出てこない。例(12)の「えぐい」は『現代形容詞用法辞書』では、「刺激的である対象としては、目で見て強烈な刺激を受けるもの、(災害、事故、恐怖映画など)について用いられることが多く、聴覚によるものについて用いられることはない」と説明している。
(13)彼にほめられるとは、非常にむずがゆい。
(14)女の子と話す時、何だか照れくさいようなこそばゆいような変な気持ちです。
以上の例文は恥ずかしい感情や照れくさい感情を表すのである。例(13)の
ようにほめられたことによって感じた恥ずかしい感情の比喩である。例(13)、
(14)はほとんど「かゆい」系列の形容詞で、はっきり言えないような恥ずか
しい感情や照れくさい感情を表す。「かゆい」は刺激性がそんなに強くない、
原因も分からず起こったものが多い。そのため、日本語では、このような気持
ちの表現をよく借りて使われている。
2.2.2 状態の隠喩表現
2.2.2.1 中国の五感形容詞による状態の隠喩表現
(1)和林山热乎乎地谈了一阵子,随后就开着车回去了。
(2)他俩刚才还挺热乎的谈论着。
(3)刚才对面来一个人,热乎乎地跟她打招呼。
(4)老板还火辣辣地数落着一个员工。
(5)说得热烘烘的。
(6)话说的很软
(7)那人软软地对他说着。
(8)我硬硬地说了一句:请自重。
(9)被猛得从后面拍了一下,热热的头脑顿时冷静下来了。
(10)他俩有时香,有时臭。
(11)他俩关系彻底臭了,成了敌人。
(12)小夫妻过得很热乎。
(13)他俩正打得火热。
(14)他俩近来很热乎。
(15)睡得正香。
(16)到处都是蚊子,你还睡得那麽香。
(17)昏昏地睡着。
(18)孩子们睡得很安静。
(19)一个很红的作家。
(20)她已经大红大紫了。
(21)他名声很响。
(22)喝醉了酒,头脑昏沉。
(23)今天一天都昏昏沉沉的。
(24)坐在休息室里看书,头脑昏沉,思绪已经飘起了。
(25)老人身体硬邦邦的。
(26)都这麽大年纪了,身子骨硬邦邦的。
(27)那小伙子身子骨硬邦邦的。
(28)他举止青涩。
(29)让我静静。
以上の用例は人がいる場合に現れる状態を表すのである。例えば、例(1)~(8)は話をする時の状態を表す。例(4)の“火辣辣”はもともと太陽に照らされているひりひりするほど暑いことを表すもので、厳しい態度を表現し、マイナスの意味のものである。話をする時の状態を表す場合には、一般的にプラスの意味の親切や優しさを表すものが多くて、連用修飾語として、動詞を修飾するのが普通である。日本語はこのような表現が使われていない。例(6)~(8)は触感形容詞“軟”、“硬”で話をする時の状態を表す。“軟”は優しい口調を表し、親近感が感じられるものである。日本語では同じ触感形容詞「柔らかい」が使われる。“硬”はその反対に、強い口調を表し、怒った様子を表現する。日本語では「強い」、「きつい」などが使われる。「かたい」は使えない。例(9)のように、中国語では人が興奮する時の頭がかっとなって、血がのぼった状態を“熱”で表現するが、日本語では、このような比喩の使い方はないようである。例(10)~(14)は人間関係の状態を表すのである。例(12)~ (14)の“熱”は人のよい関係、よい仲を表すのである。「熱い」の温度が低いところから高いところへの程度の変化は、人間、男女の関係が親密になっている様子の喩えに使われる。日本語では、このような用法はまったく見られない。例(10)~(11)の“香”と“臭”は対義語である。ここで“香”はよい香りを表現するところから好かれていることに喩えて、関係のよいことに転用されている。例(10)の“香”は親密な関係、仲のようにことを表すものである。“臭”の本来の意味は臭いにおいがするから気持ちが悪くなり、誰も近づこうとしないことであるが、互いに口を利かない「疎遠」を表す。例(11)の“臭”は悪くなった人間関係、仲が悪いなどの人間関係の状態に表現する。例(15) ~(18)は熟睡の状態を表現することはごく日常的使い方である。例(15)、(16)のように、香りが人に与える気持ちのよい感じをぐっすりと眠っている心地のよさに転用されたものである。例(17)の“昏”はなにも見えない暗さを表すものであるが、それを熟睡の比喩に表す時、何も見えない状態は周囲の環境条件から影響を受けずに寝ている状態に喩えられる。例(19)~(21)は人気がある状態を表すのである。例(19)のように、中国語では特に人気のある役者や俳優の人気ぶりを“红”で表す。日本語では人気役者、人気歌手のことを中国語では“红角”“红歌星”と言う。日本語の「赤い」はこのような比喩には使われないのである。また、例(20)の“紫”は中国人の意識の中に“红”と同類で、“红”より濃い色であるから、人気がある場合、“大红大紫”と言うのである。“红”を越えて、さらに人気が集まる時、“紫”で表現する。しかし、“紫”の単独だけでは、“红”と一緒に使われないと、ほとんどこの意味が表せない。例(21)の“响”は高くて響く聴覚の意味から転じられた比喩に用いられるようになった。例(22)~(24)は人の朦朧とした状態を表すのである。視覚において、暗くてはっきり見えない状態は人の眠たくてうとうとした時の感覚の表現に転じられた比喩である。例(25)~(27)は健康で丈夫な状態を表現するのである。中国語ではかたいものは壊れにくいという物の質に目を付けて、健康状態の比喩に使っているのである。体が丈夫で健康であることを例文のように“硬”からできた複合形容詞で表すことができるが、ここでは他人にじゃまされない状態を喩えた表現である。例(29)の場合、日本語では「静か」などを使わずに、「一人にさせる」と言う表現が使われる。
2.2.2.2 日本の五感形容詞による状態の隠喩表現
(1)ひややかに未来を展望する。
(2)懐が寒くなった。
(3)灰色の人生。
(4)箱の栓が固くて開かない。
(5)固くない家。
(6)計画が滑らかに進んでいる。
(7)事が滑らかに運ぶ。
(8)冷たい戦争の時代はやっと終わった。
(9) 環境問題はやかましくなっている。
(10) オリンピックブームで世間が騒がしい。
(11)この法律は静かなブームを呼んでいる。
以上の用例は物事の状態を表すのである。例(1)の「ひややか」は感情的な表現ではなく、物事に対処する冷静な様子や状態を表している。プラスの意味がある。お金を持っていない状態は「懐が寒い」という。これは温度の高いのを物事のプラス状態に喩え、温度の低いのがマイナスの状態に喩えられているからである。中国語には「暖かい」と「寒い」に当たる語が見られない。例(3)は考え方や物事に対する認識の状態を色で表すのである。中国語では“黑”はよくないこと、悪いことの比喩に使われる。“白”はよいことを表す。“灰”はちょうど“白”の中に“黑”を混ぜたような色を表すことができる。疑惑や不明朗な状態などを表す。例(4)~(5)の「固い」は物事の具体的な状態について、比喩表現をする。例(4)は瓶の栓が開かない状態を表すのである。例(5)は物の丈夫ではない状態を表すのである。固くないものが壊れやすい意味になり、つまり、物の丈夫ではない状態の比喩に転用したものである。中国語にはこのような比喩の使い方がない。例(6)~(7)は動作が滞らなく動いている状態を表すのである。「滑らか」はもともと、手で物体の表面を触る時つるつるした感じを表すのである。そのつるつるした感覚を物事の進行に喩えるものである。例(8)は戦争の状態を表すのである。日本語には(8)のような形容詞の表現のほかに「冷戦」がある。国際間の厳しい対立抗争の状態を表すのである。中国語にも名詞熟語の“冷战”があるが、形容詞としての比喩表現がない。例(9) 、(10)の「騒がしい」、「やかましい」のように騒音や騒ぐ音声が世論として、いろいろな議論がある抽象的な物事の状態を表す。例(11)の「静か」はもともと音声のない意味である。ここで、人に気づかれないように行動することや物事が知らないうちに発展したり、進行したりする状態を表す。
(12) スターに熱くなる。
(13)彼は社長秘書とお熱い仲だ。
(14) 彼女に対する熱い思いを持っている。
(15) 彼は数学に明るい人です。
(16) 私はこの辺の地理に暗い。
以上の用例は人間の状態を表すのである。例(12)の「熱くなる」は慣用的な使い方で、温度が高くなることを人間や物事の状態の表現に喩えた比喩表現である。中国語では“着迷”でこの状態を表すのである。例(13) 、(14)は異性に恋に夢中になっている状態を表すのである。中国語も同じような傾向があり、“热恋”が使われているが、“热”から派生された動詞である。例(15)~(16)は知識や物事の事情がよく分かっているあるいは分かっていない状態を表現するのである。日本語の「明るい」「暗い」などの視覚感覚は知識や事情によく分かるかどうかの様子を表すのである。
2.2.3 性質の隠喩表現
2.2.3.1 中国の五感形容詞による性質の隠喩表現
(1)家永远是世界上最温馨的地方。
(2)这个场景让人看了很温馨。
(3)这首诗在网上热得很。
(4)他腰杆子硬,过关了。
(5)他耳朵硬,不像别人肯听传言。
(6)他的作品涌动着芳醇的边疆生活气息。
(7)浓郁的生活气息。
以上の用例は物事、人のよい性質を表現するのである。例(1)、(2)が示したように、物事の性質の比喩に使われている中国語の“温馨”は、日本語の「温かい」と対応している。温度感覚の快い感覚を物事の性質の比喩表現に転用している。また、次のように温度表現の意味がすでになくなって、性質だけを表現形容詞も多数ある。例えば、“温润”、“ 湿润”、“ 温馨”、“ 温婉”などは、女性について使われるものが多い。例(3)の“热”は温度が低いから高いまでの変化を表すところから転じて、人気の高いことの表現に転じたのである。例のように、中国語では、温度形容詞“热”を使って人気のあることや歓迎されることを比喩する。日本語には、このような比喩がまったく見られない。この例は具体的な温度の感覚が抽象的な物事の性質の表現に転移されたのである。例(4)の“硬”は「硬い」という触る感覚から、物事の性質の比喩に転じて、強力でしっかりしていて、決定的な力があることを表す。例(4)のように、人脈があり、後ろ盾がしっかりしていることを表すのである。例(5)の“硬”は人の話に左右されにくい性質の比喩表現である。“甜”は基本的な味覚形容詞で、甘い味を表すものである。“甘美”と“甜美”は“甘”や“甜”に“美”がついてできた複合形容詞で、甘くておいしい味を表す。例文(6)の“芳醇”は嗅覚表現において、お酒の香りを表すものである。その香りは物事のよい性質の比喩として使われる。例(7)はにおいの濃淡を表す形容詞である。香りの濃いことを表すが、不快なにおいには使われない。比喩の時も物事のよい性質のたとえに用いられる。“浓郁”は嗅覚を表す時、香りが高いという意味である。これは花の香りやお酒のよい性質に転じられ、よい特質や特徴を表し、非常にプラスの評価の表現である。
(8)他那冷冰冰的话刺伤了我的心。
(9)寒森森的留言压得他喘不过气来。
(10)他耳朵软,别人说什么他信什么。
(11)他手段狠辣。
(12)我干不了这个苦差。
(13)他一直过着这样的苦日子。
(14)这篇文章语言很涩,不好懂。
(15)语言无味。
(16)他见了谁都是酸巴巴的。
(17)实践腥臊的手段。
(18)这人嘴太臭。
(19)说话太冲。
(20)描写的太多,有点温吞吞了。
以上の用例は人、物事の悪い性質を表すのである。例(8)、(9)のように、中国語の温度形容詞は低い温度が人に与える不快感や怖い感覚を物事の悪い性質の比喩に使われるが、日本語の温度形容詞にはこのような使い方はまったく見られない。例(10)の“软”は人の話に左右されやすい性質を表しよく他人を信用する性質の比喩表現に使われるのである。プラスの意味がまったくなくて、マイナスか、ややマイナスのイメージである。“辣”はやり方や手口がひどくすごいことを指す。例(11)の中には、味覚の強い刺激のある「辛い」意味から転じてきて、非常に悪い性質を表現するものである。中国語の“辣”に比べて、性質の程度が非常に低い。味覚において、“苦”は好まれる味ではない。例(12)、(13)のように、味覚の性質は物事の性質の比喩に移り、「辛い」、「苦い」という意味に使われる。日本語の「苦い」には、中国語の“苦”のような比喩がない。「苦しい」は「苦い」とは全然関係がない。例(14)の“涩”は言葉が難しくて、なかなかスムーズに読めない文章の性質を表すのである。味覚において、生じた舌のざらざらした“涩”の感覚はよくなめらかではない性質に移転してその比喩をする。例(15)の“无味”は味覚を表す時、味がない、美味しくないことを指すが、ここでは、言葉の表現には内容がなく、面白みのないことを表すのである。“酸”は“苦”とともに、“甜”の対義語であるから、比喩のイメージも“甜”と違って、全部マイナスである。例(16)の“酸”は味覚から、不機嫌な表情に転じて、そして、表情から性質の比喩に変わったのである。例(17)は嗅覚表現から転じて、物事の非常によくない性質を喩えるものである。例(17)は“腥”と“臊”が合体してできた複合形容詞で、一種の悪臭を表すものである。くさいにおいによって、物が腐ったり、悪くなったりしたことが判断できる。また、その悪臭が人々に嫌われる。例(18)、(19)は話の抽象的な性質を表現する。例(18)の“臭”は口が臭いという本来の意味からを, とばしたり、汚いことを言ったりする比喩に転じたものである。例(19)の“冲”はもともとにおいがつん時て強くにおういみであるが、そこから転じて、話し方や口調などがとてもきついのを比喩する。例(20)の“温吞吞”は温度表現において、日本語の「まなぬるい」と同じ意味で、ここではやわさかではない、マイナスの意味を表す。よく物事の性質の比喩に使われている。
2.2.3.2 日本の五感形容詞による性質の隠喩表現
(1)彼は暖かい家庭で育った。
(2)暖かな家庭に育った王さんは明るい女の子です。
(3)やわな人間。
(4)彼女はとてもきれいで、涼しい目をしています。
(5)その秘密は絶対もらさないと、固く約束した。
(6)柔らかい話。
(7)固い話。
(8)作者の土臭い文体が人気を持っている。
(9)作者のおとこくさい文体が魅力です。
(10)好みが渋い。
(11)香り高い生活を送る。
以上の用例は人、物事のよい性質を表現するのである。例(1)、(2)は具体的温度感覚から生まれてきた抽象的な物事の比喩である。「暖かい」は温度感覚の時、暑くもなく、寒くもない。体にちょうどよい温度を表す。これらは人情味があり、家族睦まじい家庭環境の比喩に使われる。中国語も同じ意味の形容詞“温暖”が使われる。例(3)が示したように、日本語では柔らかい触感は人間の弱い性質の比喩に使われる。中国語では触感形容詞“软”には、このような比喩の使い方がない。例(4)の「涼しい」は視覚への比喩から性質の比喩が生まれる。美しいという意味で、主に、女性の目に使われているものである。例(5)の「固い」は約束などを守るほかに、決心、決意にも使われる。日本語では触覚形容詞「かたい」のさわる触感が物の硬い性質の表現にも転用され、さらに、硬い物がなかなか壊れない性質から、このような人間の強い意志の比喩表現に使われる。現代中国語の触覚形容詞は日本語のように意志の比喩表現に使われないのである。例(6)、(7)のように、ものや物事の性質について、「柔らかい」と「固い」の両方を使って、比喩表現を表す。「柔らかい」は内容が通俗的なでわかりやすいもので、「固い」は改まった内容とか、儀式的なものを指す。それに対して、「柔らかい」などは気軽にしゃべられる日常的なものである。例(8)、(9)のように、日本語では、嗅覚形容詞はものに属している性質をにおいに喩えて、文章の作風などに使われている。つまり、ものの抽象的な性質などがにおいによって具体化されている。中国語にはこのような比喩表現がない。例(8)の中国語訳の“泥土气息”は土のにおいという意味で、プラスの評判の時に使われる言葉である。逆に軽蔑やマイナスの意味を表す時に“土里土气”というマイナスの評価の言葉が使われる。中国語の“土里土气”はもともと土のにおいがするという意味があったが、後に、そのにおいの意味がすっかりなくなって作風や人間性に限って表現するものとなった。例(9)は嗅覚の香りをもののよい性質に喩えて、格調の高い文章の比喩を表す。例(10)の「渋い」はその渋色から、派手ではなく落ち着いている。奥が深い性質が転じてきたのである。例(11)の「香り高い」は気持ちよい香りを抽象的な物事のよい性質に喩えて、上品で、優雅なことを表す。
(12)甘いことばで女の子を騙す。
(13)甘ったるいおせじ。
(14)うまい話には注意が必要だ。
(15)科学者の論文としてはお寒いかぎりだ。
(16)世界の黒い霧。
(17)寒い暮らしをする学生
(18)そんな生ぬるいやり方ではだめだ。
以上の例文は主に、人、物事の悪い性質を表すのである。例(12)、(13)、(14)は主に話の内容と性質に使われている比喩表現である。「甘い」は食べる時に感じる味の快い感覚を聴覚のほうまで延長したのである。しかし、この比喩表現を使う場合、言葉から感じられる優しさや親切の背後には人の騙そうとする下心ががあるようである。「うまい」は味を表す時、味そのものよりむしろ味や風味を評価する形容詞であるが、ここでも、同じように話の性質の比喩に使われている。例(15)の「お寒い」は抽象的な文章の性質を表すのである。例(16)の「黒い」は黒が色の見えにくく、暗いという性質から転じてきた比喩である。影で悪いことや陰謀をたくらんで、ひそかに悪事を働くことに喩える。また、公に出さない不正や犯罪、つまり、影でやる不正行為を表すことが多い。物事の悪い性質を表すのである。例(17)は「寒い」で経済状況の性質の比喩である。これは昔まずい家庭には、冬では暖を取るための炭や石炭燃料を買うお金がなく、そのまま我慢するところから出てきた比喩である。例(18)の「生ぬるい」はここでは物事の性質を表すものである。もともと温度感覚を表す時に、期待する温度より下回って、不快を感じる。比喩に使う場合、その具体的な温度感覚は物事に対する抽象認識の表現に使われる。
2.2.4 その他の隠喩表現
2.2.4.1 中国語の隠喩表現
(1)他的性格很温和。
(2)洋子火辣辣的性格很招人喜欢。
(3)他总是这麽热和。
(4)那小子骨头太软。
(5)怎么感觉他性格软塌塌的。
(6)性格柔和。
(7)真是硬骨头。
(8)硬邦邦的汉子。
(9)心地阴沉。
(10)那人性格嘹亮,干什么都行。
(11)看他那张冷冰冰的脸。
(12)那人露出一副冷凄凄的表情。
(13)他那冷冰冰的脸让我好害怕。
(14)他冷冷地笑着露出挑衅的样子。
(15)看到他冰冷的微笑,我心里很不是滋味。
(16)没有血色的脸上,没有一点软和气。
(17)硬邦邦的脸上不发一笑。
(18)王晓林感到左脚热辣辣地疼。
(19)火热的期待。
(20)这个酒很柔和。
(21)你别嘴硬。
(22)我高兴的心情更浓烈了。
(23)今天是你的好日子,总得红扑扑的取个吉利。
(24)这里说等于白说。
(25)阴暗的角落。
(26)你悄悄地告诉他。
(27)响当当的学生们。
例(1)~(10)はすべて人の性格の比喩表現である。例(1)~(3)の中の“温和”、“火辣辣”、“热和”等の温度を表す形容詞は人間の人格についての比喩に使われることが分かる。“温”は性格の「優しい」ことの比喩に使われ、全体的にほとんどプラスの表現である。“火辣辣”は熱くてひりひりする感覚から女性のてきぱきとした性格の喩えに使われるが、男性には使わないものである。“热”は人の性格に使用する時「優しい」、「親切」という意味のよいことに比喩され、全部プラスの意味の使い方である。例(4)の中の“软”と複合形容詞は弱くてよくない性格を表し、マイナスのイメージである。日本語では「根性なし」を使うが、「柔らかい」などは使えない。例(6)の“柔和”は“软”と違ってマイナスの意味がまったくなく、穏やかなよい性格を表すものである。例(7)、(8)の“硬”とその複合形容詞は人間の性格を比喩する場合、意志が固くて、しっかりしていることを表し、プラスのイメージが強い。例(10)は高い音声を表す聴覚形容詞で、人の明るくさっぱりした性格の比喩をする。この聴覚の性質は人間の性格の表現に転用されて、プラスのイメージとして使われている。中国語と日本語では、同じように音や声のあまり聞こえない聴覚の感覚が人間の穏やかな性格の比喩に使われている。聴覚の表現において、多くの場合、音声のない状態は非常に精神的に落ち着く、これは人間の比喩に転じた時、音声の有無とは関係なく、人の穏やかで、落ち着いている性格を表す。例(11)~(17)は表情の比喩表現である。例(11)~(13)が示したように、中国語では、“冷”から派生した形容詞が表情の比喩に使われている。日本語も中国語と同じように「冷たい」や「冷ややか」が表情の比喩に使われている。例(14)~(15)のように、“冷”から派生した形容詞は笑いに対する比喩の時、相手を見くびって、嘲笑する意味を表す。これも感情表現の一種である。親近感を持ったり、感情をこめたりする場合は「熱い」で表し、その反対に「つめたい」で無情であることやばかにすることを表す。例(16)の“软和”は優しい表情を“硬邦邦”は怒っている表情やうれしくない表情を表す。例(18)は温度感を使って。痛覚を表現する比喩表現である。中国語において、温度を表す“热”はよく辛くてひりひりする味を表す“辣”と複合して、痛みの比喩表現に使われている。例(19)の“火热”は“火”、“热”との複合した温度形容詞で、火が燃えるように「熱い」という温度形容詞のもともとの意味のほかに、例文のように、物事の程度の比喩に使われる。例(20)の“柔和”は飲み物の風味を表現するほかに、タバコ以外の食べ物には使われないようである。例(21)は話をする時の態度を表す。“柔和”は落ち着いて、優しい態度を表すものである。“硬”は一概にマイナスとは言いかねるが、ややマイナスの要素がある。例(22)の“浓烈”はにおいそのものを表すものではなく、においの強い程度を表すのである。例(23)の“红扑扑”は雰囲気を盛り上げることと、“红”の色には縁起がよいことの両方にかかった言い方である。中国人にとって“红”は非常にめでたい色で、例(24)の“白”は副詞として動詞を修飾して使われる。色彩から転じて来た比喩で、白色の何も入っていない純粋なところから、何もないことの比喩に転じて、さらに、何もないという意味から何もかもなくなるという意味に変わり、そこから、いくらやってもむだという意味に転じたものである。日本語では見られない比喩である。例(25)は視覚の見えない「暗い」感覚を使って公に公表できないことや隠れてやる悪いことなどを表す。日本語の「暗い」は人に知られたくない犯罪や悪いことなどをした経歴などを表す比喩である。例(26)は“悄悄”を使って気づかれないことや、こっそりという意味の比喩を表すのである。例(27)は人の威厳の比喩を表すのである。“响当当”は聴覚ではもともと銅鑼や鐘の金属音を表すものである。“响”は高くて響く音で、“当当”は「とんとん」などの音の擬声語である。
2.2.4.2 日本語の隠喩表現
(1)彼女は暖かい心の持ち主だ。
(2)生ぬるい男だ。
(3)彼はとても静かな人だ。
(4)口うるさくてやかましい人だ。
(5)うるさいやつ。
(6)やわい男。
(7)あの子は堅い性の子です。
(8)熱っぽい顔つきをしている。
(9)暖かい表情が現れる。
(10)渋い顔をする。
(11)話を聞いて彼は苦い顔になった。
(12)疲労の色が濃い。
(13)表情は柔らかだった。
(14)彼女は硬い表情をもらした。
例(1)~(7)は人間の性格を表す比喩表現である。例(1)の「暖かい」は気持ちのよい温度を表すものである。そのプラスの感覚はそのまま、人間の性格の比喩表現に使われる。それに対して、例(2)の「生ぬるい」は好ましくない温度であるから、人間の性格に比喩される場合、そのままマイナスの表現である。人間の性格は抽象的なものであるから、温度形容詞「冷たい」、「暖かい」などのイメージを借りて表す必要がある。例(3)は人のおとなしい性格を表す。「静か」は雑音が高くて不快な音声などのないことを表すものである。また、例(4)、(5)のように、不快感が生じる音声に対して使われる「やかましい」、「うるさい」はこのように、人間の性格の比喩に用いられ、その人の出した話に対して音声的な不快を感じるのではなく、その話の内容に対する反感を表す。中国語の聴覚形容詞はこのように比喩の使い方がない、例(6)の「やわい」と例(7)の「堅い」は人間の性格の比喩に使われている時、「やわい」はマイナスのイメージで、「堅い」はプラスのイメージである。状態や性質の比喩表現と違って、イメージが逆転されている。例(8)~(14)は人間の表情を表す比喩表現である。人間の表情だけを表す形容詞がほとんどないから。その表情を詳しく表現するには、色や温度などの形容詞を借りなければならないのである。この面において、日本語も中国語も同じである。表情の比喩表現はある時味と関連した比喩用法である。渋み、塩の辛み、苦み、酸味などに刺激された時に顔に現れる。ゆがんだ不快な表情をそのまま比喩用法に用いたものである。例(8)の「熱っぽい顔つき」は情熱的な表情である。例(9)「暖かい表情」は優しい表情の比喩である。快適な温度の感覚から生まれてきた比喩である。例(12)は疲れている時の顔の表情について、色の濃淡を表す「濃い」で比喩表現をするのである。例(13)の「やわらかい」は優しい表情を表す。例(14)の「硬い」はぎごちない表情を表すのである。
1.比喩的転換について
『比喩が喩えることであるなら、それが指標の付加という形式を踏もうと、
異質な結合として現れようと、あるいは、表現全体がそっくり、その姿とは別のあるものを暗示していようと、そういったてつづきの違いいかかわらず、必ず何かから何かへの移行が行われていると思われる。とすれば、文章の表面的な流れ、そごでいったん切れ、思考上の補いを受けて、ふたたび流れだすことになる。その切れめだけを取り出してみると、そこには観念上の乗りかえが見られるはずである。その際の観念の移行を「比喩的転換」と呼ぶことにする。』
2.比喩的転換の視点から中日五感形容詞の比喩表現
一口に比喩的転換とは言っても、それを見る角度によって、その種類は一様ではない。この部分では主に「比喩的転換」の「感覚の転換」を利用する。ある感覚系統から別の感覚系統への移行を「感覚の転換」と呼んでいる。前述した感覚の転換から見ると、ある感覚系統から別の感覚系統への移行は実現できる。このように五感覚間の移行は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感にかかわる「共感覚」と呼ぶ。そして、五感覚間の比喩表現は日本語では「共感覚比喩」と呼ぶ。中国語では“通感”と呼ぶ。
2.1 中日の共感覚比喩の定義
中国語の中に、共感覚は“通感”と呼ばれる。“通感”という言葉は英語の“synaestheia”の意訳に由来する。“syn_”というのは“一緒に”、“融合”という意味で、“_aesthesia ”は“感じ”という意味で、英語で言うと、“together pereception”という意味である。だから、「聴覚」という言い方もある。中国語の中に“通感”を最も早く取り入れたのは銭忠書氏である。銭氏は1962年に発表した<<文学評論>>の第2期の中で、“通感”という現象を詳しく述べた。“在日常经验里,视觉、听觉、触觉、嗅觉等等往往可以彼此打通或交通,眼、耳、鼻、身等各个官能的领域可以不分界限。颜色似乎会有温度,声音似乎会有形象,冷暖似乎会有重量”。人間が現実に知覚している感覚は多種多様であり、感覚固有の語彙だけでそのすべてを表現しつくすことができない。従って、その不足を補う一つの表現形式として、他の感覚領域の語を比喩的に転用することがある。このような意味転移は感覚形容詞の間に多く見られる現象である。それが共感覚転用、あるいは共感覚的比喩と呼ばれている。
2.2 共感覚比喩の体系
2.2.1 中国語の共感覚比喩的体系
図(一)
中国語五感形容詞の共感覚比喩の体系は日本語のと少し違っている。日本語五感形容詞の共感覚比喩の体系では、触覚形容詞はほかの形容詞からの共感を受けないものである。しかし、中国語では独特の体性感覚の比喩がある。体性感覚とは、つまり、五感の触覚に属するもので、体で感じる痛みや、疲労などによる肉体的痛みや不調などの感覚を表すものである。中国語において、このように味覚は体性感覚に共感覚が起こるので、触覚形容詞は味覚形容詞からの共感的比喩を受けることになる。図に示したように中国語五感形容詞の共感の体系に、味覚形容詞は一番中心になって、すべての感覚と共感が起こる。同時に触覚形容詞と嗅覚形容詞からの共感覚比喩を受けるから、両方の矢印になっている。
2.2.2 日本語の共感覚比喩的体系
日本語五感の共感覚について、山梨氏と国広氏はそれぞれ図によって示された体系がある。『比喩と理解』の中に、山梨氏は日本語の五感を表す語彙の比喩の体系を作り、「共感覚から原感覚の修飾関係が触覚から味覚、嗅覚へと一方向であり、この逆方向の修飾関係は認められない」と指摘した。山梨氏はその関係を次の表にまとめた。
図(二)
また、五感を表す語彙(特に形容詞)の間に生じる共感覚比喩という興味深い現象に関しては、国広氏が優れた見解を出している。共感覚的比喩の構成には明確な規則性が見られ、そのパターンに関しては、国広氏が感覚形容詞を中心に分析を行い、次のような「五感を表す語彙—共感覚比喩的体系」という体系図にまとめた。
図(三)
図から分かるように、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感の他、地元が加わって、合わせて六種の感覚語彙がある。各感覚間の転用の存在と方向は矢印で示されている。例えば、「触覚→視覚」は触覚を表す語が視覚に転用されるのを指し示し、「視覚→←聴覚」の場合は視覚から聴覚への転用と、その逆の聴覚から視覚への転用を同時に表している。
両氏の日本語五感の共感覚についての体系は大同小異で、ほぼ同じである。上の二つの図では矢印は共感覚比喩の方向性を示すもので、矢印の反対方向への比喩はできない。しかし、体系図に当てはまらない例もある。次の例を見てみよう。
(1)カジキは淡白な味だったのだろうと思われるが、「アジ」はトマトやカレーのやかましい味に負けず、しっかり出張していた。
(2)栓が甘いタイのボトルだったから、破裂したんでしょう。
例(1)では、音を表す「やかましい」という語を「くどくてこのましくない」味という意味に転用され、つまり聴覚から味覚への転用である。例(2)では味覚を表す「甘い」を「きつくない」「締りがない」という意味で用いられ、味覚から触覚への転用である。このような聴覚から味覚へ、または味覚から触覚への転用は、いずれも図2において示されず、矢印の引かれていないものであり、体系図に当てはまらない反例と言える。次のような日本語の五感形容詞の共感覚体系図を作った。
図(四)
両氏の体系ではどちらも一方的な「味覚→嗅覚」の比喩である。実際は表4に示した通り、相互比喩関係である。「焦げ臭い味がする」という比喩表現があるから。日本では嗅覚から味覚への比喩は個別でありながら、一応成り立つと思われる。中国語では味覚と嗅覚はとても緊密で、名詞である“味”という言葉自身も味と匂いの両方を表す。形容詞の“香”は嗅覚の香を表したり、味覚の美味しさを表したりするものである。
2.3 中日の共感覚比喩の用例と分析
2.3.1 中国の共感覚比喩の用例と分析
A 視覚
視覚語は視覚を表す語で、その意味転用には、「視覚→嗅覚」「視覚→聴覚」の二つのパターンが見られる。視覚形容詞は色彩を表す形容詞と明暗を表す形容詞からなっている。中国語は色彩形容詞からほかの感覚への比喩表現が一つも見つからず、共感覚が起こらないことが分かった。明暗を表す形容詞は聴覚に共感覚が起こり、中国語の視覚形容詞は嗅覚に共感覚が起こる。
①視覚→嗅覚
(1)绿园里幽幽的花香真令人陶醉。
“幽幽”は視覚において、“暗”と同じく弱い光や暗いことを表すものである。つまり、光線の弱い程度を表すものである。例文はかすかに香りを感じる嗅覚の比喩である。日本語にはこのような比喩表現が見られない。
②視覚→聴覚
(2)他的声音很亮。
(3)他声音很亮堂。
例(2)、(3)の“亮、亮堂”は声に使われるが、“明”は使わない。中国語の“亮堂”は響きのよいことを表し、声や音が大きいことにも使われる。中国語の聴覚に対する比喩は音質についての表現であるが、日本語は中国語と違って、声に潜んでいる感情を表すのである。日本語の「明るい」は楽しい感情、「暗い」は悲しい感情を表すが、中国語では「暗い」視覚は聴覚の比喩に使えない。
B聴覚
中国語では、聴覚の意味転用には主に「聴覚→視覚」が見られる。
①聴覚→視覚
(4)看他的眼神很安静,不像是出了什么事。
(5)手里拿着一把闹哄哄的满天星。
“闹哄哄”は聴覚では騒ぐ意味であるが、ここでは整理されていない様子を表す。
C嗅覚
中国語嗅覚形容詞は味覚と視覚に共感覚が起こるものである。中国語では香りを表す“香”とその複合形容詞はこのような共感覚の比喩を持っているが、“臭”とその複合形容詞はそのような使い方がまったくない。中国語の味覚形容詞は嗅覚に共感覚が起こるので、嗅覚と味覚とは、お互いに共感覚が起こる関係にある。
①嗅覚→味覚
(6)这肉很香。
“香”のように中国語においては、一部の語彙が味とにおいの両方に使われているものがある。味覚と嗅覚ははとても近い関係にある。美味しい食べ物はほとんどよい香りがする。逆によい香りがする食べ物は味がよいと言ってもよい。嗅覚形容詞の“香”は香りのほかに、味覚の表現もできる。このような共生関係によって嗅覚と味覚との共通の比喩ができたのではないかと思われる。
②嗅覚→視覚
(7)浓烈的颜色。
“浓烈”はにおいそのものを表すものではないが、香りが強いことを表すもので、その嗅覚程度の表現は視覚の色彩表現に転じられた比喩である。
D味覚
味覚形容詞の意味転用には「味覚→触覚」「味覚→視覚」「味覚→聴覚」「味覚→聴覚」の四種が見られる。中国語では“辣”、“酸”、“涩”な体で感じる痛みなどの感覚に使われている。このような感覚とはつまり、五感の中の触覚に属するもので、このような共感覚が起こる。
①味覚→触覚
(8)辣豁豁。
(9)两腿酸溜溜的。
(10)走了一天了,小腿肚有点酸。
例(8)~(10)は味覚から触覚の転用である。中国語では、“辣”、“酸”、“涩”などの体で感じる痛みなどの感覚は五感の中の触感に属するもので味覚から触覚の共感覚が起こる。例(8)~(10)が示したように味覚形容詞では主に“辣”、“酸”が痛みの比喩表現となる。もともと、刺されたような強い刺激がある味である。それは延長されて、非常に痛い感覚の比喩に転じたのである。例(8)のように、激しい痛みの場合、味覚形容詞の“辣”の複合形容詞で比喩表現できる。味覚の表現において、“酸”は“辣”に比べて、その刺激が弱い。感覚の比喩においても、疲れによる筋肉痛などのような弱い痛感、鈍い痛みやだるい感じを表し、“痛”より弱い痛みを表すことが多い。(9)~(10)のように、よく肩、腰、手、足、ふくらはぎなどの身体部位の疲れた時の表現に用いられるとか「だるい」とかの表現で表される。
②味覚→視覚
(11)我不喜欢图画颜色太浓,但垫比较好。
(12)颜色太酽儿。
中国語では味の濃淡など程度を表す味覚形容詞は色彩の比喩に使われる。例(11)、(12)は味覚から視覚の転用である。中国語では味覚がよく視覚の表現に使われることがある。“浓”は味覚の表現において、味が濃いという意味である。味のほか、においの方にもよく使われる。“淡”の本意は味が薄い、塩気がないことである。その意味が色の表現に転じて用いられる。例(12)の“酽”はもともと酒の味が濃いことを表す形容詞であったが、後に、お茶などの味の濃い濃淡から視覚の表現に転じたものである。
③味覚→嗅覚
(13)百合花香很浓。
(14)淡淡的花香迎面扑来。
(15)我仰起头,吸着那甜丝丝的香气。
(16)其味甘美。
五感の中には、味覚と嗅覚と一番関係が近いから、お互い通ずるものが多い。中国語では名詞の“味儿”は味を表すとともに、においを表すものである。例(13)、(14)は味の濃淡を表すと同時に嗅覚のにおいの濃淡を表すことができる。中国語ではにおいの比喩に一番よく使われている味覚形容詞は“甜”である。(15)、(16)は味覚のよい感覚はそのまま、においの比喩に延長して、よい香りに対して、“甜”を用いて表現する。
④味覚→聴覚
(17)他从后面喊了我一声“姐姐”声音甜甜的。
(18)声音甜滋滋的,叫人听了,心里真舒服。
(19)收银机起,传来播音员甜润的嗓音。
(20)电话那头传来他苦涩的声音。
味覚形容詞の本来持っている味覚のイメージがそのまま聴覚の比喩に転じたものが多い。つまり、よい味がよい音声に使われ、好ましくない味がいやな音声に使われる。例(17)~(19)は“甜”から派生した味覚形容詞である。中国語ではかわいい声と優しい声に対して、“甜”で比喩を表す。女性の声について、表現することが多い。日本語も「甘い」が声の比喩に使われる。「甘い」は味覚においてプラスとマイナス両方のイメージがある。それはそのまま、意味が延長されて比喩に転じる。中国語の“甜”は味覚において、マイナスの意味をほとんど持っていないから声の比喩に使われる時もマイナスのイメージがないのである。例(20)の“苦涩”は苦みと渋みが複合した味がいやな音声に使われる。
E聴覚
中国語では触覚から、味覚、視覚、聴覚への比喩があるが、嗅覚への比喩がまったく存在しないのである。日本語も同じような傾向を見せている。
①触覚→味覚
(21)啤酒味道挺柔和。
“柔和”は触感を表す形容詞である。その対義語は“硬”である。ここでは、ビールの味を表して、触覚から味覚の転用である。
②触覚→視覚
(22)这幅画颜色暖暖的。
(23)我很喜欢这种凉爽的颜色。
(24)冷冷的色调,别有一番滋味。
例(22)のように、赤い色などの暖かさを感じられる色彩は“暖”で表す日本語も同じように「温かい」や「暖かな色」という表現がある。なお、中国語にも、日本語にも同じような「暖色」という名詞がある。日本語には「温色」という漢語表現があるが、中国語ではそれが使われないようである。五感において、温度感覚を含む触覚は視覚に一番共鳴が起こりやすいものである。例(23)、(24)が示したように“凉爽”、“ 冷冷”などの温度を表す触覚形容詞で色彩を表すのは、触覚から視覚への転用である。
③触覚→聴覚
(25)他的声音冷冰冰。
(26)远方传来的歌声是在是冷森森的,越听越悲凉。
(27)声音很软。
(28)声音柔和。
例(25)、(26)が示したように、人の出した声や物音に対する温度を表す形容詞の比喩が温度感覚を使って、聞き手の感情を表す。この場合、寒い温度に対する不快感覚はそのまま音声から感じられる不快感に用いられるものである。また、中国語では優しい感覚や気持ちが感じられる音声に対して、よく触感形容詞“柔”と“软”などで表現する。つまり、触感の感覚で聴覚を表すのである。
2.3.2 日本の共感覚比喩の用例と分析
A視覚
日本語の視覚形容詞はその意味転用には、「視覚→触覚」「視覚→聴覚」の二つのパターンが見られる。
①視覚→触覚
(1)じめじめした地面には暗い肌寒い気流が二人の襟元へしみいれるようであるった。
(2)その夜に暗い風が吹いた。
例(1)と例(2)で見られるように、明度の低いことを表す「暗い」という語は「寒くて気味悪い」というマイナス意味を持ち、目に見えない気流や風に使われ、視覚から肌で感じる触覚へと転用されている。
②視覚→聴覚
(3)王さんはテニス部のキャプテンだが、彼の試合には黄色い声の応援が多い。
(4)死期の迫った病人が暗い声で呻いている。
(5)退院の近づいた病人が明るい声で笑っている。
“黄”は服飾において、大変な慎重されていた色である。皇帝の専用色でもある。日本語ではこのような色で声を表現するとても面白い比喩がある。「黄色い」はもともと色彩を表す視覚に属するもので、波長の長い、明度の高い色であり、人間に明るい感じを与えると同時に、不安定、焦燥感などをもたらすこともある。それは「鋭い声」が耳膜に刺激を与えることによって生じる苛立ちなどの不快感と接点を持つため、例(3)のように、女性の「鋭い声」という意味に比喩的に転用されるのであろう。例(4)と(5)では、視覚的に光の多少を表す「明るい」と「暗い」は、音が人間に与える印象を表現する語として用いられている。それは「明るい」のプラスイメージと「暗い」マイナスイメージという心理的な動きによる転用と見ていい。
このように視覚形容詞は視覚対象を表す基本義からそれぞれ触覚、聴覚という比喩的な意味へ移行するのである。
B聴覚
聴覚の意味転用には、主に「聴覚→味覚」、「聴覚→視覚」、「聴覚→嗅覚」、「聴覚→触覚」の四種類が見られる。音の性質や印象を表す聴覚形容詞の共感覚転用の例としては、「うるさい」、「やかましい」などの語がよく取り上げられる。
①聴覚→触覚
(6)伸びた前髪がうるさい。
②聴覚→味覚
(7) 塩の配分も絶妙だ。店によっては味噌が出張し過ぎて、「ちょっとうるさい」味になってしまうことが多い。
③聴覚→視覚
(8) 教授は学生の鋭い質問にものしずかに微笑だ。
(9) やかましい色は最小限にしたい。目だって入浴中は休めたいです。
④聴覚→嗅覚
(10)漢方薬のうるさい香りがナリを潜め、濃厚な本当のジャンファンデルが頭角を表す。
「うるさい」という語は音や声に対して心理的な強い不快感を表している。その不快感との類似性から、触覚、味覚、視覚、嗅覚へ転用される。例(6)では、前髪を伸ばし過ぎて、視線をじゃまする可能性もあるが、伸ばし過ぎた髪は眉やまぶたの辺りに触れたりして、こそばゆい触覚を起こす。これは明らかに聴覚の時、騒音に対して生じた不快感から転じてきた比喩表現で、中国語の聴覚形容詞にはまったく見られない比喩表現である。例(7)の「うるさい」は「さっぱりしない味」という意味で使われている。また例(10)では「うるさい香り」は「鼻につく」、「きつい強烈」な匂いを表している。「うるさい」という語の共感覚転用を支える裏づけとしては、不快というマイナス語感のほか、「さっぱりしない」、「おちつきがない」などといった意味特徴も働いている。
C嗅覚
嗅覚固有の語彙は数から言うとごく限られているが、その共感覚転用には「嗅覚→味覚」、「嗅覚→聴覚」、「嗅覚→視覚」の三つのパターンが見られる。
①嗅覚→味覚
(11)金臭い水を捨てます。
(12)水臭い酒。
②嗅覚→聴覚
(13)土臭いテンポに満ちたコンサート。
③嗅覚→視覚
(14)確かに彼は男臭い風貌をしている持ち主だ。
(15)土臭い身なり。
(16)彼は泥臭い格好で、公園を散歩する。
例文のように、日本語の嗅覚形容詞は視覚に共感覚が起こっている。鼻でにおいを嗅ぎわける嗅覚の表現を借りて、目に見える視覚的なものを表すのである。「くさい」は嗅覚の時、何かにおいがして、そのにおいを嗅ぎつけて物事の性質を判断し、区別することができる。いわゆる五感の一つの嗅覚を表すものである。「~くさい」という複合形容詞は人間やものの匂いをその性質や特徴と置き換えて、嗅覚を視覚と置き換えることによって、人間や物事の性質や特徴を具体的に表現する。いろいろな比喩的な用法が生まれている。例(14)の「男くさい」という嗅覚関係の語は「男らしい」という意味で、「風貌」という視覚的対象に使われている。嗅覚から視覚へ転用されている。例(15)~(16)は人の身なりや格好いついての比喩である。「田舎くさい」は農業をしていた人が土の匂いがすることから由来したものである。三つの例文を中国語に訳したら、“土里土气”が使われている。中国語では“土里土气”は「やぼったい」の意味で使われているが、嗅覚形容詞ではない。このように、嗅覚形容詞は味覚、聴覚、視覚へ転用されている。
D味覚
味覚形容詞の意味転用には「味覚→触覚」、「味覚→嗅覚」、「味覚→聴覚」「味覚→視覚」の四種が見られる。
①味覚→触覚
(17)自らが渋くてたまらあい
日本語の味覚形容詞が触感への比喩が非常に少ない、「渋い」は味覚の時、中国語と同じように、渋みにより、生じたざらざらした感じと軽い麻痺感から動きの鈍いことの比喩に転じたものである。
②味覚→嗅覚
(18)花の甘い香りが会場いっぱい仁漂っていた。
(19)甘酸っぱい花の匂いに満ちた大通りだ。
(20)香水の甘ったるい香りにふらふらした。
(21)酸っぱいにおいがする。
(22)この香水の香りは甘すぎてしつこい。
(23)山の新鮮な空気がうまい。
(24)美味しい空気を胸いっぱいに吸い込む。
例(18)の「甘い」という語は好ましい味覚を表しているが、「甘い匂い」という場合は、「心を酔わせる快い匂い」という意味を表している。つまり、味覚の甘いものを食べる時のよい感じは嗅覚の場合、香りをかぐ時の感覚と共感覚が起こる。例(20)、(21)のように「あまったるい」、「酸っぱい」などの味覚形容詞はにおいの比喩にも使われているのである。日本語ではほどよい香りには「甘い」が使われるが、強すぎていやになると、「あまったるい」が用いられて、味覚と同じように使い分けている。例(22)の「しつこい」は主に、味の程度を表現する形容詞であるが、「あじ」と「におい」両方に共感覚が起こって、においの比喩にも使われる。例(23)、(24)が示したように、空気の比喩表現は日本語の独特なものである。空気は無臭無味のものであるから、それについて具体的な味覚形容詞が使えず、「うまい」、「おいしい」のような味に対するプラスの評価の形容詞がその比喩に使われている。空気のよくない時の比喩に味覚形容詞は使わない。
③味覚→聴覚
(25)喫茶店では甘い音楽が聞こえる。
例(25)のような聴覚への転用も見られる。日本語では、声について、味覚形容詞を使う場合、味の感覚をそのまま比喩に使うのが一般的である。昔、砂糖などの甘い物が容易に手に入らなかった時代には「甘い」味が人に与えた感動は大変なものであった。そのため、「甘い」味は感動だけでなく、好感を持つもののの比喩にも使われている。日本語は声について親切そうに感じられた時、愛嬌が感じられる時に「甘い」でその声を表現する。
④味覚→視覚
(26)話を聞いて彼は苦い顔になった。
(27)疲労の色が濃い。
例(26)では「苦い」は思わず顔をしかめたりする不快な味を表し、苦いものを食べた時の不快感を介して、「表情」や「顔」など視覚対象を表すようになる。味覚から視覚へ転用される。例(27)は疲れている時の顔の表情について、色の濃淡を表す「濃い」で比喩表現をするのである。
このように、味覚を表わす形容詞は触覚、嗅覚、聴覚、視覚へ転用されている。
E触覚
日本語の五感形容詞の共感覚においては、触覚から味覚、視覚、嗅覚、聴覚への比喩がある。
①触覚→味覚
(28)この果実に新鮮な軽い味がある。
(29)熟成にすると柔らかい味を持っている。
例(28)の「軽い」は「重さがわずかである」という意味を表わす触覚語であるが、「程度が低い」「強くない」という意味特徴が含まれているため、味覚へ転用されることがある。「味が軽い」という場合は、「塩気の少ないあっさりした味」という意味を表している。例(29)では「柔らかい」は「硬い」に対する触覚語であるが、「刺激がない」「強くない」という意味特徴が含まれ、プラスイメージを持っている。「柔らかい味」という使い方は「まろやか」、「穏やか」という意味で味覚に転用される。
②触覚→視覚
(30)赤や黄色は暖かい色だといわれている。
(31)暖かな日差し。
(32)硬い表情である。
(33)柔らかい光が視界で踊っている。
色を表す時に「暖かい」と「暖か」はもっともよく使われる。例(30)の「暖かい」という語は温度感を表す語であるが、赤やピンクなど暖色系の色を表すこともある。それは赤やピンクのような色が暖かい感じを与えるという心理的な動きがあるから、「暖かい色」の使い方のように視覚への転用ができたのであろう。例(32)の「硬い」は「柔らかみがない」という特徴から表情や顔などの視覚対象に使われている。例(33)の「柔らかい」という触覚語彙は程度がはなはだしくない刺激が少ないという意味が含めれている。「柔らかい光」は刺激が少ない眩しくない光という意味を表し、触覚の意味から視覚へ転用されている。
③触覚→聴覚
(34)涼しい音を立てて、今日もまた川は流れている。
(35)滑らかな声。
(36)しばらくして、足音がゆっくり近付いてきた。重い足音。
触覚から聴覚への転用には多くの例が見られる。日本人が暑い夏に流れている水を音を聞いて涼しさを連想することから、このような比喩が生まれる。また、風鈴などの音に対して「涼しい」が使われる。例(35)では、音声は聴覚なのであるが、ここでは触る時に起こった感覚を聴覚に転用し、音、話し声などを表現する。触感が比喩に使われる時柔らかい」などでよい感覚を表し、プラスの意味で使われる。例(36)では、触覚の「重い」という語が「音」に使用される場合は、重いものがぶつかったりする時に発するような「深みがありよく響く音」という意味になる。触覚から聴覚への転用である。このように、「涼しい」、「重い」などの触覚語は音の性質や強弱を表現するのに使われ、触覚から聴覚へと転用されていく。
④触覚→嗅覚
(37)鋭いにおい。
例(37)の「鋭い」という語は、切れ味よく刺激するような触覚を表しているが、
「鋭い匂い」の場合は、「刺激の強い匂い」という意味を表し、触覚から嗅覚へ転用されている。「強く刺激する」という両者が共通している意味特徴によって、転用が成り立ったのであろう。
このように、触覚はそれぞれ味覚、嗅覚、聴覚、視覚へ転用されている。
Ⅳ、結び
1. まとめ
本稿は四つの部分から構成されている。「結び」の部分を除いて、本論を三つの部分に分けて論じた。多くの参考文献や先行研究を参考したうえ、中日両語の五感形容詞の比喩表現を対照しながら考察することを通して、日本語と中国語のそれぞれの特色を研究する。
中日両言語における比五感形容詞の比喩表現について、本稿は主に、隠喩の視点と比喩的転換の視点から、対照研究を通して、用例の特色を分析している。具体的には、隠喩の視点から、五感形容詞の比喩表現は五感形容詞の本義から転移された意味の変化と変容は五感形容詞の比喩表現である。この意味での比喩は隠喩のことである。この部分には、中日の五感形容詞と五感覚以外の隠喩表現を感情の隠喩表現、状態の隠喩表現、性質の隠喩表現、ほかの隠喩表現という四つの種類に分けて、代表的なものを取り上げて、それぞれの構成と意味の特徴を分析してみた。具体的に言えば視覚形容詞には“明亮”、“昏暗”、「明るい」、「暗い」、聴覚形容詞には“吵闹”、“静寂”、「うるさい」、「やかましい」、嗅覚形容詞には“臭哄哄”、「臭い」、味覚形容詞には“甜”、“辣”、“咸”、「甘い」、「辛い」、触覚形容詞には“热”、“软”、“硬”、「熱い」、「柔らかい」などがある。比喩的転換の視点から、本稿は主に、「比喩的転換」の「感覚の転換」を利用する。「感覚の転換」から見ると、ある感覚系統から別の感覚系統への移行は実現できる。そして、五感覚間の比喩表現は日本語では「共感覚比喩」と呼ぶ。中国語では“通感”と呼ぶ。この部分には、、中日の共感覚比喩の定義、体系、普遍規律及び共感覚の発生の基礎を論じた。そして、中日の共感覚比喩の用例と分析を通して、中日の共感覚比喩の異同を出した。
2.今後の課題
本稿はただ隠喩の視点、比喩的転換の視点から着手して、中日両言語における五感形容詞の比喩表現の対照研究を進めた。時間と能力の制限で、不十分なところがまだあると自省している。対照研究を一層深めるために、もっと多角度の視点から考察する必要がある。本論文は五感形容詞を中心にし、比喩表現を研究したが、五感形容詞に関する比喩表現は幅が広いので、触覚、嗅覚、味覚、聴覚、視覚のそれぞれの研究分野が非常に深いものである。だから、それらの分野の研究をそれぞれ中心にして、詳しく研究する必要がある。これを今後の課題としたい。
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武藤彩加 『味覚形容詞「甘い」と「辛い」の多義構造』「日本語教育」110号
金田一京助(1997) 『新明解国語辞典』 第5版 三省堂
飛田良文 浅田秀子(1991) 『現代形容詞用法辞典』 東京堂出版
新村出(1980) 『広辞苑』 岩波書店
中村明(1995) 『感覚表現辞典』 東京堂出版
森田良文(1989) 『基礎日本語辞典』 角川書店