研究計画書
研究テーマ:
海派京劇の形成と繁栄におけるメディアの役割―『申報』を中心に
(1)研究計画の概要:
①研究動機と目的:
京劇は中国で最も広く普及し、最も大きな影響力を持つ古典戯曲であるといえる。しかし、京劇は全国範囲で伝わっていた過程に、地方性のある流派が形成しなかった。上海地方だけに、自分なりの芸術的な特色を持つと言える京劇の流派―「海派京劇」が形成した。
アヘン戦争の後に、上海で最も流行る戯曲が昆劇であったが、その地位がすぐ徽劇によって取り替わられた。19世紀60年代に、京劇は上海に進出し、徽劇の代わりに、上海の戯劇界の主導権を握る戯曲となった。この時期に、『南京条約』により開港された上海はイギリス租界、フランス租界、日本租界、アメリカ租界が設置されて、外来文化が進出してきて、地元の文化と融合し、華やかな都市的風貌や豊富な人文資源を持つ上海流文化―「海派文化」が形成した。北京から導入した京劇を母胎として、このような自由・開放的な文化的雰囲気の中に、他の戯曲と融合し、舞台、道具を重んじる「海派京劇」が形成した。
当時の上海では、新聞、雑誌、ラジオ、映画などのメディアが充分に発達した。海派京劇は芽生えから繁栄までの全過程に、それらのメディアと緊密な関係を持っている。例えば、1904年、汪優游らは中国最初の戯曲雑誌『二十世紀大舞台』を創刊し、1928年に、上海伶界連合会は機関紙『梨園公報』を創刊し、海派京劇の発展に欠かせない影響を与えている。そして、最初に海派京劇と縁を結んだ新聞は1872年4月30日に創刊された『申報』である。『申報』は創刊初期からずっと京劇を注目していて、戯園、劇目、京劇俳優、出演体制に関わる文章が多く掲載されていた。特に、『申報』は中国新聞史上の初めての戯曲広告を掲載した(1872年5月13日の『各戯園戯目告白』)。
『申報』は近代中国において最も発行期間の長かった新聞として、強い影響力を持っている。『申報』に掲載された戯曲関係の広告、報道は海派京劇の研究にとって、重要な史料である。林幸慧(2008)は『申報』の戯曲広告を史料として、19世紀後期の上海劇界のありさま、海派京劇の発展史や特徴を考察した。しかし、このような先行研究は主に『申報』を通じて、海派京劇の歴史、芸術的特徴を解明するものである。メディアと戯曲の関係の視点により行われた研究がまだ少ない。
したがって、本研究は戯曲の発展とメディアの関係を着眼点として、まず、先行研究を踏まえて、戯曲とメディアの関係及び戯曲発展におけるメディアの位置づけについての理論的枠組みを構築し、次に、1872年から1940年にかけて、『申報』に掲載された海派京劇に関わる広告や報道、および海派京劇の発展状況を考察し、海派京劇の形成・繁栄にメディアとしての『申報』がどのような役割を果たしているかを解明することを目的としている。
②研究方法:
本研究は主として文献調査の方法を利用する。
具体的には、まず上海図書館やインターネットのデータベースを利用して、1872―1940年に出版された『申報』を収集して、海派京劇の演出劇目を予告する広告、戯園や京劇俳優を宣伝する報道、海派京劇の劇目や俳優に関わる評論などの文章を年次に整理する。
次に、海派京劇に関わる先行研究を収集し、その芽生えの時代背景、発展史、芸術風格、演技体系、京派京劇との比較などについて詳しく考察する。
上述のようん文献調査を通じて、1872-1940年における海派京劇の歴史的変遷を幾つかの時期に分けて考察し、各時期の『申報』における広告、報道の種類や数量を解明し、海派京劇の宣伝、戯団の良性競争、芸術風格の形成・定着において、『申報』がどのような役割を果たしているかを検討する。
③研究スケジュール:
1年次:入学した後、指導教員と相談し、研究計画書の実現性や問題点を見直してもらう。そのうえ、研究計画書を修正し、再び提出する。そして、文献調査のために、関連する史料・文献を収集して、考察する。
2年次:論文の枠組みを決定し、中間発表の後に、修士論文の初稿を執筆する。指導教員のご指導の下で、論文の修正を行う。最後に、完成した修士論文を提出する。
(2)先行研究へのレビュー:
銭久元(2006)は「1967―1900年」「1901-1941年」「1941-1978年」「1978年以後」という四つの時期から、海派京劇の発展歴史を考察し、海派京劇の形成・発展の要因を解明し、海派京劇の劇目・演技方式・舞台美術を考察し、海派京劇の美学特徴を検討した。
林幸慧(2008)は『申報』の戯曲広告を通じて、京劇を中心に、19世紀後期の上海劇界のあり方を考察し、戯園を主軸に京劇が上海に進出した後、上海劇界の変容を解明し、劇目をめぐって京劇の発展や特徴を検討し、そのうえ、海派京劇の形成が京劇史上どのような意義があるかを解明した。
張福海(2015)は海派京劇の形成を清末民初の上海における戯曲改良運動の一環として捉え、「「海派」というのは北京を中心とする京劇、即ち「京派」「京朝派」を意識し、付けられる呼称語である。「海派」には二つの意味がある。一つは規範された京派京劇の節回しや演技方式に従わなくて、より自由な演技方式を採用したこと、もう一つは京派京劇の芸術風格と演技体系を打破し、写実的な手法を用いて、革新的な演技方式を創出したことである。」と指摘し、「道具(真刀真槍)」「舞台美術(機関布景)」「音楽」などの方面から、海派京劇の芸術的特色を考察した。
上述の先行研究は主として、海派京劇の歴史と芸術的特徴を整理したものである。姚小鷗・陳波(2004)は広告にあるメディア特性の視点により、『申報』の戯曲広告が海派京劇の発展に与えた影響を検討した。
姚・陳の研究によって、『申報』の広告は海派京劇の発展に、積極的な影響を及ぼした一方、消極的な影響をも与えていた。当時の上海に、新聞業が非常に発達していて、京劇戯団と俳優は新聞の広告を利用して、自分を宣伝する意識も強かった。それで、新聞は広告費を稼ぐために、虚偽宣伝をした場合があった。ある程度で、海派京劇の商業化を進展させた。それにしても、『申報』の戯曲広告は海派京劇の「名角挑班制」の形成と発展を促進させた。「名角挑班制」というのは、簡単に言えば、有名な京劇俳優及びその代表的な劇目を戯団の看板とする出演体制である。「名角」による特有の芸術風格の形成、良性競争の促進、宣伝効果の向上などによって、この体制は海派京劇の発展を促進した。こうして、『申報』の戯曲広告はある程度で、海派京劇の発展を促していた。
姚・陳(2004)は『申報』と海派京劇の相互関係を着眼点にして、戯曲広告が海派京劇の戯団出演体制に対して与えた積極的な影響を考察した。本研究は、このような先行研究を踏まえて、『申報』の広告だけでなく、戯曲や俳優の評論、報道が海派京劇の出演体制、芸術風格の形成・定着、舞台美術、道具などの諸方面に対する影響を考察する。
参考文献:
銭久元(2006)『海派京劇的奥秘 銭久元博士学位論文及劇作選』合肥:合肥工業大学出版社
胡暁軍・蘇毅慎(2007)『戯出海上:海派戯劇的前世今生』上海:匯文出版社
林幸慧(2008)『由申報戯曲広告看上海京劇発展1872-1899』里仁書局
張福海(2015)『中国近代戯劇改良運動研究 1902-1919』上海:上海古籍出版社
姚小鷗・陳波(2004)「≪申報≫的戯曲広告与早期海派京劇」『現代伝播』01期 P53-56
趙維国・陳佳(2009)「≪申報≫与晩清海派京劇的伝播」『上海戯劇学院学報』第4期 P77-85
王省民(2016)「従≪申報≫看京劇名伶周信芳的表演」『中国戯曲学院学報』37(3)P76-81