
1.学位論文の内容の要旨
1991 年 際社会においてソビエト連邦の崩壊という大きな歴史的転換をもたら
す年となった その流れの中で 旧ソ連の 衛星 であった社会主義 モンゴルも
1990 年 社会主義イデオロギーを放棄し 民主主義 市場経済という新しい枠組みの
中で再スタートを切った 以来 モンゴル はかつてない社会変動にさらされている
このような状況の中で モンゴルの尐数民族も社会変動の波をまともにかぶり 大き
な影響を受けている
旧社会主義圏では 複雑な民族関係がロシア主義的な秩序のもとで 強権により安
定が維持された。尐数民族が抑圧される一方 民族間題の存在が否定された しかし
社会主義崩壊を契機に 解決された はずの民族問題が表面化し 民族関係は混沌とし
た状態に陥った 民族紛争が予想されなかったモンゴル でも民族間の対立が見られ
たのである
近年 このような 外部から閉ざされ 社会主義体制を経験した ポスト社会主義社
会 を対象とする研究が進められているが 西側陣営を中心に発展してきた 人類学
の理論と方法で研究する際に注意が必要である 人類学者は様々な観点から 社会主
義 を冷静に見直し 事実を堀り起こし 社会主義体制下の状況とその後の変化
を追い そして 現場に最も密着し [佐々木 2007]なければならない。
本論文では このような問題意識を踏まえ 特に 1990 年代以後の民主化 市場経済
化における モンゴルの カザフ人のカザフスタンへの移住 伝統文化と民族アイ
デンティティの復興 エスニック関係 という 3 つの問題に注目しつつ モンゴル
におけるカザフ社会の動態を文化人類学的に分析した
本論文は 8 つの章から構成されている 前半は文献研究 後半は主として現地調査るデータに基づいている 序章は このケース スタディの舞台である西部地域の
バヤンウルギ一県におけるカザフ社会の概要について また 本研究に至る問題意識
について論じている 第1章は モンゴルのカザフ人の社会形成と移動の歴史を3期に
分けて記述し モンゴルのカザフ社会の生成について論じている 第 2 章では 1990
年以後のカザフ人によるカザフスタンへの移住に 点を当て 移住の背景 移住の実
態について論じ モンゴル系カザフにとっての移住の意義と影響について論じている
第 3 章では フィールドワークに基づいて バヤンウルギ一県トルボ郡のカザフ牧民
の事例を中心に カザフの遊牧生活 社会と文化の基本的な枠組みを提示し 検討して
いる 第 4 章では カザフ社会における日常生活の変化を 市場経済化 カザフスタン
への移住 イスラームの復興に 点を当てて論じている 第 5 章では 社会主義期とポ
スト社会主義期におけるカザフ社会のエスニシティ変動を論じている ヤスタン(
家に統合されている mainority ethnic group)からウンデステン(nation) への変動 モ
ンゴル西部における地域的マジョリティであるカザフとモンゴル系マイノリティ集
団の軋轢と調整などに関し 移住 と関連づけて分析している。第 6 章では 「ナウ
ルズ(新年) と 鷹匠の祭 を取り上げ カザフ社会における伝統文化とアイデンティテ
ィの復興の実態を論じ エスニシティ変動の具体的な表れとしてのカザフ社会と文化
の動態を分析している 終章では カザフ社会における伝統文化とイスラームの復興
及びエスニシティ変動について モンゴルの 家体制の変革(社会主義から民主主義
市場経済化) モンゴル政府の尐数民族政策 カザフ社会やモンゴル系マイノリティ
集団による民族運動 カザフスタンへの移住 カザフスタンとモンゴルの 2 間関係
他のイスラーム諸 との関係などと関連づけて分析している 2.学位論文の審査の要旨
■全体的評価
本論文は 研究科の大学院生として在籍した5年間と 退学後の3年間に モンゴル西
部のカザフ居住地域及びカザフの移住先であり 歴史的祖 であるカザフスタンに
おいて度重なる現地調査を実施し 膨大な文献資料にもあたり 多くの刊行論文をベ
ースにして まとめられた 本論文は モンゴル 西部に居住するマイノリティである
カザフ と呼ばれるチュルク系の人々の社会の動態に関する文化人類学的考察であ
る モンゴルの カザフ はマイノリティでありながら 集住するモンゴル西部のバヤ
ンウルギ一県においては モンゴル系の諸民族に対してローカルなマジョリティの立
場にある モンゴルは1990年以後 社会主義を放棄して民主主義 市場経済を取り入れ
た 一方 1991年にソビエト連邦の崩壊によって独立したカザフスタンは ナザルバエ
フ大統領の下 カザフ化を進めるためモンゴルのカザフの 内への移住を奨励して受
け容れた そうした大きな社会体制の変革や 際関係の変化の中で モンゴルのマイ
ノリティとしての カザフ社会 は 大きな変動を経験してきた 市場経済化による遊
牧生活の変化 カザフスタンへの移住 イスラーム信仰及び伝統文化の復興 モンゴル
におけるエスニック関係の変化(すなわち ヤスタンからウンデステンへの変化) 西
部地域のモンゴル系エスニック諸集団(マイノリティ)との軋轢と調整などである 本
論文では 綿密な調査と膨大な資料によって そうした カザフ社会 の変動のプロセ
スを通時 共時的に明らかにし エスニシティ論の視点から分析したものである
この論文の学術的価値について 以下の点が評価できる
①まず 資料的価値が高いこと モンゴルのカザフ社会の実態を明らかにした実証的
な研究はたいへん尐ない中で 綿密な現地調査に基づいて行われた本研究には貴重な氏 名 スヘ一 バトトルガ
(SUKHEE BATTULGA)
学 位 の 種 類 博士( 際文化)
学 位 記 番 号 甲第4号
学位授与年月日 平成20年9月30日
学 位 論 文 題 目 ポスト社会主義モンゴルにおけるカザフ社会の動態に関
する文化人類学的研究
審 査 委 員 主査 愛知県立大学教授 稲村哲也
愛知県立大学教授 杉山三郎
愛知県立大学教授 加藤史朗
神戸大学大学院教授 駿河輝和
1.学位論文の内容の要旨
2.学位論文の審査の要旨
3.最終試験の結果の要旨および担当者誌的価値がある。なお 現地調査は 2001年5月 8-9月 2002年8-9月 2003年7月
2004年7-9月 2006年3 8-10月 2007年8月の計8回に及び モンゴル 西部のバヤン
ウルギ一県 カザフスタン等で行っている
②1990年まで 社会主義の 々における社会科学的研究は 社会主義理論に基づいた
視点からの研究に限られ またその東側地域内の研究者以外にはアクセスが困難であ
った その意味でも 社会主義時代からポスト社会主義時代への大きな体制転換にと
もなう社会の変動を扱った本研究には大きな意義がある
③研究の内容についても 独自の綿密な調査と文献に基づいて 社会主義から民主
主義 市場経済への移行 カザフスタンの独立とカザフ主義政策に関る移住 を大き
な社会背景としてとらえ その状況下における イスラーム信仰及びカザフ伝統文
化の復興と民族アイデンティティの高揚 などのエスニシティの問題を扱うとともに
さらに モンゴルではマイノリティでありながら ローカルな地域内ではマジョリテ
ィを占めるカザフと ローカルな地域内でマイノリティであるモンゴル系エスニッ
ク グループとの関係 まで包括的に議論し 分析した点は オリジナリティ 新たな問
題提起を有し 学会へ貢献するものとして評価できる
④モンゴル人の研究者(現地研究者)が新しい研究ディシプリンに基づいて 自 のモ
ンゴルをフィールドとして研究したことにも大きな意義が認められる。
■コメント①:楕円構造的フィールドワークと複眼的視座
スターリンによる集団化政策は 農民だけではなく 遊牧民にも及んだ こうして
遊牧コルホーズや遊牧ソフォーズが成立した 1950年代のモンゴルにおけるネグデ
ルの成立とは ソ連のコルホーズに倣った 遊牧民の集団化に他ならない しかし
1991年にソ連が崩壊すると コルホーズも解体され それに連動するかのように ネグ
デルも解体されて家畜の私有化が始まった こうした大変動に研究者たちも大きな関寄せてきた わが においても 高倉浩樹による『社会主義の民族誌』 (東京都立
大学出版局 2000年)を嚆矢として ポスト社会主義時代の遊牧世界の変動を調査対
象とする研究が相次いだ しかし 大方の研究は 旧ソ連圏の特定地域にフィールドを
絞り込み その地域の社会構造の変化をテーマとしている もちろん 際関係とりわ
けグローバル化の視点は いずれの論文も必須の要件としているが 対象地域が 定
化されているという点では 同心円的なフィールドワークに留まっている
バトトルガ氏の論文は こうした日本や世界の先行研究をまず 整理しながら 全く
新しい視座を確立している すなわち 当該論文は 二つの 点をもった楕円構造的フ
ィールドワークにより生み出されたという特徴を有している 点の一つはモンゴル
の西部に位置するバヤンウルギ一県である ここでは 現在 モンゴルの中のマイノ
リティであるカザフ人が9割弱を占め 地域的なマジョリティとなっている 一方 も
う一つの 点は カザフスタンにおけるモンゴル系カザフ人のコミュニティである
もともとソ連時代のカザフ共和 は 総人口の半分以上がロシア人など非力ザフ人で
あり、ソ連時代の末期より モンゴルに住むカザフ人の移住が行われてきた さらに、
ソ連崩壊後 モンゴルからの移住者は カザフスタンから流出し始めていたロシア人
やドイツ人のスペースを埋める役割を果たすようになった だが カザフスタンその
ものにおけるコルホーズ解体は 移住者の失業を生み 相当数のカザフ人が再びモン
ゴルに帰 するという現象が見られた こうした双方向的な動きの中で カザフ人の
イスラーム化が急速に進行し モンゴル系住民との対立も増した。論者は これらの複
雑な変化を遊牧生活の形態 イスラーム信仰 祝祭などの複眼的視座から動態的に把
握しようとしている 何年にもわたるフィールドワークから得られた膨大な情報は
まさに傾聴に値するものだと言えよう
■コメント②: 合わせ鏡 の効果がもつ研究の深まりと不透明性でに述べたように 論者は モンゴルにおけるカザフ人社会の変化を 旧ソ連構成
共和 であったカザフスタンとソ連の衛星 の一つモンゴル のカザフ人社会とい
う二つのフィールドに跨って調査している そこに自ずから 合わせ鏡 のような効果
を見ることが出来る お互いに情報をそれぞれ別のフィールドに投影することによる
限の研究の深まりを予感させるからである グローバル化の中で モンゴル にお
いて 一つのウンデスタン(ネーションに近い概念)と多数のヤスタン(マイノリティ
エスニック集団に近い概念)が存在していると認識されていたが 現在は 二つのウン
デスタンと多数のヤスタンという認識に変わりつつあり そうした中で 対立から共
存へという可能性も模索されている。論者は イヌワシ文化やナウルズ(旧正月)を巡
る祝祭や儀礼の試みを分析する中で そうした共存への傾向を見事に析出している
■課題
一方で グローバル化とローカル化の問題点を文化人類学的な手法で 十分腑分け
しているかと言うと 若干の疑問も残る そもそも動態とは 不安定なものであり さ
らに 合わせ鏡 の効果は 研究の深まりという可能性を与える一方 問題を複雑化さ
せ 透明性を損なう危険性を孕んでいる 言い換えれば 理論と現実との齟齬が常に表
出されざるを得ないという側面をもっている そうした中で ターミノロジーの揺れ
は 最小限にしなければならない 例えば エスニシティに関する定義は 何度か繰り
返され それはそれで分かりやすく結構であるが 我々の大多数にとって初耳ともい
える カザフ語やモンゴル語の用語については もう尐し 配慮が欲しかった。一例を
挙げれば モルダという宗教指導者を表すカザフ語が アラビア語のイマームに当た
る語であるという指摘など 論文の始まりの部分で明示すべきであろう またキリル
文字とラテン文字の表記に 明確な原則が示されるべきである 以上 些末な点で若干
の注文はあるが それらは いずれも 当該論文の学術的価値を毀損するものではないは 改めて言うまでもないであろう
文化人類学的な理論的考察という点に関しては ジェネラルなエスニシティ論の先
端的な議論に充分寄与できる素材であるが 本論文では そのような理論的な考察ま
でには至っていない。それは今後の課題として残されている
本論文を審査し スへ一 バトトルガ氏の研究が課程博士号授与に十二分に値する
成果を挙げていることを確認するものである 3.最終試験の結果の要旨および担当者
(試験結果の要旨)
本学学位規程第9 10条にもとづき 学位請求論文について審査を行い 平成
20年6月27日に 学力の口頭審査を公開で行なった結果 論文の内容 研究業績
研究に関する見識ともに優秀であり かつ 今後の研究を進める能力も充分であるこ
とを確認した 博士( 際文化)の学位の授与は適当であると認められる 学位規程1
1条にもとづき ここに報告する
なお 申請者は博士後期課程に3年在学し 所定の単位を取得しているので 外 語
の試験を省略した
報告番号 第 4 号 氏 名
スヘーバトトルガ
(SUKHEE BATTULGA)
試験担当者
主査 愛知県立大学 教授 稲村哲也
愛知県立大学 教授 加藤史朗
愛知県立大学 教授 杉山三郎
神戸大学大学院 教授 駿河輝和