日本語の別れ言葉について
「要旨」:日本語には分かれ言葉がたくさんあるけど、分かれる場合なら勝手に使っていいというわけでもない。それぞれの場合に限られる。例えば、「さようなら」は分かれ言葉の代表とされてけど、小学生に「友達、仲間」という関係を表すためによく使われる以外にはあまり使われない。
「キーワード」:分かれる、分かれ言葉、励ます、謝る。
一、「前書き」日本人が生活の中で場合によって慣用語がたくさんある。例えば、食事前に「いただきます」、食事後に「ご馳走様」を言う;朝に会うとき互いに「おはようございます」を言うなどのように、場合によって言い方が違う。日本人の分かれ言葉の特徴、使い方、場合について、本文が具体的に分析、整理して、日本語勉強者に規律的なものを提供しようである。
二、分かれ場合
作者が日本で何年間も勉強し、生活してきた。日本での最後の幾年、EF市の環境局でバイトしていて、周りの人と仲良くなった。帰国するたびに、友達にお菓子とか送ってもらって、それに「気をつけて行っておいて」或いは「気をつけて行っていらっしゃい」と言われた。言い方が違うけど、意味が同じで、「戻る」を前提として言ったわけである。でも作者が自国で就職を決めた後、帰国する当日そう言った友達が一人もいなかった。「気をつけて行ってください」とか「お元気で」とか、すべて「戻る」を前提としていなかった。
水谷修がその論文「別れの言葉」で「別れが場合によって内容が違う」と言った。戻るを前提としての分かれもあれば、それを前提としていない分かれもある。それぞれの場合はそれぞれの分かれ言葉があって、当事者の場合によって気持ちも違うことを表す。次は「戻る」と「戻らない」を前提として、いくつ場合の分かれ言葉を重点に分析する。
三、「戻る」別れ
1.「行ってきます」と「行ってらっしゃい」は朝通学、通勤する人と家族間話である。それ以外に、社員は会社からほかのところに行くときもそう言う。それに、場合によって、例えば、上司がいるとき、「行ってまいります」になって、もっと丁重になった。「行ってきます」、「行っていらっしゃい」と「ただいま」、「お帰りなさい」は日本人の家族の間で「分かれる」と「帰る」時の慣用語である。作者はこれが人間性化な言い方だと思う。これについて、次の節にも説明する。
2.水谷修はその論文には個人の経験も挙げた。彼は朝通勤の途中によく行く喫茶店が2軒ある。コーヒーを飲ん出から会社に行くとき、ある店は「行っていらっしゃい」というのに、そのほかの店は「また、どうぞ」という。味は同じぐらいけど、時間が経つと「行っていらっしゃい」をいう店に行く回数が多くなる気がした。作者が原因が簡単だと思う。「行っていらっしゃい」は家族の話なので、親しみが感じられる。飲食業はこういう言い方をすれば、客さんに親しみをあげるから、水谷先生がよくその店に行くのが当然になった。
日本ではどんなレストラン、スーパーでも、ドアに入ると店員が腰をかけて「毎度ありがとうございます」をいう。それが機械的な行為で、客さんから対応を期待するわけではないので、まっすぐ店に入ればあるいは出ればいいというわけである。
3.「ちょっと」
「ちょっと」は副詞としてたくさんの形容詞と動詞を修飾して、さまざまな言い方になる。「ちょっと」その語自身は「分かれ」の意味がないけど、後ろの分かれ言葉と一緒になるときだけ、分かれの意味になる。でも、日本語では特に口語ではよく動詞を省略するので、「ちょっと」は「分かれ」の意味になる。例えば、会議中とか授業中にトイレに行きたいとき、「ちょっと失礼します」とか「ちょっと行ってきます」とかを言うのが完全だけど、日本人はよく「ちょっと」を言って、後ろを省略する。それが、日本人は話す途中で話を止めて、相手に考えると判断する余地をあげる習慣があるから。
4.「失礼します」、「お疲れ様でした」と「ご苦労様でした」は上下の差別がある
作者は日系企業で勤める期間、一番印象に残ったのは朝出勤するときと仕事が終わって家に帰るとき、会社員の挨拶である。朝は「おはようございます」、「おはよう」と「おす」という三つの言い方がある。その三つは同じ意味で、敬意がちょっと違う。「おはようございます」は一番鄭重で、「おす」は一番鄭重ではない。朝の挨拶のように、夕べの挨拶も特徴がある。先に行く人は「お先に失礼します」と「お先に」の二つの言い方がある。同じ意味だけど、「お先に」は省略な言い方で、下の人にしか使える。上の人には「お先に失礼します」を言わなければならない。その先に行く人に、まだ残っている人も対応ないい方がある。即ち「お疲れ様でした」と「ご苦労様でした」である。前のは上役に使い、後ろは後輩に使う。
5.相手を励ます「がんばってね」
「がんばってね」は動詞「がんばる」からきたもので、その自身は分かれの意味がないけど、分かれの場合、相手をその以後によく勉強と勤めるように励ますのによく使われる。例えば、作者が帰国するときに、ある女性の友達が「がんばってね」を言った。
6.お詫びする「ごめんください」と「すみますせん」
日本人は感謝するときだけではなく、分かれるときにもよくお詫びの言い方をする。例えば、小野寺、岡本などは論文で日本人が電話で相手と別れるときもよくお詫びの言い方をする。日本人が灰汁が抜けて、人と付き合うときできるだけ間違えないので、間違えなくても謝って、自分に後道を残ると、分析する人もいる。
7.そのほか
上に述べた以外に、日本語ではたくさんの分かれ言葉がある。例えば、毎日会って、親しい人たち、特に若者ではよく「じゃね」、「またね」、「バイバイ」などで別れを告げる。多くの人は夜に別れるときは「お休みなさい」で別れを告げる。
四、「戻らない」別れ
1.卒業
卒業は当事者と先生にはちょっと悲しい気持ちがあるけど、その積極なものもある。ですので、卒業式では先生は生徒たちに「卒業おめでとうございます」をいう。生徒たちは在校期間先生が自分の世話を見るのを強調して、感謝する言葉をする。先生は生徒たちにそれからの希望を強調して、「必ずビッグになってください」とか励ます言葉を言う。
2.結婚
伝統的な日本社会では結婚式は嫁さんのお父さんにとっては娘との別れを意味する。水谷はその論文で、娘は父親に「お世話になりました。ありがとうございました」を言って、父親は涙を忍んで、「一旦嫁いだからには、もう二度とこの家には戻ってくるな」を言う。今の父親は正直になって、涙を落とすする人もいれば、「いやだったら、何時でも帰ってこいよ」を言う人もいる。何も言わず、「じゃあな」を言う人もいる。
3.退職
退職は仕事と分かれるを意味すると同時に、老年生活に入るという意味もある。ですから、退職する人に「おめでとうございます」を言わないで、その人の今までの業績を積極的にから評価とか、それから健康で、楽しく生活するようにとか祝福する言い方をしたほうがいい。
主な言い方は「これまで会社のために大変大きな貢献をしてくださいました」とか「これから第二の人生を楽しんでください」など。
4.「さようなら」
「さようなら」は分かれ言葉として世界各国の人によく知られる。でも、それが日本語でどうだろう。水谷修はその論文でこういうはなしがある、「さようなら」は「お友達」の間での挨拶という性格を持っている。児童や生徒が、「先生、さようなら」とやっているのは、上下関係よりも、親しさの要素が重んじられているのであろう。これから見ると、「さようなら」は日本語で小さい範囲(主に中小学生)で使われる言葉である。水谷修は同じ論文で、友達、仲間よりもっと親しい人たちの間に「さようなら」を言わない、と強調する。例えば、両親と子供、夫婦の間に言わない。それに、上下関係のある会社とか集まりなどで、上の人に「失礼します」のほうが言い。「さようなら」で別れをつげると、コミュニケーションを妨げるのが当然である。「さようなら」を勝手に使用できないのが、たくさんの人、例えば岡本、田中、熊取谷、小野寺、梁などの論文で論じされたことがある。
五、結論
以上によって、日本語ではたくさんの別れ言葉があるけど、分かれる場合なら勝手に使っていいというわけではない。それぞれの場合に限られている。例えば、分かれ言葉の代表されている「さようなら」は、中小学生が「仲間、友達」を表す以外に、あまり使われない。「行っていらっしゃい」は家族内で、「毎度ありがとうございます」と「また、どうぞ」はサービス業界が客さんに、「ちょっと」は「行って来る」を表す、「失礼します」、「お疲れ様でした」は上の人に、「お先に」、「ご苦労様」は反対、「がんばってね」は相手を励ます、「ごめんください」、「すみません」は電話での別れ、など。とにかく、場合によって、別れ言葉も違います。