Ⅰ.はじめに
「百害あって一利なし」と形容されるたばこであるが、依然日本での喫煙率は高い。喫煙によって健康が害されることはよく知られており、喫煙単独で癌の原因の30%を占めている。近年社会では喫煙に対する批判も大きくなり、禁煙や分煙を行う施設も増えている。東京都千代田区では路上喫煙に罰金が課せられ、多くの駅ではホーム上では禁煙になっている。しかし、町中いたる所でたばこの自動販売機が目に付き、たばこ広告もたばこに対し好感を植えつけるような広告が多く、他の先進国と比べ、未だに日本はたばこが吸いやすい社会だと言える。
たばこには多額の税金がかけられており、その製品価格の60%以上が税金になっている。2001年度のたばこによる税収は2兆2493億円にも上る。しかし、喫煙による社会的損失はその税収をはるかに超えると言われその収支は一致しているとは言えない。
また、社会の喫煙率の減少に比べ、近年、未成年と女性の喫煙率は増加している。現在の日本が未成年にたばこを買いやすく、触れやすい環境になっているのかもしれない。
1997年の消費税増税、1998年のたばこ特別税創設、そしてこの2003年のたばこ税増税と、たばこの価格は上昇している。これに対して、多くの賛否両論がある。たばこの価格の上昇によって、喫煙率はどれほど変化するものなのであろうか。そして、喫煙率を決定する要因として、どういったものがあるのだろうか。この論文では様々な要因と喫煙率、さらに男性、女性それぞれの喫煙率について検証していく。
Ⅱでは、現代の日本の喫煙に対する政策、制度に関して述べる。また、日本におけるたばこを多面的に欧米と比較する。また、それを供給するたばこ産業の現状に触れることで、禁煙意識の高まる中でのたばこの実態をとらえる。Ⅲでは、まず、たばこ税による税収が、たばこが人間の体に及ぼす影響をどれほどまかなえていないかを、先行研究として取り上げる。次に、一般的にたばこや麻薬など中毒性の強い財に対する人間の行動を理論付けたRational Addiction の概念を紹介する。この論文は多くの他の研究にも影響を与えている概念であり、本稿ではこの論文を受けて、喫煙要因の選別を行った。Ⅳでは、時系列、都道府県別データを用いてOLSによる回帰分析を行った。また、より特性を探るために、推定モデルは時系列、都道府県ともに男女ごとに4つのモデルを導きだし、考察を加えた。Ⅴでは、Ⅳの回帰分析の結果を踏まえ、分析の問題点、政策の今後の課題に触れ、結びとした。
Ⅱ.禁煙意識の高まりと制度概要
1. 日本の喫煙状況
厚生労働省の国民生活基礎調査(2001)によると現在、日本人の喫煙率は27.8%であり、男性が43.8%、女性が12.9%となっている。また、男性喫煙率は30代が58.0%と最も高く、女性喫煙率に関しては、20代が22.7%と最も高い。このデータによると、20代から50代の男性喫煙率は50%を上回り、女性の喫煙率は30代が19.7%、40代が17.3%と高い水準にあるといえる。また、未成年喫煙率は男性が7.5%、女性が2.7%となっている。
近年の推移(図3、図4)を見ると、喫煙率、たばこ消費量ともに全体的には低下してきている。男性の喫煙率は全年齢で減少傾向にある。これに対して女性の喫煙率はおよそ横ばいかゆるやかな減少傾向にあるといえる。ただし、20代および30代の女性の喫煙率は上昇傾向にある。
2.現代の禁煙意識の高まりと日本の喫煙対策
たばこが全世界に広まり、一つの「産業」として発展していくにつれ、喫煙の是非について、さまざまな衝突が生まれた。しかし、近年にいたるまでたばこに対する研究があまりなされておらず、喫煙の害が正確に認識されていなかった。日本で未成年の喫煙が禁止されたのは1900年のことであり、1942年、米国で「Kool」というたばこが「頭を明瞭にし、風邪を予防する」というCMが流れていたことからも、喫煙の害に対する意識は20世紀の中頃までは低かったことがわかる。
たばこの宣伝広告や公共の場所での禁煙、分煙を法律によって規制するようになったのは「早くから対策を講じていた」と言われている米国、ヨーロッパ、オーストラリアやタイでさえも1990年前後になってからである。WHOも喫煙による健康損害を減らすことはWHOの趣旨に合致するとして、禁煙の推進を加盟国各国に働きかけるとともにさまざまな調査を行っている。
しかし、それらの国に比べても、日本の喫煙対策は遅れている。以下で日本と先に挙げた国々との喫煙対策の比較し、日本の喫煙政策に関して実態を検証したい。
(1) 禁煙推進先進国と日本の比較
ここでは、①たばこの価格、②税率、③広告・宣伝規制、④たばこのパッケージに記載された警告文、の4点について、米国や英国等の禁煙推進先進国のデータと比較してみる。データは1996年のWHOの調査によるものである。
① 価格比較(米ドル換算)
たばこ一箱を買うのに必要な額を米ドルに換算して比較する。図1に示されるように、日本のたばこ価格は、世界各国と比較しても安価であり、各国の経済水準などを考慮に入れれば、日本のたばこは購入しやすいといえる。
② 税率比較
図2に示されるように、日本のたばこの税率は6割であり、これだけ聞くと高い税率が課されているように思えるが、世界のほかの国々と比較すればまだまだ低い水準にあることがわかる。なお、図1、図2において米国が低い数値を示しているのは、米国のデータが各州の平均値であることに由来する。例えば米国の中心都市であるニューヨーク市におけるたばこ価格は世界で最も高いレベルにあるように、米国の中でのたばこ価格は差が大きく、一概に米国のたばこ価格は低い、とは言えない。
③ 宣伝・広告規制
日本におけるTVCMの規制は無く、「JTによる自粛」のみが行われているのに対し、米国は1971年禁止、英国は1964年禁止、フランスは1993年に店頭販売を除くあらゆる形態の一切の広告を禁止、オーストラリアは1992年にたばこ広告禁止法制定となっている。禁煙推進先進国といわれる米英は30年も前にTVCMを禁止しており、ほかの先進諸国も近年たばこの宣伝広告を禁止する法律を制定している。これに対して日本はJTによる自粛のもと、たばこの直接的な宣伝は無くなったものの、イメージ戦略に切り替えたTVCMは宣伝され続けている。
④ たばこに表示される警告文比較
パッケージに表示が義務付けられている警告文は以下のとおりである。例として日本、EU、米国を参考にした。
日本:あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう
EU:喫煙はがん・心臓病の原因である、喫煙で死亡する
米国:喫煙は肺がん、心臓病、肺気腫の原因であり、また妊娠を困難にする。
以上のように、喫煙に対する警告文は、欧米諸国が癌、心臓病などの具体的な病名を出して警告を発しているのに対して、日本は健康をそこなうおそれがある、というような曖昧な表現にとどまっている。
(2) 日本における喫煙抑制条例
日本には国による禁煙政策は罰金などの明確な罰則規定を持ったものは無く、東京都千代田区など、地方自治体による禁煙条例に留まっている。千代田区が禁煙条例を出す三年前に罰則規定を含まないポイ捨て禁止条例を施行したが、効果が無く、新たに罰則規定を盛り込んだ条例を制定したこと、また、罰則制定以降は罰金の徴収件数が施行当初の600~700件から300~400件まで減少したことから、禁煙政策については喫煙者のモラルに期待する条例、政策は効果が薄く、明確な罰則規定を盛り込んだ条例が効果を発揮することがわかる。しかし、日本における罰則規定を盛り込んだ法律は無く、数えるほどの条令が存在するのみである。
(3) 「健康日本21」における喫煙対策
近年、日本における高齢化の進展や疾病構造の変化により、国民の健康増進の重要性が増大しており、健康増進や疾病予防の環境整備が要請されるようになった。このような中で、国民の健康づくり・疾病予防をさらに積極的に推進するため、医療制度改革の一環として2002年公布されたのが健康増進法である。
健康増進法第25条において、「学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙を防止するために必要な措置を講ずるよう努めなければならない」こととされた。また「その他の施設」として「鉄軌道駅、バスターミナル、航空旅客ターミナル、旅客船ターミナル、金融機関、美術館、博物館、社会福祉施設、商店、ホテル、旅館等の宿泊施設、屋外競技場、遊技場、娯楽施設等多数の者が利用する施設を含むものであり、同条の趣旨に鑑み、鉄軌道車両、バス及びタクシー車両、航空機、旅客船など」についても分煙の措置を要請している。健康増進法の中核として、生活改善などの具体的目標数値を提示したのが国の健康作りプラン、「健康日本21」である。
「健康日本21」策定検討会において示された喫煙に関する主な数値目標の案は、 成人喫煙率の半減(男女共)、未成年者喫煙の根絶、 国民一人当たり消費量の半減、であった。このうち、成人喫煙率の半減については、その目標達成の可能性について、米国では男性の喫煙率を半減させるのに35年間を要し、女性喫煙率の半減は達成できていないほか、ノルウェーでも1964年から現在まで男女とも半減が実現されていないなどの例から、その実現の可能性が必ずしも十分でないことが指摘され、また、「国が国民に禁煙を強制している」との意見が多数寄せられるなど、各方面からの意見、要望が集中した。健康日本21企画検討会としては、この問題で集中的な討議を行い、半減目標の趣旨及びこれらの経過等を踏まえ、具体的で実現の可能性が高く、国民により多くの共感が得られる目標を掲げることが適切との判断となり、(1) 喫煙が及ぼす健康影響について十分な知識を普及する、(2) 未成年者の喫煙をなくす、(3) 公共の場や職場での分煙を徹底する。また、質の高い分煙についての知識を普及する、(4) 禁煙、節煙を希望する者に対する禁煙プログラムを全ての市町村で受けられるようにする、の4つの目標を決定した。
「健康日本21」により、それまで各自治体が独自に推進していた健康増進計画も新たに運動を開始した。例を挙げれば、佐賀県では「健康日本21」の考え方に基づいて、「佐賀県健康プラン」が疾病予防の方向性などを一層明確に改定され、山口県では従来の「やまぐち健康づくり推進協議会」が「健康日本21」の策定と同時期にこれを踏まえて「健康やまぐち21計画」として策定、公表されたことなどが挙げられる。なお、2001年11月末までに、健康プランを策定した41都道府県のうち、喫煙率の数値目標を盛り込んだのは16府県であり、岩手県が「非喫煙率80%以上」と厳しい目標値を明記している。
3. たばこ業界の現状
では、供給サイドであるたばこ産業はこれらの問題に対してどのように取り組んでいるのか。JTの活動について説明する。JTは未成年の喫煙防止やマナーの向上などの活動を行っている。例えばJTによるマナー向上キャンペーンは、スタンド灰皿の設置や携帯灰皿の普及、スモーキンクリーン運動などが挙げられる。近年ではイメージキャラクターや広告による周知活動を中心に行っている。以下でJTが喫煙問題について現在とっている立場を明らかにするとともに、これについて説明を加える。
(1) JTの姿勢
まず、喫煙と健康の問題について、JTは、たばこは特定の疾病のリスクを高めることを認識した上で、喫煙とそれらの疾病の関連性を具体的に解明するために、さらなる研究が必要である、としている。現在厚生労働省などが「喫煙は特定の疾病のリスクファクターである」ということの根拠としている疫学研究については、住環境やストレスなど、喫煙以外の状況を一致させることは困難であり、この研究は喫煙者と非喫煙者の集団比較にすぎず、個々の喫煙者について疾病のリスクを明らかにするものではない、としている。また、喫煙者率の推移と肺がんによる死亡者数の推移に相関性があるとは言えないことを明らかにしている。これらをふまえた上で、JTは「喫煙と健康については今後更なる研究が必要ではあるものの、喫煙は特定の疾病のリスクファクターではあるだろう、と考え、喫煙するかしないかは喫煙の健康へのリスクなどを考慮した上で、個々の成人が決めるべきこと」であるとしている。また、JTは、喫煙の社会コストについては、「はっきりしていない」としている。
JTは「喫煙の社会コストについては日本や海外など、様々な研究があるが、それぞれ異なった計算前提や仮定に基づいており、推測結果もまちまちである」として社会コストの計算の不適当さを指摘するとともに、「肺がんなどの疾病と喫煙の関係が疫学研究により明らかにされているが、疾病は住環境やストレスなどの要因が複雑に絡み合って発生するものであり、たばこのみにそのコストを押し付けるのは不適当である」としている。
なお、「」内はJTのHPより引用した。
(2) たばこ業界による未成年者の喫煙防止運動
JTなどのたばこ産業界が未成年の喫煙防止について行っている活動は大別すると「販売店頭等における周知活動」「たばこ販売店への協力要請」「広告・販売促進活動に関する自主規準の設定およびその遵守」「自動販売機稼動規制」である。一つ目の周知活動については未成年者の喫煙防止ステッカーなどをたばこ販売店店頭や自動販売機に掲出してもらったり、新聞広告や雑誌・交通広告による周知活動を行ったりすることである。二つ目の協力要請については、前述のステッカー掲出に加え、未成年者喫煙防止の周知徹底のため、「販売店向けリーフレット」を作成配付することが挙げられる。三つ目の広告自主規制というのは、未成年者向け広告・販売促進活動を自粛することであり、最後の自動販売機稼動規制というのは、販売組合により屋外自動販売機の深夜稼働を停止することである。
(3) たばこ産業の全容
ⅰ) たばこ耕作
たばこ製品の原料となる葉たばこは、国内生産分と輸入分に分類されるが、経年的に葉たばこの輸入分が占める割合は増加している。国内のたばこ耕作面積は1995年に26400ヘクタールで、1965年をピークとして減少し続けている。たばこ耕作農家は1995年に30,000件で、1960年代と比べると約1割と著しく減少している。
ⅱ) たばこ販売店
たばこの販売店については、専業店は殆どが従業員数1~2名の零細商店で、総数約39,000店だが近年減少傾向にある。ただし、これはたばこを扱う店舗が減少しているという意味ではない。コンビニが新たな売り手として台頭してきているので、たばこを取り扱う店舗は増大していると言える。また、たばこの自動販売機は、現在全国で62万台程度存在する。
これらたばこ関連産業においては、たばこに対する増税や禁煙推進がそのまま生活に影響しうるので、禁煙推進政策を行う際にはこれらへの配慮を忘れてはならないといえる。
Ⅲ.先行研究
1. たばこのコストとベネフィット
喫煙を問題にするにあたり、重要なのはたばこが社会にどれだけのベネフィットを生み出し、またどれだけのコストを生み出しているのか、ということである。たばこのコストとベネフィットについて、国立がんセンターの後藤(1996)の調査(図6)と厚生省医療経済研究機構(2002)の調査(図7)を参照する。
まずはたばこのコストに関してだが、図6に示すように、後藤の試算によれば、たばこが社会全体に強要するコストは、医療費が3兆2000億円、損失国民所得が2兆円、休業損失が2000億円、消防・清掃費用が2000億円の、計5兆6000億円となっている。また、図7に示すように、厚生省医療経済研究機構によれば、喫煙による超過医療費は約1兆3000億円、喫煙関連疾患による労働力損失が約5兆8000億円、火災による労働力損失が約94億円で、計7兆1540億円となっている。両者の試算に違いはあれど、喫煙のコストはかなりの額になると考えられる。
同様に、たばこのベネフィットについては、後藤の調査によれば、たばこ税が1兆9000億円、たばこ産業賃金が1900億円、たばこ産業内部留保が1600億円、他産業賃金が1700億円、他産業利益等が3300億円で、計2兆8000億円となっている。医療経済研究機構の同書によれば、たばこ税収は2兆2797億円となっている。以上のデータを参考にたばこのコスト、ベネフィットを比較・検証すると、後藤の試算ではコストが3兆円の超過、医療経済研究機構の試算ではコストが5兆円の超過となっている。両者の試算に大きな差異が見受けられるが、両者の調査からコストを最低に見積もっても医療費の超過は1兆3000億円、労働力などの損失をは2兆円となり、計3兆3000億円となる。これに対してたばこのベネフィットは両者とも2兆円台で、多く見積もっても2兆8000億程度となる。コストの最低ラインとベネフィットの最高ラインを比較しても、なお両者には5000億程度の開きがあり、たばこのコストがベネフィットを上回っているのは明らかである。
2. 合理的な中毒 (Rational Addiction)
この節ではrational addiction(合理的な中毒)の概念について述べる。これはBecker and Murphy(1988)による理論であり、たばこについての多くの研究に引用されるものである。
「一般的に個人は addiction goods(たばこ、アルコール、麻薬など)の財に対し、自らの効用が最大化するように行動する。財に対する強い中毒性は過去の一時点における消費と現在における消費に強い補完性をもたらす。このような補完性は習慣的な消費において次期の消費を急激に変化させ、長期間の消費の累積向上や、あるいはcold turkeyと呼ばれる消費を全く行わなくなる状態を引き起こす可能性がある。」
また、理論において、長期におけるaddiction goodsの価格弾力性は短期におけるそれよりも弾力的であり、例えば政府が永続的なたばこの価格の値上げを政策として打ち出した時、非常に有意な結果が出ると示唆されており、彼らはこのような中毒財を常習化させる要因として一時的な心配やストレス(失業、離婚、戦争体験など)を挙げている。この理論を実際に用いた論文にBecker, Grossman and Murphy(1994)による実証研究があるが、この論文では実際にアメリカのある二時点間の統計データを用いて、先の論文のモデルに組み込んで考えたものである。しかし、統計上の二時点間のデータに普遍性を持たせ、長期のモデルとみなしたこの論文は、近年の研究で批判的にとらえられている。
3. 禁煙
禁煙に関しては諸外国でもたばこ研究の重要な一分野であり、多くの研究がある。ここでは禁煙に関する先行研究として、佐藤・大日(2002)を挙げる。
彼らは禁煙に影響を与える諸要因について検討しており、具体的には性別、価格、学歴、禁煙区域の制限、子供の有無を要因として取り上げた。推定モデルにはノンパラメトリック分析と比例ハザードモデルを用いている。分析の結果、価格に対しては男性において非常に弾力的、女性では非弾力的、低学歴なほど弾力的、喫煙区域規制や子供の有無については影響を受けず、価格のなかでも特に増加率に強く反応していることを述べている。そして日本の禁煙政策は少なくとも男性に対しては価格、たばこ税の制御が有効であると結論づけている。またこれからの研究の課題として喫煙量、禁煙の再開、第一子誕生の女性に対する影響の分析などを挙げている。以下の実証分析ではこれらの先行研究をもとに推定モデルを立て考察していく。
Ⅳ.喫煙行動の理論モデルと実証分析
1. 理論的考察
ここで我々が分析対象としている喫煙行動について理論を立てて考察してみる。Beckerの理論では、喫煙に対する価格政策は長期において非常に効果的である、と結論づけている。そこで我々は1970年から2000年までの時系列データを用い、この31年間における喫煙行動の決定要因を考察する。また、長期的データと比較するために、横断面による要因分析を行う。ここでは2001年の都道府県別のデータを中心に用い、北海道など特定の地域における喫煙率が高い、(図5)といった地域ごとに差のある標本より、喫煙行動の特性を探る。加えて、各々の分析において男女のデータに分けた。男性と女性では喫煙率は全く異なる数値が見られ、その要因も異なるものであることが推察される。また女性においては近年社会進出の度合いがめざましく、そういった点からもデータを分析することは興味深いことであると考えられる。
なお分析方法としては次のようなモデルを立て、OLSを用いて分析する。

:喫煙率
:説明変数
:定数項
:回帰係数(パラメータ)
:誤差項
2. 時系列データを用いた分析
(1) データディスクリプション
ここで時系列データによる男女の喫煙率の実証分析を行う。実証分析に必要なデータは男女の喫煙率、実質国民所得、たばこの実質価格、学歴、失業率、離婚率である。以下、各々のデータの出典と算出方法を述べる。男女の喫煙率には日本専売公社、日本たばこ産業株式会社による調査から1970年から2000年までのおよそ30年分のデータを用いた。たばこ価格はJTから取り寄せたPEACE、MILD SEVEN、SEVEN STAR、ハイライトの4つの銘柄の平均価格から求め、その価格を2000年度の消費者物価指数を100とした指数で割っている。国民所得は家計調査年報より求めた値をそれぞれの年の消費者物価指数で割っている。学歴については文部科学省の学校基本調査平成12年度版より大学、短大への進学率(浪人も含む)を適用している。また失業率、離婚率については総務省の日本統計年鑑より求めている。
次に、この分析で適用するデータがなぜ喫煙率に影響があるのかという根拠を示す。
○ 男女の喫煙率(%)
今回の分析ではこの喫煙率を被説明変数とした。この割合が高いほど、たばこを吸う人が多い年度であると解釈し、以下に示したような要因でどのように説明されるのかということをこの分析の趣旨とした。
○ 実質国民所得(log)
理論であげたような消費関数を扱う場合、所得Yと価格pは説明要因として必要になる。この値によって、個人の財に対して使うことのできる金額の上限の変化を読み取ることができる。
○ 実質たばこ価格(log)
この値の変化を見ることによってたばこ財に対する価格弾力性や税率の変化を見ることが出来る。なおたばこの銘柄に関してはなるべく昔から売られているものを選び、その中で税率の変化が見られるようにした。なお、今回のたばこ価格には外国の銘柄は入れていないが、税率の変化を見るためには支障はないものと思われる。
○ 大学・短大進学率(%)
大学・短大への進学率を見ることによって、たばこが身体にとって害があるという知識を持った人が多くなるため、知識の普及度を見る手段として採用した。この値が高いほど嫌煙あるいは禁煙の割合が高まり、喫煙率を抑制するのではないかと考えられる。
○ 失業率(%)
先行研究においても触れたように、失業率や離婚率など、精神的にストレスを与えるものが喫煙率に関係すると思われるので採用した。なお今回の時系列分析においては男女を分けて分析するため、それぞれについて喫煙の要因が異なることを見るのも興味深いことであると考えられる。
○ 離婚率(%)
失業率と同様にストレスの原因として適用した。この二つの値に関しては男女で異なる結果が見られることが考えられる。
なお、被説明変数への影響力を他の変数と合わせるため、実質国民所得と実質たばこ価格には常用対数を用いた。
これより以下のようなモデルを立て、回帰分析を行った。
(2) 男性喫煙率の時系列分析
Model 1-1 (男性)

:男性喫煙率
:実質国民所得(常用対数)
:実質たばこ価格(常用対数)
:大学、短大進学率(男性)
:失業率(男性)
:離婚率
:回帰係数(パラメータ)
:誤差項
このモデルをOLSによって回帰分析する。分析の結果は表1に示す。実証分析の結果、モデルは次のように推定された。

自由度修正済みの決定係数は0.99 であり、このモデルの説明力は高いと言える。また説明変数である実質国民所得、実質たばこ価格、大学・短大進学率、失業率、離婚率についてt検定を行った結果、有意水準1%で実質国民所得、大学・短大進学率、失業率が有意、有意水準5%で実質たばこ価格が有意、有意水準10%で離婚率が有意であった。ここでこのモデルにおいてF検定を行う。帰無仮説は

である。この場合F値は337.39であり、確率5%、自由度5、25の限界値2.60に対して十分大きい。つまり有意水準5%でF検定を行うと帰無仮説
は棄却される。ゆえに5つの説明変数全体においてもこのモデルは説明力があると言える。
またダービン・ワトソン検定により誤差項に系列相関がないかを検定した。検定の結果5%限界値で
、
であり、このモデルにおける検定統計量
より
となり系列相関の有無は判定できない。
(3) 女性喫煙率の時系列分析
Model 1-2(女性)

:女性喫煙率
:実質国民所得(常用対数)
:実質たばこ価格(常用対数)
:大学、短大進学率(女性)
:失業率(女性)
:離婚率
:回帰係数(パラメータ)
:誤差項
男性と同様にこのモデルをOLSによって回帰分析する。分析の結果は表1に示す。実証分析の結果、モデルは次のように推定された。

自由度修正済みの決定係数は0.57と男性に比べあまり高い値を示さなかった。また男性同様に説明変数についてt検定を行った結果、有意水準5%で実質国民所得、実質たばこ価格、有意水準10%で大学・短大進学率が有意であるという結果が得られた。なお失業率、離婚率に関しては有意な結果は得られなかった。さらにこのモデルにおいてF検定を行った結果F値は8.91となり、確率5%、自由度5、25の限界値2.60に対して十分大きい値を示した。よって5つの説明変数全体においてこのモデルは有意であると言える。またダービン・ワトソン検定により誤差項に系列相関がないかを検定した。検定の結果5%限界値で
、
であり、このモデルにおける検定統計量
より
となり系列相関はないと言える。
(4) 考察
はじめに男性喫煙率の方から分析結果を考察すると、実質国民所得の係数が負であることから、たばこは劣等財、すなわち所得が増すことによって消費が減る財であると言える。また実質たばこ価格の係数は負であることから、増税によってたばこの価格を上げることは、喫煙者率を減らすことにつながると言える。抑制要因として考えていた大学・短大進学率の係数は予想に反して正の値をとった。これは大学に進学する人数が多くなると喫煙者が増えることを意味し、知識の増加と喫煙率には逆相関があることがわかった。このことについては更なる研究が必要になると思われる。また抑制要因として考えていた失業率の上昇も喫煙者の数を減らすことがこのモデルより見て取ることができる。喫煙者個人の予算が制約されることによって、たばこに対する支出が減少したものと思われる。さらに離婚率の上昇も喫煙率を抑制する要因となることがわかった。ストレスはたばこの時系列データにあまり影響を与えないという結論が得られた。
次に女性喫煙率について考察すると、実質国民所得と実質たばこ価格は男性同様の結果を示した。また大学・短大進学率についても男性同様正の値を示した。しかし失業率、離婚率については有意な結果が得られなかった。
以上のことから所得の増加や価格の上昇は喫煙の抑制要因として、進学率の上昇は促進要因として捉えることが出来る。また男性に限り失業率と離婚率の上昇は抑制要因となる。
3. 都道府県別データを用いた分析
(1) データディスクリプション
続いて、都道府県別データを用いて男女の喫煙率について実証分析を行う。ここで用いるデータは日本47都道府県ごとに、喫煙率、実質県民所得、たばこの実質価格、進学率、労働人口比率、合計特殊出生率、離婚率を引用した。以下、各々のデータの出典と算出方法を述べる。男女の喫煙率は、国民生活基礎調査(2001年、厚生労働省)より、「喫煙状況(性、年代、都道府県別)」より独自に算出したデータを用いた。県民所得に関しては、東京都の消費者物価を100とした消費者物価差指数で除することで、県ごとの重みを考慮する。また、全国一律のたばこの価格に関しても、その平均値(257.89円、JTのHPより引用)に消費者物価指数を除し、実質の価格を算出した。学歴については文部科学省の学校基本調査2001年度版より高校卒業後の進学率を採用した。後のデータに関しては、統計局の「統計で見る県の姿2003」より県民所得を1999年、消費者物価差指数を2001年、労働人口比率を2000年、離婚率を2000年、合計特殊出生率を2001年より引用した。
ここで、横断面分析において新たに選別した喫煙の行動要因について根拠と仮定を提示する。
○ 労働人口比率
時系列分析では、年次の推移における景気の低迷を考慮する上で失業率を用いたが、横断面分析においては、男女別のデータを入手可能な都道府県別労働人口比率を、労働喫煙者のストレスの指標として採用した。近年の若い女性の喫煙率の上昇は、女性の社会進出にも深く影響していると考えられる。したがって労働人口比率の高い地域ほど、喫煙率は高いと考えた。
○ 合計特殊出生率
特に女性において、妊娠、出産の機会が禁煙行動の要因となると仮定して、喫煙行動の抑制要因として有意な結果が得られると想定し、採用した。この合計特殊出生率とは15歳から49歳までの女子の年齢別出生率を合計した値で、1人の女子がその年次の年齢別出生率で生むと仮定した場合の、一生の間に生む平均子ども数を表す。以下に算出式を記した。
合計特殊出生率(粗再生産率)= |
|
の15歳~49歳までの合計 |
|
(2) 男性喫煙率の横断面分析
Model 2-1(男性)

:男性喫煙率
:実質県民所得(常用対数)
:実質たばこ価格(常用対数)
:高校卒業後の進学率(男性)
:労働人口比率(男性)
:離婚率
:合計特殊出生率
:回帰係数(パラメータ)
:誤差項
このモデルをOLSによって回帰分析する。分析の結果は表1に示す。実証分析の結果、モデルは次のように推定された。
自由度修正済みの決定係数は 0.18であり、このモデルの説明力は高いとは決して言えないが、各説明変数についてt検定(1%、5%、10%片側検定)を行った結果、有意水準1%で進学率、5%で労働人口比率が有意であった。なお、このモデルにおいては、実質県民所得、たばこの実質価格、離婚率、合計特殊出生率については説明力を持たないことが判った。
このモデルにおいても、時系列分析と同様にF検定を実行する。このモデルのF値は2.71であり、確率5%、自由度6、40の限界値は2.36であるため、有意水準5%でF検定を行うと説明変数の全て係数がゼロであるという帰無仮説は棄却される。したがって、説明変数全体においてもこのモデルは説明力を持つと言える。
更に、誤差項に不均一分散の有無をWhite Testによって検定する。帰無仮説は「
:誤差項に不均一分散がない」である。White Testの結果、White検定統計量<
分布の5%臨界点となっており、有意水準5%において帰無仮説は棄却さない。したがって、このモデルにおいて不均一分散はないと言える。結果は表2 に示す。
(3) 女性喫煙率の横断面分析
Model 2-2(女性)

:女性喫煙率
:実質県民所得(常用対数)
:実質たばこ価格(常用対数)
:高校卒業後の進学率(女性)
:労働人口比率(女性)
:離婚率
:合計特殊出生率
:回帰係数(パラメータ)
:誤差項
モデル2-1と同様にこのモデルをOLSによって回帰分析する。分析の結果は表1に示す。実証分析の結果、モデルは次のように推定された。

自由度修正済みの決定係数は0.59であり、サンプル数47の横断面データ分析としては比較的高い数値を示しており、このモデルの説明力は高いと言える。各説明変数についてt検定(1%、5%、10%片側検定)を行った結果、有意水準1%で進学率、合計特殊出生率、離婚率が有意であった。なお、このモデルにおいては、実質県民所得、たばこの実質価格、労働人口比率については説明力を持たないことが判った。
このモデルにおいても、時系列分析と同様にF検定を実行する。このモデルのF値は9.64であり、確率5%、自由度6、40の限界値は2.34をはるかに上回る。したがって、有意水準5%でF検定を行うと、説明変数の全て係数がゼロであるという帰無仮説は棄却され、説明変数全体においてもこのモデルは説明力があると言える。
更に、誤差項に不均一分散の有無をWhite Testによって検定する。帰無仮説は「
:誤差項に不均一分散がない」である。White Testの結果、White検定統計量<
分布の5%臨界点となっており、有意水準5%において帰無仮説は棄却されず、このモデルにおいて不均一分散はないと言える。結果は表2 に示す。
(3) 考察
以上の分析を踏まえて顕著であるのが、都道府県別データを用いた分析では、世帯の所得や、地域ごとの重みを考慮したたばこ価格は、その地域の喫煙率に影響を及ぼさないという点である。時系列分析においては、これらの係数は有意であることから、つまり、一時点における価格の変動は長期において、喫煙率に影響を及ぼしていると言える。
また男女のモデルにおいて、離婚率において、係数の正負に相違が見られたが、男性において説明力のない変数であるため、これは無視できると考えられる。したがって、離婚率に関しては、ストレスの指標として採用した変数であったが、女性の喫煙率に関して4.16という大きな係数が得られた。また、同じく社会的要因として選出した労働人口比率は男性において0.54という正の係数を取っており、これは勤労によるストレスの発散や、円滑な社交に喫煙行動が伴われていると考えられる。また進学率は、男女ともそれぞれ-0.2、-0.18という負の係数を得た。これは、横断面分析において進学率は喫煙行動の抑制要因となることを意味している。
ここで、興味深い結果を得られたのは、合計特殊出生率である。これは女性喫煙率のモデルにおいて高い負の値をとった。これはその2001年の状態で女性が生涯において生むと考えられる子供の人数が一人増えると喫煙率は12.9%も低下するということである。やはり、女性喫煙者に関して、妊娠、出産は、重要な禁煙要因となりうるという結果が得られた。
Ⅴ.むすび
以上の分析から現在の喫煙政策を踏まえて、喫煙率の抑制について3つのポイントを示したい。
第一に、価格政策である。時系列データを用いた分析により、喫煙者は価格変動に敏感に反応することがわかった。これは、増税が税収の確保という役割だけでなく、喫煙率の減少に貢献しているという結果が導き出せる。しかし、横断面データによる分析では、所得、価格共に説明力を持たなかった。消費者物価差指数を考慮すると、物価が最も低い宮崎県では250円のたばこは290円の価値となる。それにも関わらずのこの結果は、「吸う人は吸う」、つまり、たばこの中毒性をよく表した結果となった。つまり、喫煙者にとって「目に見える」価格の上昇は禁煙の促進要因となる。Ⅱで述べたように、疾病要因の観点や、外国との比較をとっても、たばこ産業への救済措置を同時平行しつつ、最低、医療コストと等しくなるよう、税率を上昇させるのが適切であると考えられる。それと同時に、公共の専門組織によるたばこの社会損失に対する徹底的な調査を行う必要がある。調査結果が正当なもので、その社会損失がたばこによる利益を上回っていれば、たばこに対する価格政策にも、より一層の正当性を付加することができるだろう。
次に、喫煙行動の一次予防策、つまり最初の1本を吸わせない重要な方策として喫煙教育の徹底を挙げたい。喫煙はその中毒性により、最初の1本を吸うか吸わないかにより、その後の喫煙量も大きく変化する。そこで、本稿で行った分析では、進学率を喫煙に対する知識の有無を表す指標として要因に加えた。そして、時系列分析では促進要因、横断面分析では抑制要因という逆の結果を得た。これは、大学などへの進学率が、喫煙知識の増加の指標でなく、喫煙者、もしくは非喫煙者の環境の変化を表す指標として大きな影響をもつと考えられる。進学することで親元を離れ、一人暮らしを始める学生は多い。また、高校以後の進学、在学中に20歳になり、喫煙権を得る学生も多い。このような環境の変化は、十分に喫煙行動を促すに足るものである。よって、これは一概に、喫煙の促進要因とも抑制要因とも言えない変数であり、十分に研究の余地を残すものであった。しかし、たばこが原因で黒くなった肺の写真を子供に見せて授業をしている学校と、そうでない学校では、前者の方が喫煙率を低くするという調査結果もでている。未成年喫煙防止のためにも、各小、中、高等学校レベルで、喫煙教育を必須とし、その進捗状況を具体的に国が把握することが必要である。
第三に、受動喫煙防止、つまり分煙化の強化である。受動喫煙による健康に対する害は、能動喫煙によるそれを大きく上回っているにも関わらず、「健康日本21」によって各自治体に通告はなされたが、実際に喫煙率の数値目標を取り入れた県は半分に満たない。喫煙権、嫌煙権、二つの権利が主張されるようになって久しいが、この二つの権利の正当性とバランスを考えた明確な規定が必要ではなかろうか。また、路上喫煙、ポイ捨てなどのマナーはまだまだ改善の余地があり、東京都千代田区の路上喫煙禁止のような罰則規定など、更なる画期的な政策が期待される。
<参考文献>
Gary S. Becker : Kevin M. Murphy (1988) A Theory of Rational Addiction, The Journal of political Economy, Vol.96, No.4, 675-700.
Gary S. Becker:Michael Grossman:Kevin M. Murphy (1994) An Empirical Analysis of Cigarette Addiction , The American Economic Review, Vol,84, No.3, 396-418.
医療経済研究機構(1997),「喫煙政策のコスト・ベネフィット分析に関わる調査研究報告書」.
後藤公彦(1996)「たばこの経済分析」日本医師会雑誌.
大日康史(2003)「健康経済学」.東洋経済新報社.
<データ出典>
総務省統計局 『統計で見る県のすがた2003』.
総務省統計局 『日本統計年鑑』 昭和44年版~平成13年版.
文部科学省 『学校基本調査報告書(高等教育機関)』 平成十二年度版.
厚生労働省 『国民生活基礎調査』 平成十三年度版.
厚生労働省 厚生労働省統計表データベース http://wwwdbtk.mhlw.go.jp/
総務省統計局 統計センター http://www.stat.go.jp/data/
財団法人 健康・体力づくり事業在団 http://www.health-net.or.jp/
日本たばこ産業 http://www.jti.co.jp/JTI/Welcome.html
健康日本21 http://www.kenkounippon21.gr.jp/
健康ネット http://www.health-net.or.jp/
WHO http://www.who.int/en/