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平等化政策の現状と課題
添加时间: 2011-2-25 11:19:43 来源: 作者: 点击数:13557

第4章 

第1節 女性の現状と課題

 国連の国際婦人年(1975年)とそれに続く国連婦人の十年(1976~1985)や女子差別撤廃条約の採択(1979年)などの動きは、世界レベルでの男女平等化政策の進展を進めてきた。日本でも、この国際的な男女平等に向けての潮流を受けて、女性の地位向上と男女平等の実現に向けての政策の推進を要請されることとなった。

 そして、その要請に対応すべく、国内行動計画の策定、女子差別撤廃条約批准とそれに伴う国内法の整備(国籍法の改正、家庭科教育の男女共修、男女雇用機会均等法の施行)、西暦2000年に向けての新国内行動計画の策定などを行なってきた。また、神奈川県でも、1982年に「かながわ女性プラン」を決定して以来、女性政策を県行政の大きな柱として位置付けて、その推進を図ってきたところである。

 しかし、日本における男女平等は、どのくらい進んだのであろうか。法律や制度上の平等はかなり進んでいるものの、男女の賃金格差をはじめとする雇用の場における男女差別の現実や根強く残る男女役割分業意識など、実質的な平等にはほど遠いのが現状である。そして、日本の男女平等政策も、西欧先進諸国の男女平等政策に比べるときわめて不十分なものであろう。今こそ、男女の実質的な平等達成に向けて、さらに積極的な男女平等化政策の推進が必要なのである。

 そこで、本節では、現在の日本の女性の現状と雇用の分野を中心とした日本の男女平等化政策について検討を加え、課題を探っていくこととしたい。

1 雇用の分野における女性の現状

 近年の日本の女性をめぐる状況として、最も大きな現象は、女性の社会進出-特に雇用の分野への進出が著しく進んだ点であろう。女性の雇用の分野への進出は、女性の地位向上を進める大きな原動力にもなっているが、他方で、雇用の分野における女性差別はいまだ現存しており、男女平等を実現するうえでの大きな課題となっている。女性に対する雇用差別は、差別される側(=女性)の経済的、生活的困難に直接結びつく切迫した事柄であることから、男女平等政策を推進するうえで最も重要な領域である。諸外国においても、雇用の分野における政策は平等化政策の中心的かつ重要な位置をしめるものとなっている。そこで、日本の雇用の分野における平等化政策を検討するに先立ち、まず、雇用の分野における女性の現状を概観し、そこでの問題点を抽出してみたい。

(1)女性雇用労働者の増加

 労働力調査(総務庁統計局)によると、1990年の女性労働力人口は2,593万人で、

労働力総人口にしめる割合は40.6%である。前年と比べた女性の労働力人口の増加数は60万人で、男性の増加数(54万人)を上回っている。

 女性の労働力率(女性の就業者+完全失業者/女性15才以上人口)は50.1%となり、21年ぶりに就業者が過半数を超えることとなった。

 女性雇用者は1,834万人となり、雇用者総数に占める女性の割合は37.9%となっている。1980年と比べて、女性雇用者は480万人(35%)も増加したことになる。特に最近2年ほどの伸びは著しく、前年と比べて85万人(増加率4.9%)の増加であり、統計上接続可能な1953年以降最高の増加率を2年連続で更新している。

(2)産業別・職種別就業状況

 産業別に女性雇用者の就業状況を見てみると、サービス業、卸売・小売業、飲食店、製造業といった特定の業種に偏る傾向があるが、全体として、女性の占める割合は多くの業種で高まっている。

1989年の労働力調査によると、女性雇用者のうちの30.7%がサービス業、26.9

図1 職業別雇用者における女子比率

女子雇用者

雇用者

資料出所 総務庁統計局「労働力調査」

(注) 職業別女子比率=       ×100

女子雇用者増減率は、昭和60年から平成2年にかけてのもの。


%が卸売・小売業、飲食店、26.3%が製造業に就業しており、これらの3業種で全体の8割以上を占めている。また、90年の産業別女子比率は、金融・保険業、不動産業(50.2%)、サービス業(49.6%)、卸売・小売業、飲食店(47.1%)の3つの業種で高くなっている。特に卸売・小売業、飲食店は、90年までの5年間で雇用者が135万人増加したが、そのうち女性は85万人を占めており、サービス業では202万人増加のうち103万人が女性となっているなど、これらの業種では、女性がその雇用者の増加を支えるかたちになっている。

 また、職業別の女性雇用者の構成比を1990年の労働力調査で見ると、事務従事者(631万人、34.4%)、技能工、生産工程作業者(378万人、20.6%)、専門的・技術的職業従事者(253万人、13.8%)、販売従業者(230万人、12.5%)の4つの職業に全体の約8割が集中しており、ここでも特定職業に偏る傾向が見られる。特に、事務従事者の割合は男性と比べて高い。

 さらに職業別雇用者に占める女性の比率も、専門的、技術的職業従事者で減少している以外は、年々高まっていることがわかる(図1参照)。しかし、管理的職業従事者における女性の比率は、年々上昇しているとはいうものの、きわめて低い水準となっている。

 また、職業別就業者の女子比率をアメリカ、フランスと比較してみると、技能工、生産工程作業者では日本の方がアメリカ、フランスより高く、技術者や管理的職業では日本は他の2国に比べてかなり低い水準となっているのである(図2参照)。

図2 職業別女子比率の国際比較


             資料出所  総務庁統計局「労働力調査」(1990)

..epartment of abormployment and arnings(1990)

rance Institut ational de la tatistique et des tudes conomiques

“Euquete sur l'emploi(1989)

(3)パートタイム労働者の増加

 女性の場合、男性と比べてパートタイム労働者の比重が高く、また、その数もますます増加の傾向にある。パートタイム労働者とは、労働省のパートタイム労働指針(平成元年6月23日付け労働省告示第39号)によれば「一日、一週間又は一ヵ月の所定労働時間が当該事業場において同種の業務に従事する労働者の所定労働時間に比して相当程度短い労働者」とされているが、その数については各種の調査での定義がまちまちであり、正確な数字をとらえるのは難しい。しかし、労働省では、所定労働時間が短い者だけでなく、週間労働時間が35時間以上の労働者でパートタイマー、アルバイトなどと呼ばれる者を含めると、パートタイム労働者は約800万人とも推計している(1)

 また、労働力調査によると、1990年の女性の「短時間雇用者」(=週間就業時間が35時間未満の非農林業の短時間雇用者)は501万人となっている。女性雇用者のうち約3割(27.9%)は、短時間雇用者である。1980年と比べると、その数は245万人の増加で10年間で倍増している。また、女性雇用者に占める女性短時間雇用者の割合も8.6ポイント上昇しており、女性短時間雇用者は、女性雇用者全体の増加を上回って急速に人数・比率を増加させていることになる。

 女性短時間雇用者の産業別の構成比を見てみると1989年の労働力調査の数字では卸売・小売業、飲食店が35.6%、サービス業が28.2%、製造業が21.8%と、これらの業種に集中しているのが明らかである。

 一方、パートタイム労働者の待遇に関して、特に賃金を見てみると、1989年の賃金構造基本調査(労働省)による1時間当たりの一般女性労働者の所定内給与額と女性パートタイム労働者の給与額の比は100対70.9となっており、パートタイム労働者の給与額の低さがわかる。また、平均賃金上げ率も、パートタイム労働者は4.3%で、一般労働者の5.3%を下回っている(1989年 労働省「賃金引上げ等の実態に関する調査」)。さらに、年間賞与その他の特別給与額については、一般女性労働者を100とすると、パートタイム労働者は14.5となっており(1988年 賃金構造基本調査)著しい格差が見られる。

 パートタイム労働者は、サービス経済化の進展による弾力的な時間管理へのニーズの高まりやコスト削減といった企業側の事情と、家庭責任との両立を図りやすい就業形態への女性の志向という労働者側の事情とがあいまって、今後とも増加していくことが予想されている。しかし、上記で見たように、パートタイム労働者の賃金は一般労働者に比べて極めて低く、また、その他の労働条件での問題点も多く指摘されている。パートタイム労働者の大部分を女性が占めていることから考えると、女性労働者の地位向上のためにも、パートタイム労働者の労働条件等の改善は重要な課題であろう。

(4)中高年既婚型の増加とM字型就労

 日本の女性労働者は、高度成長期の初期には若年・未婚型の層がその中心であったが、1970年頃から中高年・既婚型の増加が顕著となった。1970年には30歳未満の女性雇用者は女性雇用者全体の過半数を占めていたのが、1989年には3分の1にまで低下し、一方、35歳以上は39.2%から59.6%に増加している(労働力調査)。また、既婚者の占める割合も、1989年には68.2%と、7割近くを占めている。

  一方、年齢階級別の女性労働力率は、日本では20歳台前半で第一のピークを描き、出産・育児期の年齢階層において労働力率が低下、その後再び上昇するという、いわゆるM字型の軌跡を描くといわれている(図3参照)。

 このM字型就労は、スウェーデン、アメリカ等の逆U字型(台形型)と対照的である。これらの国でも1970年にはM字型であったのが、現在では凹部が消失している。つまり、これらの国では、学校教育を終えたら就業、結婚子育て期間中も就業を継続、高年齢期に順次リタイアというのが大多数の女性のライフパターンになっているわけである。一方、日本では、結婚・出産・育児のために退職して家庭に入り、育児等の負担が軽くなった年齢で再就職するというパターンが多くなっていることが示されている。

 しかし、年齢階級別の女性労働力率の推移を見てみると、各年齢とも全体的に上方ヘシフトしている。特に25~29歳層の上昇は大きく、そのため、M字の底がこの層から30~34歳層に移動していることがわかる(図3参照)

図3 年齢階級別女子労働力率の推移


資料出所 総務庁統計局「労働力調査」


また、年齢階層と職種・就業形態との関係を見てみると、子育て後の再算入者が多いと考えられる30歳台後半以降では、専門的・技術的職業従事者の割合が少なくなる一方、販売従事者や技能工・生産工程作業者の割合が多くなっており(図4参照)、雇用者全体に占めるパートタイム労働者の比率(いわゆるパート比率)が高くなっている(図5参照)。つまり、子育て後の再就職では退職前の仕事に戻ることは難しく、働く条件も悪くなる傾向が強いといえるだろう。

図4 就業者の年齢階級別職業構成比(平成2年)

               資料出所  総務庁統計局「労働力調査」

(注)1)農林漁業作業者を除いたものである。

2)サービス職業従事者とは、「保安職業、サービス職業従事者」より

保安職業従事者及び家事サービス職業従事者を除いたものであり、

「労働力調査」では「その他のサービス職業従事者」として分類され

ている。

図5 年齢階級別短時間女子雇用者数と短時間女子雇用者比率(平成2年)

                 資料出所  総務庁統計局「労働力調査特別調査」特別集計

短時間女子雇用者

女子雇用者数

注) 短時間とは1週の労働時間が35時間未満

短時間女子雇用者比率=           ×100


 なお、女性の非労働力人口のうち、就業を希望する者は785万人(1990年「労働力調査特別調査」総務庁統計局)で、これは1985年と比べて29万人増加している。この就業希望者を当該年齢層の女性労働力人口に足し上げた数(=潜在的労働力人口)が各年齢人口に占める割合(=潜在的労働力人口)を見ると、実際の年齢階級別労働力率に見られたようなM字型カーブは消失することになる(図6参照)。

このことは、出産・育児により就労を中断する者の多い年齢層であっても、就業意欲は変化はないということであり(2)、出産・育児期に就業が継続できるような社会支援が行なわれるとすれば、この時期の女性の職場進出もさらに進むことが推測される。これらの就業意欲を持つ女性の就労を可能にするべく、今後の就業環境の整備の一層望まれるところである。

図6 女子の年齢階級別潜在的労働力率の推移


                 資料出所 総務庁統計局「労働力調査」、「労働力調査特別調査」特別集計

() 女子の年齢階級別潜在的労働力率

                                   ×100

                                  

女子の労働力人口(年齢階級別)+女子の就業希望者(年齢階級別)

15歳以上人口(年齢階級別)

2 男女雇用機会均等法の検討

(1) 男女雇用機会均等法の成立とその背景

 男女雇用機会均等法(正式名称:「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」、以下「均等法」と略す)は、1985年6月1日に公布され、1986年4月1日から施行された。

 均等法成立の背景には、まず、「国連婦人の十年」以降、国際機関による男女差別撤廃へ向けた取組が進み、その帰結ともいうべき国連の女子差別撤廃条約が採択されたこと、先進諸国での男女雇用平等法立法化の動きなどを受けて、日本でも男女雇用平等法立法に対する国際的圧力が高まったことなどがあげられるだろう。また、国内的にも、近年の女性労働者の著しい増加にもかかわらず、女性に対してその能力に応じた機会と評価が与えられておらず、日本の差別的な雇用管理の見直しの要求は強まっていた。さらには、60年代から提訴されはじめた一連の男女差別に関する裁判を通して、現行の法制度の不備や限界が指摘され、新しい立法の必要性が生じていたのである。

①女子差別撤廃条約と均等法

 日本は1980年に女子差別撤廃条約に署名し、1985年までに条約を批准すべく、国内法の整備を開始した。この国内法の整備の中で、雇用の分野に関しては「雇用における男女の機会均等および待遇の確保について(の)法的措置(3)検討が行なわれることとなった。

 女子差別撤廃条約は、条約締結国に「男女平等の原則の実際的な実現を法律その他の適当な手段により確保すること」(第2条a項後段)、「女子に対するすべての差別を禁止する適当な立法その他の措置(適当な場合には制裁を含む)をとること」(第2条b項)、そして第11条では雇用の分野における女性に対する差別を撤廃するための適当な措置を取ることを求めている。

  日本では憲法第14条が「法の下の平等」を定め、性による差別を禁止してはいるが、この規定は「国家権力と市民の権利義務関係を定めたものに過ぎず、私人間には他に法律の規定がない限り直接当然には適用されない」というのが判例および学説上の通説である。一方、雇用の分野においては、男女同一賃金に関して労働基準法第4条に男女賃金差別の禁止規定があるだけで、その他の面における男女の機会均等確保のための法的枠組みは存在していなかった。そこで、「(女子差別撤廃)条約批准のためには、雇用の分野における男女平等を保証する法律を新たに制定する必要があった」(4)のである。

  ところで、均等法制定当時、政府が条約批准のための雇用分野の法制に関してどのような見解を持っていたかについては、日経連の公開質問状に対する次のような政府回答がその基本的考え方の目安になるだろう。

< 日経連女子差別撤廃条約に関する公開質問状(5) >

「どのように現行法規を改正すれ、あるいはどのような内容の新しい法律を作れば、この条約批准のための最低条件を満たすと考えるか」

< 政府回答 >

「婦人差別撤廃条約の批准のためには、雇用の分野に関しては本条第2条及び第11条に照らし、わが国においては、雇用における男女の機会均等及び待遇の平等の確保について法的措置が講ぜられていない事項については、しかるべき法的措置を講ずることが求められているものと解される。そのうち本条第11条第2項(a)に規定されている『妊娠又は母性休暇を理由とする解雇及び婚姻をしているか否かに基づく差別的解雇』については、何らかの制裁を伴う禁止措置(最低限民事的強行規定)により担保しなければならないと解される。したがってその他の規定については強行規定でなくても批准可能であると考えられる」


 このように、女子差別撤廃条約によって締約国に課せられている義務についての日本政府の解釈はかなり限定的なものであり(6)この基本的解釈に基づいて禁止規定と努力義務規定の2種類の規制方法を採用した、罰則なしの均等法が成立したのであった。しかし、このような日本政府の解釈は妥当なものであったのだろうか。女子差別撤廃条約が締約国に求める最低限の要請とは、条約の規定と条約成立課程の議論から判断すると、具体的には「募集、採用から解雇にいたるあらゆる段階の雇用上の権利を男女に平等に確保する立法が必要であること、その立法は、『適当な場合には』、少なくとも民事上の損害賠償の直接的な根拠規定となるものであること、ただし、妊娠出産、婚姻を理由とする解雇は必ず民事上の損害賠償の直接的な根拠規定の担保によって禁止されなければならないこと、権利が侵害された場合には、司法上の救済および他の行政機関により救済が受けられること」などが想定されている(7)

 それに対して均等法の努力規定は、直接的にこれを根拠とした損害賠償請求権が生ずることはないとされているが、条約自身も「制裁処置」のない法律の存在を否定していないし、さらに、努力義務規定の対象となる分野における差別であっても民法の一般規定を通じて不法行為として損害賠償の対象となり、公序良俗に反する場合は無効ともなることから、最終的に裁判所の救済を受ける権利は否定されていないとされる。また、妊娠出産、婚姻を理由とする解雇の問題については、均等法においても民事上の侵害賠償の直接的な根拠規定を通じて禁止されているとの解釈がなされている。以上の点から、均等法は女子差別撤廃条約をクリアできる一応の内容を持った法律であったと評価できるだろう(8)。しかし、あくまでも最低限の要請を満たしているというだけで条約の内容を十分に汲み取ったものであるとはいいがたく、また、諸外国の男女雇用平等法と比較したときの不十分さも否定できないのである。

②男女差別をめぐる判例と均等法

 男女差別もしくは女性労働者保護に関する紛争を扱う裁判例は、1966年の住友セメント事件の東京地裁判決を皮切りに、1990年の社会保険診療報酬支払基金事件東京地裁判決まで24年間に約60件弱の事件、約80件強の判決を数えている(9)。従来、日本企業は終身雇用制・年功賃金制という日本的雇用慣行のもとで、女子の結婚退職制や男女差別定年制などの男女労働者の異なる取り扱いを当然のものとして行なってきた。しかし、女性の職場進出が進み、その定着も長期化するに従って、これらの男女異なる取り扱いの違法性が裁判で争われるようになってきたのであった(10)。そして、住友セメント事件が切り開いた、男女異なる取り扱いをすることが「合理的な理由のない限り、民法第90条にいう『公の秩序』に反し無効である」という法理論は、その後の男女差別事件の判決に続々と採用され、雇用における女性差別を否定していった。

 しかし、裁判による救済は原告個人の救済に止まり、同様の差別を受けている女性全体は直接的には救済されないこと、昇進や昇格の格差の場合は性を理由とする差別であるという立証が極めて困難であること、また、救済の内容が限定されおり、採用差別等のケースでは不法行為として損害賠償請求はできても、採用の強制等、実質的な差別是正の効果を直接期待することはできないこと、さらには裁判手続きは被害者にとって時間と経費がかかりすぎること等の問題点と限界がある(11)

 また、女性に対する雇用差別の違法性を立証するにあたっても、雇用における性差別を直接的に禁止する明確な法規が存在しないために、前記したように裁判所は民法90条の公序良俗規定を媒介として、雇用上の男女差別の法的効力を否定するという方法を取らざるをえなかった。そため、差別をより効果的に是正し被害を救済するために、新しい法律制定の要求が高まっていったのである。これらの要請を背景に、均等法はそれまでの裁判例の到達点をほぼ路襲したかたちで成立した。しかしながら、「教育訓練を除けば、法律によって禁止された差別的な活動は、すでに20年前に判例によって禁止されました。そして、判例によってはっきり禁止されていない差別的行為、募集・採用、昇進・配置は努力義務規定となりました」(12)という指摘のように、均等法は労働事件での裁判例の成果をほぼそのまま取り入れて法律として追認したに過ぎず、法律の任務である権利義務の形成変更が積極的に行なわれていないとも言えるであろう。だが、少なくとも禁止規定の部分については、民法90条を持ち出さなくても均等法の規定を根拠に違法性を主張することができるようになり、また、裁判では個別のケースのみが救われるだけであることと比べると、裁判例で確立されてきた違法性を均等法が改めて確認したことの意義は大きいものであった。

(2) 均等法の成立による変化

 均等法の制定に際しては、日本の終身雇用制や年功序列制といった企業慣行や労使関係制度の特殊性を理由に使用者側が強い抵抗を示し、そのような状況のなかで均等法は「妥協の産物」として成立をみたものであった。そのため、機会均等の理念、差別規制のあり方、差別の具体的救済手続等について、諸外国の男女雇用平等法の定めとかなり趣が違うものとなり(13)成立当初、その実効性を危ぶむ声は大きかった。しかし、このような危惧にもかかわらず、均等法の与えたインパクトは予想外に大きく、企業における女性に対する差別的な雇用管理の改善はかなり進んだといわれている。そこで次に、均等法施行後の企業の対応について、均等法がその対象としている募集・採用から退職・解雇にいたるまでの雇用の各ステージごとに検証することによって、何が変り、何が変っていないのかを明らかにしてみたい。

①募集・採用

 募集・採用の分野は、均等法が最も大きな効果をもたらしたといわれている。1973年の三菱樹脂事件最高裁判決において最高裁は、憲法第14条の「法の下の平等および同第19条の「思想及び良心の自由」は私人相互の関係を直接規律するものではないから、企業は自己の営業のために労働者を雇用するにあたり、いかなる条件でこれを雇うかについて法律その他により特別の制限がない限り、原則として自由であるという解釈を示していた。また、労働基準法第3条の均等待遇(但し、性は対象となっていない)の原則についても、雇用契約前の採用における差別については適用されないと解されており、従って、均等法施行前には募集・採用における性別による差別的取扱いを規制する法的根拠は存在しなかった。つまり、ある企業がまったく女性を募集採用しなくても法律的には問題がなく、実態面でも男女別求人が一般的であり、4年生大学卒女性の就職は狭き門であった。均等法は努力義務規定ではあるものの、この事業主の聖域であった分野を初めて規制したものとして、画期的な意味を持っていると言えるだろう。

 この均等法の努力義務規定によって、企業の募集・採用方針はかなり改善が見られた。均等法施行後最初の大卒者採用計画について行なわれた「昭和62年3月新規大学卒業予定者採用計画調査」((財)女性職業財団)では、均等法施行前の61年3月に32.4%であった男女不問の求人が、施行後には72.0%に跳ね上がったことが示されている。

 しかし、施行後4年目に行なわれた「平成元年度女子雇用管理基本調査」(労働省)をみると、同年3月の新規学卒者の募集について均等法に抵触する「男子のみ募集」がいまだにかなりの企業で行なわれていることが明らかになっている。具体的には、大卒では事務・営業系の26.3%、技術系の50.0%、高卒では事務・営業系の8.4%、技術系の49.9%、中途採用者については20.9%の企業が「男子のみ」募集を行なっており、均等法の趣旨が充分浸透していないことが伺われる。

 一方、採用については、上記調査結果によると、平成元年3月卒の新規学卒女性を採用した企業は4年制大卒が9.1%、短大・高専卒20.6%、高校卒38.3%となっている。また、従業員300人以上の規模の企業や金融・保険業では、過去3年程度と比べて女性の採用が増えたとする企業が減ったとする企業の割合を上回っている。今後(3年程度)の採用方針も16.8%の企業が増やす方針であるとしている。しかし、女性を採用しなかった企業のうち、大卒女性採用については85.5%、短大・高専卒については79.6%の企業が今後もその方針をかえないこととしている。

 また、採用区分については、「新規四年制大学卒業予定者採用計画等調査」(1988年

労働省)によると、男性は、「総合的職務」の区分で採用された者が98.4%であるのに対して女性は51.4%にしか過ぎない。「総合職」の区分で採用された女性は女性採用者の約半分に過ぎず、4割の女性は「定型的職務」に回ったことになり、男女の採用区分の差が明らかである。そのため「総合的職務」での採用人数の男女割合は、男性88.0%、女性12.0%と大きな差が生じる結果となっている。

②配置・昇進

 「平成元年度女子雇用管理基本調査」によると、過去3年程度と比べてすべての職務で女性の配置が増えたとする企業が減ったとする企業を上回っている。特に「情報処理」「販売・サービス」といった職務では増加が目立っている。しかし、その反面、女性をすべての職務に配置している企業は23.0%に過ぎず、「研究・開発」「営業」「企画・調査」「人事教育訓練」「広報」といった重要部署に男子のみを配置しているとする企業も4~6割の間で存在する。

  配置に関する企業の基本的考え方も「女性の特性・感性を生かせる職務に配置する」という考え方が47.5%と最も多く、個人差ではなく性差に着目する考え方をしている。このことは結局、女性の能力を活かそうと考える企業は増えているものの、男女別の雇用管理の発想から抜け出し切れていないことを示している(14)いえるであろう。また、「補助的業務のみに配置」という明らかに問題のある回答も7.9%ある。

 均等法施行後1年で行なわれた「昭和61年女子雇用管理調査」(労働省)では昇進の制度・方針について、「法施行前から男女とも同じ取扱いであったので、変更する必要はなかった」とする企業が53.8%であったものの、「変更した」企業は4.8%に過ぎず、「まだ検討していない」企業が29.8%もあった。しかし、「平成元年度女子雇用管理基本調査」の時点では、今後の方針として女性管理職を増やす方針の企業が増えており、特に現在女性管理職がいる企業では増やす方針の企業の割合が高くなっている。

 実際の女性管理職の状況を見てみると、部長相当職の女性がいる企業は6.3%、課長相当職で15.9%、係長相当職で33.2%となっている。まだ女性管理職がまったくいない企業もかなりあるということである。管理職全体に占める女性の割合も部長相当職1.2%、課長相当職2.1%、係長相当職5.1%であり、女性管理職の数はまだまだ極めて少なくなっている。

③教育・訓練

 教育・訓練については、均等法で女性を男性と差別的に取扱うことが禁止されている分野である。しかし、「均等法施行3年目の雇用、労働条件と労働組合の対応調査」(1988年

全日本民間労働組合連合会)によれば、新入社員研修の内容が男女で異なるケースや女性のみの接遇訓練、男性のみあるいは男女異なる中堅社員訓練・配置転換のための教育訓練を実施している企業があることが示されており、法律で禁止されている分野でも完全には守られていない実態が指摘されている(15)

④福利・厚生

 均等法が差別的な取扱いを禁止している福利厚生の措置については、「昭和61年度女子雇用管理調査」においても「法施行前から、男女とも同じ取扱いであったので、変更する必要はなかった」とする企業が8割以上を占め、均等法施行以前から比較的差別的取扱いの少ない分野であったと言える。

 しかし、先の連合の調査によれば、住宅資金融資制度について「既婚者で世帯主」を要件としている企業が63.5%あるとされている。そして、世帯主の決定に当たって男性には無条件に認めながら、女性には配偶者より収入が多いことの証明を求めるなどのケースが報告されており(16)、実態的な面では女性が間接的に差別的取扱いを受けていることが想像される。

⑤定年・退職・解雇

 定年・退職・解雇についても男女別定年制が民法90条の公序良俗に反し無効であるという判例が確立しており、均等法施行以前から均等な取扱いはかなり進んでいた。均等法施行後は「昭和61年度女子雇用管理調査」に見られるように「施行前から制度はなく、対応する必要はなかった」とする企業と、施行後に「改善した」企業をあわせると、ほとんどの企業で男女別定年制や結婚・妊娠・出産退職制は解消されている。

 しかし、少ないとはいえ、平成元年の「自主点検結果」では男女別定年制がある企業が2.5%、結婚・妊娠・出産退職制ありが1.3%と報告されており、この分野でも法律の禁止規定が完全には実施されていない。

 以上に見てきたように、全体としては均等法の施行によって企業における女性に差別的な雇用管理は、制度的にかなり改善された面も見受けられる。しかし、問題は配置・昇進といった実質的な男女平等達成のために重要な分野の改善がまだまだ不十分なことや、採用区分や女性管理職の状況に見るように実質的な男女平等は制度改善の割には進んでいないことなどであろう。また、制度は改善されても、制度の運用において査定や能力評価、人事考課などを通じて男女差別が行なわれている可能性も高く(17)、今後は機会の平等だけではなく実質的な平等達成に向けての政策が推進されていくことが重要であろう。

(3)均等法の問題点Ⅰ-法の片面的解釈

 均等法の施行は、雇用の場における男女平等のための制度の改善や社会の認識の高まりをそれなりに進めてきた。しかし、この均等法を諸外国の男女雇用平等法と比較すると、その内容の不十分さや問題点は数多く指摘されているところである。それらの問題点のひとつが、法律の機会平等理念が女性に対する片面的なものとして解釈されているということである。均等法の第7条に規定される募集・採用について、施行通達は「男子が女子と均等な取扱いを受けていない状態については直接触れるところでは」なく、「女子により多くの機会が与えられていることや女子が有利に扱われていることは均等法の関与するところではない」としているのである。つまり、この解釈は、均等法が女性差別は問題にするが、男性差別は問題にするものではないということである。

 そもそも、均等法がこのように男性差別を規制しない法律として解釈することができるかどうかについては議論が分かれているところであるが(18)、そのような法律解釈上の是非はともかくとして、むしろ問題なことはこの解釈によって可能な、「女子のみ募集・採用」の問題である。均等法についての政府の解釈ではある職種について「男子のみ募集」とすることは均等法違反となるが、「女子のみ募集」とすることは認められることとなっている。このことは一見すると、女性には男性より多くの機会が与えられており、女性が有利に扱われているかのように思われる。しかし、「女子のみ募集」が行なわれているのは、現実には一般職やパートタイマーといった一般的に処遇や賃金の面で不利な職種なのである。そのため、「女子のみ募集」は女性に有利に働くどころか、女性のみの職場を作り出し、男女の職務分離を助長し、結果として女性を男性より劣る労働条件の職種に固定する結果になってしまっている。賃金や昇進など、男女の雇用上の待遇の差を縮め、男女平等を進めていくためには、男女の職務分離を解消していくことが重要な課題であることを考えれば、このような事態は規制され、是正されるべきものであろう。また、男女平等の基本的理念から言っても、実質的平等達成のために行なわれる積極的差別是正措置(アファーマティブアクション)以外の差別は男女どちらに対しても容認されるべきものではなく、均等法のこのような片面性の改善が求められる。

(4)均等法の問題点II-差別規制の不十分性
①努力義務規定の法的効力

 均等法では、募集・採用、配置・昇進、教育訓練、福利厚生、定年・退職・解雇という雇用上の全ステージをその対象としている。このうち、募集・採用、配置・昇進については、事業主は女子労働者に対して男子と均等な機会を与え、均等な取扱いをするように努めなければならないこととされている。これがいわゆる「努力義務規定」である。一方、教育訓練、福利厚生、定年・退職・解雇に関しては、女子であることを理由として差別的取扱いをしてはいけない旨の禁止規定となっている。

 この努力義務規定とは、国際的に通用している法的概念ではなく、日本特有のものであるとされている(19)。均等法への批判の多くもこの努力義務規定に集中している。そこで、ここで努力義務規定の法律的な意味を検討してみたい。

 努力義務規定は、その規定の趣旨を満たしていない場合に婦人少年室等が助言、指導又は勧告を行なうことをできるものであり、公法上の効果を持つものであるとされている。一方、私法上の効果としては、「もともと私法上の違法性が問題になることはなく、私法上直接これを根拠として損害賠償の請求権が生ずることはないと考えられ」(20)るものとされている。つまり、均等法の努力義務違反にあたる事項について裁判で争っても、均等法を根拠として損害賠償を勝ち取ることはできないわけである。

 この点について、均等法の努力義務規定は民法90条の公序良俗の法理を排除するものではないので、公序良俗に反する不当な取扱いがある場合には「公序良俗違反」として損害賠償請求の対象となりうるとされており(21)、努力義務規定に係わる分野についても司法上の救済が認められないわけでは, ない。しかし、前述したように、民法90条を根拠として女性差別を違法とする法理は雇用の場における男女差別を禁止する直接的な法規が存在しないためにとられた法的手段であり、その中で男女の雇用差別を禁止する立法の必要性も指摘されてきたのであった。ところが、新しく女性に対する雇用差別をなくすために生まれた均等法が相変わらず、民法90条の公序良俗規定に依存することになってしまっているのである。

 結局、努力義務規定は行政指導等によって「事業主が自主的に改善を行なわない限り、女子を男子と均等ではない状態に置き続けることを肯定する法概念である」(22)とも言えることになる。もちろん、日本では法律で禁止されていなくても行政指導がかなりの効果を持つということは認められているところであるが、差別規制の方法としてはきわめて弱く、不確実なものとならざるをえない。また、昇進・配置等、差別が潜在化しやすい分野が努力義務規定となってしまっていることで、均等法の差別是正に対する効果も著しく弱まってしまっているのではないだろうか。

  このような国際的にも通用しない問題のある努力義務規定は、早急に禁止規定に改正すべきことはあきらかであろう。

②対象範囲の問題性

 均等法にあって、均等取扱いの努力義務および差別的取扱の禁止の義務は「事業主」に課せられている。ここでいう「事業主とは、その経営の主体をいい、個人企業にあってはその企業主が、会社その他の法人組織の場合には法人そのものが事業主」であり、「事業主以外の従業者が自らの裁量で法律違反行為をおこなう」場合には、「権限を包括的に事業主から委任されており、その権限の範囲で行った」場合は、「事業主のために行為した」ので「事業主は法違反をとわれる」ことになるとされている(23)。労基法の「使用者」が労働契約の締結当事者であるのに対し、「事業主」では、雇い入れまえの「応募者」との関係も含むものである。

 労基法の「使用者」と比べみると、均等法の「事業主」規定は、「使用者」が行為者の法違反の場合、行為者、事業主両方が刑罰を課せられる(両罰規定)となっている「このことから考えると、行為者自身(例えば人事担当者)の責任を直接には問わない点では、より弱い規定であるといえる。

 しかし、「事業主」が当該女子と雇用契約を結ぶすべての個人・法人、規模・業種等を問わず、すべての「事業主」となっていることは、アメリカの「雇用機会均等法」が15人以下、イギリスの性差別禁止法が5人以下の事業主を適用除外としていることからみると、適用範囲に例外がないという点で均等法の長所である(24)

 しかし、また反面、雇用に重大な影響力を持つ、労働組合や職業紹介機関がふくまれていない点には問題が残されている。労働組合は、労働者供給事業が認められているし労働協約を通じ労働条件の設定に大きな力をもつ。また現状では企業に劣らない男性社会であるともいわれている。職業紹介機関についても、公共職業安定所については、均等待遇の法規定(職業安定法第3条)があるものの、就職指導を行っている学校等を含めて考えるとこの限りではない。さらに学校等についても、後述するように性別役割分業意識にたった進路指導等が行われている可能性があり、両者を適用対象に含めるべきであろう(25)

③間接差別の禁止

 女性に対する差別は表立って直接に行なわれるばかりとは限らない。例えば、事務職の応募について、職務の遂行に関連がないのに身長170センチ以上であることを条件とすれば、ほとんどの女性が排除されることとなり、結果的に女性に対する差別になる。このような差別は「間接差別」とよばれており、すでに諸外国においては法律や裁判所の判例で禁止されている差別概念である。例えば、イギリスでは性差別禁止法が明文で間接性差別禁止規定をおいており、アメリカの判例においては、意図的な差別である「不当な扱い(disparete treatment)」型差別に対比して、表面上は中立であっても結果として差別的影響がある「不な効di

sparete impact)」型差別の違法性も確立している。

  これらの諸外国の規定に対して、均等法には間接差別に関する明文の規定がない。さらに問題なのは、募集・採用、昇進・配置について「事業主が講ずるように努めるべき措置についての指針」についての労働省の解説が間接差別を認めるかのような記述をしていることである。つまり、募集・採用にあたって条件を付す場合には、男子に比較して女子に不利なものとしないという指針について、「同一の条件が設定されていれば、その条件が女子に不利に働く結果をもたらしたとしても、そのことはここでいう『不利なもの』には当たりません。(中略)…形式的には男女同一の条件を設定したとしても、これを満たす女子が男子に比して著しく少なく、かつ通常業務の遂行に直接関係のないような条件を付すこと(例えば、事務職募集にあたって身長が170センチメートル以上であることを条件とすること)は、問題がないわけではありませんが、最初に策定する指針において企業が女子を排除する意図を持ってそのような募集をすることもあるのではないかと想定して改善目標として示すというやり方は適当でないことから、今回の指針では触れていません。」という解説をしているのである(26)

 この解説のように、条件が同じでありさえれば、結果的に女性に不利に働くとしても規制の対象とはならない、というのでは、あまりにも不十分な対応ではあるまいか。たとえ「同一の条件」であっても、その職務の遂行に必要ではなく、意図的に女性を排除するためのもの、あるいは結果的に女性を排除する機能を果たすものであるならば、女性差別があることは明白であり、肯定できるものとは考えられない。このような間接的な差別を許すとすれば、形式的には機会の均等が保たれているかのように見えても、実質的には不平等と差別が発生することになるのである。

 前述したように均等法施行以後、表面的には女性に対する差別的な取扱いや待遇はかなり改善が見られている。しかし、実態面での機会平等はまだまだだという指摘は大きく、差別のあり方が間接差別のような巧妙な形に変ってきている可能性も高いのではないだろうか。そのことを考えれば、均等法でも間接差別を明確に規制する規定が求められるべきであろう。また、行政解釈にあっても、最初から間接差別が行なわれることを想定して規制するのは適当ではないというような消極的な解釈を示すのではなく、そのような間接的差別が行なわれないよう積極的で現実的な対応をしていくことを望みたい。

④コース別雇用管理制度の問題点

 従来、日本の企業の多くは、新規学卒者の採用にあたって男性と女性を分けて採用し、基幹的業務には男性を、補助的・定型的業務には女性を配置する「男女別コース制」を行なっていた。しかし、均等の施行によって募集・採用の対象から女性を排除して「男子のみ」募集・採用することは均等法に反することとなった。そこで、従来からの企業慣行を均等法の趣旨と調和・両立させるべく、均等法施行前後から企業が導入し始めたのが「コース別雇用管理制度」(あるいは「複線型雇用管理制度」)というものである。この制度は、通常、基幹的・管理的業務に従事し、全国的な転勤もある「総合職」と、定型的・補助的業務に従事し、転居を伴う転勤はない「一般職」というコース分けをし、コースごとに募集・採用、配置・昇進、賃金、教育訓練等の雇用管理を別個に行なうというものである。

 「平成元年度女子雇用管理基本調査」によると、コース別雇用管理制度を導入している企業の割合は全体では2.9%であるが、今後導入予定の企業を加えた割合は7.6%となる。特に大企業や金融・保険業では導入している企業の割合は高くなっている。

 コース別雇用管理制度は、男女平等に自由な選択権の行使を認めるべく運用されるならばかえって労使双方のニーズにあった雇用管理制度になるのではないかという意見もあるが(27)、女性を事実上特定コースに限定したり、同一コース内でも男女別の雇用管理をする等の運用によってはコース別に名を借りた男女別雇用管理制度に転化する可能性を持つものである(28)。実際、総合職に採用される女性は男性に比べるとわずかであり、コース導入時の振り分けでも男性は無条件に総合職に配置されるのに女性に対しては厳しい選考が行なわれたり、総合職に応募した女性に対してはことさらに転勤等を強調して暗に一般職を選ぶよう迫ったりする例も見られる。また、コースごとの仕事内容が明確に区別されていない、コース分けの基準が明確でない、コース転換が弾力的に運用されていない等の問題点もある(28)。さらに、先にのべたように、「総合職」は男女とも募集とするが「一般職」は女子のみ募集とすることにも問題がある。

 したがって、コース別雇用管理制度については、あくまでも両コースの選択が男女平等に確保されていること、コース分けの基準が合理的なものであること、コース転換が実質的に保証されていることがないかぎり、差別的な雇用管理制度であると言わざるをえないだろう。さらに、女性が家庭責任をより重く負っている現状において女性が転勤などを伴う「総合職」につくことはきわめて困難であり、家庭と仕事を両立できるような各種の社会支援が充実されることが不可欠の条件である。

(5)均等法の問題点III-紛争解決手続きの実効性

 均等法は、個別的な紛争解決手続きとして3つの方法を定めている。第一に事業場の苦情処理機関等による自主的解決(第13条)、第二に都道府県婦人少年室長による関係当事者に対する助言、指導、勧告、第三に「機会均等調停委員会」による調停である。

 また、これらとは別に法第33条では、婦人少年室長が法律の施行に関し必要があると認めるときには、助言、指導、勧告をすることができる旨が規定されている。以下ではこれらの紛争解決手続きについて検討してみたい。

①苦情処理機関等による自主的解決

 苦情処理機関とは、法律では「事業主を代表する者及び当該事業場の労働者を代表する者を構成員とする当該事業場の労働者の苦情を処理するための機関をいう。」と規定されている。

 「平成元年度女子雇用管理基本調査」によると、過去1年間に女性から均等取扱いに関する苦情・不満の申し出があった企業は9.2%に過ぎない。そして、その苦情の解決方法について見てみると「上司が相談をうける(60.2%)、人事担当者が相談を受け」(31

.1%)、「事項により担当部署が相談を受ける」(20.4%)などが中心で、「労働組合が仲介する」は5%、「苦情処理機関に委ねる」はわずか1.9%に過ぎない。このように、企業での苦情処理は組織だって行なわれておらず、法律が主な自主的解決方法として例示している「苦情処理機関」による解決という制度はほどんど機能していないのが現状である。

②婦人少年室による助言、指導、勧告

 均等法第14条に基づく関係当事者からの援助の求めによって行なわれた、婦人少年室の助言、指導、勧告等については今年5月、初めて労働省が均等法施行後5年間の件数を公表している。それによると、この5年間での助言等の件数は全部で226件に過ぎない。また、その多くは定年・退職・解雇に関するもので157件となっているが、配置・昇進に関するものも46件を数えている。ただし、均等法第33条による婦人少年室長が必要があると認めるときに行なわれる助言、指導、勧告は、同じ発表によると5年間で14,312件となっている。このように、当事者からの援助申し出によらないでも相談を契機に、あるいは自主的に婦人少年室が行政指導を行なっていることはそれなりの評価をしてよいこととは思われる。しかし、内容的にはここでも定年・退職・解雇の分野が大半(63.1%)を占めており、配置・昇進に関するものは5.0%、募集・採用はここ数年の増加が顕著であるものの、全体では29.4%となっている。

 第14条による助言等については、上記に見たように件数があまり伸びていないという問題だけでなく、それが救済申立ての受理といったそれ自体で法律効果を生ずるものではなく単なる「行政サービス」とされているという点も問題であろう。均等法の行政解釈によれば、婦人少年室長による紛争解決援助は「行政サービスとしての紛争解決を規定したものであり、労働者の紛争解決の援助の請求権を定めたものではありません」(30)ということになっている。そして、紛争解決援助として行なわれる助言、指導、勧告は「いずれも単なる事実行為であり、関係当事者が拒否した場合には従うことを強制することができない」(31)ものとされている。また、助言等によって解決しない場合には均等調停委員会の調停に引き継がれる形にもなっておらず、実効性の確保を図るための対応は講じられていないのである。

③機会均等調停委員会による調停

 この機会均等調停委員会による調停は、均等法施行後5年を経過した現在まで1件も行なわれていない。均等調停委員会による調停例がないのは、日本では紛争を表ざたにしたがらない傾向が強いからだという言われ方もしているが、制度の規定そのものに有効に機能しにくい問題点があることは否めないだろう。

 まず、機会均等調停委員会の調停を開始するには関係当事者一方からの申請だけではなく、他方の同意が必要とされている。つまり、調停による解決を望む女性がいても事業主が拒否すれば調停は行なわれないこととなるのである。差別を行なっている事業主側が容易に調停の開始に同意するとは考えにくいことを思えば、この要件が大きな障害になっていることは想像に難くない。

 また、均等調停委員会は調停案を作成し、当事者に受諾を勧告することとされている(第19条)が、この調停案を受諾するかどうかは当事者の自由な判断に委ねられており、調停案が当事者を拘束しない点も問題であろう(32)。結局、調停が受け入れられるか否かは当事者の合意にかかっており、実行の強制力はないのである。

 このような調停委員会による調停の問題点に対しては、その実効制を確保するために調停後に最終的に勧告などの決定を下し、その実効制を担保するための手段を設けること等が検討されるべきであろう。

(6)均等法の問題点Ⅳ-均等法と「暫定的な特別措置」

 女子差別差別撤廃条約は、第4条の第1項において「男女の事実上の平等を推進することを目的とする暫定的な特別措置をとることは、この条約に定義する差別と解してはならない」と規定している。ここで均等法の立法者は、均等法において「暫定的な特別措置」あたるものが第24条「再就職の援助」、第25条「再雇用特別措置の普及等」であるとしている(33)

 「暫定的な特別措置」とは、後述するように アファーマティブ・アクションを含む言葉である。立法者の言の通りであれば、均等法にもアファーマティブ・アクションがあることになるわけである。しかし、果して本当にそういえるだろうか。そこで、国際的な意味での「暫定的な特別措置」と均等法の関係を検証してみたい。

 「暫定的な特別措置」という用語は、国連などの国際社会においては、積極的活動、優先的取扱もしくは割当制を意味し、オーストラリアのアファーマティブ・アクション、イギリスおよびその他のEC諸国のポジティブ・アクション、スウェーデンの積極的措置、アメリカのアファーマティブ・アクション等を念頭においている言葉である(34)。そこで具体的にアメリカのアファーマティブ・アクションを参考に考えてみると、それは女性に対する単なる優先的処遇でないことが分かる。その根本的な性格は、次のように表現できるだろう。

「これは〔=アファーマティブ・アクション、引用者補足〕雇用における男女平等が達成されれば、各企業、各職場、各段階で働く人々の男女比が人口比に応じたものになると想定し、そのための積極的な努力を、社会全体で行っていこうとするものである。~中略~そこで採用・昇進・賃金などについての客観的な統計数字という指標によって、逆に平等な機会が保証されているか否かを判断し、これが男女同数という人口比や、その仕事につくために必要な資格を有する人の男女比に応じたものとなっていけば、雇用における男女平等は達成されたとみていくわけである」(35)。「目標と時間割制」(ゴール・アンド・タイムテーブル制、あるべき人数比の目標設定と時間割による達成管理、厳密なクォータ制=割当制とは異なる)のようなアファーマティブ・アクションの具体的方法もこのようなパースペクティブのなかで行われているのである。

 アメリカのアファーマティブ・アクションに代表される「暫定的な特別措置」は、先進各国ですでに広く行われているものである。にもかかわらず、条文がわざわざ「暫定的な特別措置をとることは、この条約に規定する差別と解してはならない」と注意を喚起するのは、女性に対するこうした「暫定的な特別措置」が成果をあげながらも、女性のみに対する優先的処遇であって男性に対する差別(逆差別)であるという訴訟が、実施の障害になっている現実を踏まえている。そして、実質的平等を図るためには、こうした措置は必要不可欠であるという認識から、それを正当なものとして擁護することを明文で示したものと考えられる(36)

 これに対して、日本政府の「暫定的な特別措置」に対する認識は、女子差別撤廃委員会に提出されたレポートおよび質問に対するその回答によく現れている(37。『日本政府のレポートは、差別とならない暫定的措置として、女子に対する特別な職業指導、職業機会の整備、母子家庭の母等を対象とする措置(就業相談、職業訓練制度、就職援護措置、広報・啓発活動)、均等法における再就職の援助や女子再雇用特別措置等を紹介し、~中略~委員は、女性を採用するにあたり割当制度もしくは優先的取扱を含むプログラムは存在するのかという質問を行った。政府代表は、日本には割当制度はなく、西暦2000年までに各種審議会の委員の15%を女性にすることが新国内行動計画に示されているのみだと回答した。』

 レポートの内容は、女性のみを対象とする支援政策あるいは優遇政策が目標や達成計画抜きに並列的に列挙されているだけであり、ここから推認されるのは、女性のみを対象とする支援政策あるいは優遇政策は、すべて「暫定的な特別措置」であるという考え方のようである。一方、それに対して女子差別撤廃委員会における質問者の考えは、「事実上の平等を推進することを目的とする」という条約の文言における「事実上の平等」とは、国際的にはAffirmative

Actionを念頭に置いた人口比による平等達成のチェックといったシステムまでを含んだ考え方であり、こうしたシステムと連動していない「暫定的な特別措置」は有り得ないということであろう。だからこそ、レポートにあきたらず、割当制度や優先的取扱を含むプログラムについて質問をされたのであろうと思われる。確かに、均等法の立法者は「暫定的な特別措置」というものを「母性を保護することを目的とする特別措置」と並び、差別と解されない2つの例外であることは十分認識していた。しかし、「暫定的な特別措置」の中味については、国際的常識とかなり異なる考え方をしているのである。

 具体的に言うと、均等法第24条は「暫定的な特別措置」に当たると解説されている条項であるが、妊娠・出産・育児を理由として退職した女子が再就職を希望し、また、再就職の段階で不利な立場におかれやすいことから、国が職業指導、職業紹介、職業能力の再開発その他の措置を効果的に実施することを求めた規定である。しかし、具体的政策は、『依然として「女子向き職種」、「女子向き就業形態」への固定あるいは母子家庭の救済にとどまっている。』

(38)のである。また、具体的目標や計画の策定や遵守の義務などについても規定がない。

 また、均等法第25条も同じく「暫定的な特別措置」に当たると解説されている条項で、事業主に、妊娠出産育児を理由として退職した女子に対して再雇用特別措置(退職の際、復帰を希望していた女子に募集採用にあったって特別の配慮をする)実施の努力義務、国に制度の普及の努力を課したものである。しかし、努力義務規定であり義務ではなく、「特別の配慮」も必ずしも優先的な再雇用」でなくともよく、中味は各企業に委ねられており(39)、第24条と同じく具体的目標や計画の策定や遵守の義務などについては規定がない。

 このように、均等法の「暫定的な特別措置」に当たるとされる部分は、妊娠・出産・育児を理由とする退職者という特定の女子を優遇の対象として、国や事業主に努力義務を課しているものの、具体的な実行担保の方法は何等規定されていない。これは、国際的常識としての「暫定的な特別措置」とは、到底呼び得ないものではなかろうか。以上のように、レポートの内容とこの政府回答とを考え合わせて検討してみると、「特別措置」に対する国際的理解を共有できていなかったということが想像されるのである。従って、日本の均等法に、女子撤廃条約の言う「暫定的な特別措置」としてのアファーマティブ・アクション規定はないといえるのではないだろうか。いまや、「事実上の平等」を計画的に実現する本来的意味の「暫定的な特別措置」が政策として求めらているといえよう。そして、その政策はアファーマティブ・アクションないしポジティブアクションと認め得るものでなければならないだろう。

3 男女の賃金格差

 雇用の場における男女平等を考える時に忘れてはならないことは、男女の賃金格差の問題である。賃金格差の是正は女性の経済的自立を保証するために不可欠な要素であり、また、昇進や昇格による男女格差が賃金格差に反映されていることをなどを考えると、男女賃金格差が是正されないかぎり、実質的な男女平等も達成され得ないといえるだろう。

  日本の男女賃金格差は、諸外国の男女賃金格差と比べてもかなり大きいものであると指摘されている。そこで、実際に日本の男女間賃金格差の現状を見てみよう。1990年の「毎月勤労統計調査」(労働省)によると、パートタイマーを含む女性労働者の現金給与総額は男性労働者の49.2%となっている。この数字は1975年には55.8%であったから、15年間で6.2ポイント拡大していることになる。一方、パートタイム労働者を除くと女性労働者の所定内賃金は男性の60.2%、所定外給与を加えた定期給与では57.1%となり、これらの数字は長期的には縮小傾向である。

 それに対して、諸外国の男女賃金格差(非農林部門)は、男性を100とした場合、アメリカ68.2(1985年、フルタイマーの週稼得賃金の中位数)、フランス88.5(1984年、時間当たり賃金率)、旧西ドイツ73.4(1987年、時間当たり稼得賃金、家族手当を含む)、イギリス69.5(1984年、時間当たり稼得賃金、フルタイムの成年者のみ)、オーストラリア91.9(1982年、時間当たり賃金率、成年者のみ)であり40)いずれも日本より格差は小さい。

 このように、日本で男女賃金格差が大きいのは勤続年数、学歴、職種、職階、企業規模等における男女の違いによるものだという指摘は多い(41)実際、女性の労働者構成を男性にそろえて賃金格差を試算してみると、調整前の所定内賃金格差(男性を100とした時の女性の賃金)60.2が年齢別構成の調整後には62.8、学歴別構成の調整後には69.2、企業規模別構成の調整後は71.3、勤続年数別構成調整後は75.9、職階別構成調整後は78.3というようにその格差が徐々に縮小するという(42)

  しかし、ここで一つ論点としたいのは、日本では「同一価値労働同一賃金」原則が実現しているかということである。前章で見たように、近年、諸外国では「同一労働同一賃金」原則が男女の賃金格差の解消の有効な手段とはなり得ないという判断の下で、この「同一価値労働同一賃金」原則が立法や判例などで導入されてきている。つまり、男女の職務分離が存在する状況では、一般的に女性が多く従事する職務の賃金は、男性が多く従事する職務の賃金より低くなっている。従って、女性が従事している職務が、男性が従事している職務と同等価値を持つと評価される場合には同一賃金の支給を要求できることが認められないかぎり、男女の賃金格差は縮まらないのである。さらに、この「同一価値労働同一賃金」原則はILOの100号条約や女子差別撤廃条約の中にも規定されているものなのである。

 一方、日本では男女の賃金差別について、労働基準法第4条が「使用者は、労働者が女子であることを理由として、賃金について、男子と差別的取扱いをしてはならない。」と規定している。そして、この労基法第4条の規定を根拠に、秋田相互銀行事件(昭和50年4月10日秋田地裁判決)で男女別賃金体系の違法性や岩手銀行事件(昭和60年3月28日盛岡地裁判決、ただし、本件は現在控訴中)で家族手当の支給要件が女子であることを理由に不利に扱われていたことの違法性が確認されてきた。しかし、この労基法第4条の規定は「同一価値労働同一賃金」原則なのであろうか。日本は「同一価値労働同一賃金」原則を規定するILOの100号条約や女子差別撤廃条約を批准しており、また、女子差別撤廃条約批准のために施行された均等法では直接賃金についての規定をおいていないことなどを考え合わせれば、労基法第4条が「同一価値労働同一賃金」原則をも保証していると解釈しなければ、これらの条約と矛盾することになるのではないか(43)

 しかるに、労働省は「労働基準法第4条は同一労働に従事している場合についての男女賃金差別を禁止しているのであって、同一価値労働に従事している場合の平等まで規定するものではない」と解していると言い(44)、また、国連の第7回女子差別撤廃委員会においても、政府は日本ではまだ同一価値労働同一賃金原則が実現しているとは言えないと回答しているのである(45)

 日本の賃金体系や賃金のしくみは、欧米諸国とはおおいに違っており、現実に日本の賃金体系のもとでこの「同一価値労働同一賃金」原則を実施する方法について未だ十分な合意が形成されていないとの指摘もあるが(46)、「国際的公正経済競争の要請の中で、わが国だけjob

evaluationを避けて同一価値労働同一賃金の原則の履行を怠ることはもはや許されないはずである」(47)。従って、日本政府が批准している女子差別撤廃条約等の要請に答えるとともに、女性の職場やパートタイマーの低賃金を改善して賃金における男女平等を達成するために、「同一価値労働同一賃金」原則が明確に規定されるべきであろう。

4 教育と社会参加

(1)教育分野における女性差別

①女子差別撤廃条約と家庭科教育の見直し

 女子差別撤廃条約は、その第10条において教育における女性差別撤廃について規定している。その内容として様々な領域、レベルでの同一の権利を享受することの保証や男女共学の奨励や教材用図書、指導計画、指導方法による男女の役割についての定型化された概念の撤廃などの事項がうたわれている。

 先に述べたように、日本政府は女子差別撤廃条約批准のために、同条約に矛盾する国内法制度の見直し作業を実施し、教育の分野では「家庭科教育に関する男女異なる取扱い」が検討事項として提出された。

 日本では戦後の教育改革によって教育の機会は男女平等となった。しかし、教育課程は家庭科教育の女子のみ必修にみられるように、同一とはなっていなかった。現在、家庭科教育は高等学校の「家庭科一般」については女子のみ必修、男子選択(一般的に家庭科と体育から選択)となっており、中学校の「技術・家庭科」については、男子は技術系重視、女子は家庭科重視というように男女で履修内容が異なっている。これが条約の「同一の教育課程」の規定にそぐわない扱いであると判断されたのであった。

 条約批准のための教育課程見直しの結果、家庭科教育は高等学校について男女すべてに家庭に関する科目の中から1科目を履修させることとなり、中学校については家庭生活・食物・木工加工・電気の4領域は男女とも必修になり、選択領域から3つ以上を男女同一条件で選択履修することとなった。また、小学校の家庭科についても、衣食住に関する実践的な学習の充実を図ることとされた。これらの見直しは、1989年の学習指導要領の改訂、新教科書の採択を経て、高等学校は1994年度、中学校は1993年度、小学校は1992年度から実施されることとなっている。また、従来性別によるコース分けや時間数の差などのあった体育についても、条約との関連で中学・高校で武道、ダンスが男女とも履修できるようになり、男女別教育課程は女子差別撤廃条約署名12年目にしてようやく姿を消すこととなる。

 ただし、これらの改訂により家庭科の男女共修が実現されることとなったとはいえ、各領域の選択にあたっては事実上、男子が技術領域、女子が家庭領域を選択する可能性も指摘されており(48)、そのような懸念が現実化することのないよう、教師や保護者による積極的努力が求められるところであろう。

 このように、日本政府は女子差別撤廃条約の必要条件として、家庭科教育の見直しを行なったわけであるが、条約批准のための教育分野での検討はこれで十分であったのだろうか。前述したとおり、女子差別撤廃条約は教育分野における締約国の義務として、「男女の定型化された役割に基づく偏見、慣習、慣行の撤廃」を求めている。また、公教育が国民の意識形成に決定的な影響力を持つことを考えれば、社会一般に残る固定的性別役割分業意識を解消し、実質的な男女平等を達成するうえで教育の果たす役割は重要なものである。従って、条約批准のための教育分野の検討にあったっては、教科書の固定的性表現や教員の顕在的・潜在的性差別意識、進路指導の性的類型化等について、広範な検証がなされるべきであったのではないだろうか。そして、それらの検証の結果として、挿し絵などを含む教科書の抜本的改正、教員に対する男女平等研修や進路指導研修、進路指導ガイドラインの策定など、多方面の見直しが検討される必要があったのではないかと思われる。

②進学機会と進学分野における男女差

 高等学校への進学率については、1969年以降、それまでは男子の進学率が上回っていたのが逆転し、女子が男子を2~3ポイント上回る傾向が続いている。しかし、このような統計的な平等に反して、実態的には、高校進学の機会に関する男女格差の存在が指摘されている。1989年2月16日付けの毎日新聞の記事によれば、四つの都県では、公立の普通科高校が男女別定員制度を設けており、特に進学校では、女子の定員が少ない傾向が顕著に見られるという。これに対して、各都県の弁護士会は、公立高校の普通科の生徒募集にあたっては各学校ごとに男女同数(少なくとも人口比に応じた割合)を入学させるべきだという改善要求を出している(49)。また、男子を多く女子を少なく志願させるよう高校側から中学側に受験要請があり、中学側はそれに基づき女子生徒を差別する進路指導をしていたという例や、ある県の名門県立高校の理数科では、女子が増えると進学率が下がる(女子の場合、家庭科教育を行なわねばならず理数系独特のカリキュラムが組めなくなる)等を理由に、入試前に合格判定が行なわれ、合格圏内の女子生徒6人が不合格にされた例などがあるといわれている(50)。このような明らかな女性差別が高校進学時に行なわれているとすれば重大なことであり、制度や実態を厳しく注視していくことが必要であろう。

 また、高校進学については、職業高校への進学にあたって女子は商業科、男子は工業科の割合が高くなっており、性別によるコース分化が明確であることも問題であり、改善が求められるところである。

 一方、大学・短大等の高等教育への進学率を学校基本調査(文部省)により見てみると、1989年には女子33.3%、男子35.8%となり、女子の進学率が男子を上回るようになったしかし、女子の高等教育進学者の6割は短大進学者であり、男子の短大進学者が2~3%なのに対して、女子のそれは22.1%となっている。これに対して女子の4年生大学への進学率は14.7%であり、男子に比べて極めて低い。ここ数年、女子の4年生大学志願者は急増しているといわれるが、いまだ「男は4年生大学、女は短大」というパターンは根強く残っていると言えるだろう。

 また、高等教育での専攻分野にも男女の著しい偏りが見られている。短大の学部別割合を見てみる(1988年 学校基本調査)と、女子は人文科学(27.4%)、家政(28.0

%)、教育(19.4%)の3分野で約75%を占めており、男子は工業(46.1%)や社会科学(28.8%)が多くなっている。同様に4年生大学でも、女子は人文科学(36.3

%)、社会科学(17.7%)、教育(15.4%)に集中しており、男子は社会科学(46.6%)、工学(25.9%)の割合が高い。しかし、このような男女の専攻分野の偏りも徐々には狭まりつつあるようである。例えば、短大女子の学部別割合は1975年と1988年を比較すると、家政や教育はそれぞれ4.2ポイントと6.4ポイント減少しているのに対し、社会科学は3.0ポイント増加している(51)。4年生大学でも1988年の女子の入学者の専攻を1980年を100としてそれぞれ比較すると、法学は219、経済・商学は211など社会科学専攻者の伸びが著しい(52)。また、理工学や医学の専攻者も増えている。女子学生を積極的に受け入れる土木工学科が設立されたり、男性に門戸を開いた家政学部もあらわれるなど、大学側の受け入れ体制にも変化が見え始めていると言われる(53)

 こうした高等教育における男女の専攻分野の偏りは将来の職業選択に大きな影響を与え、ひいては男女の職分離につながることは想像に難くないことである。前述したように、各国では進路指導や職業教育を通じての職分離解消のための施策を積極的に進めている。たとえば、イギリスではWISE(Women into Sience and Engineering)キャンペーン」という広報・教育活動を展開して女子学生が理工系の学科や職業に興味を持つように進路指導を行なったり、理工系学科への弾力的入学制度や転部制度を導入している(54)。日本でもこのような諸外国の施策を見習って、進路選択時点からの積極的な職分離解消のための事業等の展開が考慮されてよいであろう。

 また、男女の専攻分野の偏りが一義的には女子学生自身の選択の結果であるにしても、専攻の決定に与える教員等の進路指導の影響には大きいものがある。そこで、進路指導においては教員等の固定的性別役割意識を排除するとともに、新たな分野や進路に関する情報を積極的に提供し、あくまでも個人の適性と興味に沿った進路選択が保証されるように努めていくことが重要なことであると考えられる。

③教科書のなかの女性差別

 教科書は子供たちにとって最も日常的で影響力の大きいメディアであり、そこでに描かれた内容は子供たちの意識形成に大きなインパクトを与えている。特に日本では、教育基本法が小学校、中学校においては「文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部大臣が著作の名義を有する教科用図書を使用しなけらばならない」と規定し、さらに行政解釈によって学校では特定の教科書を必ず使用しなければならないとされていることから、義務教育における教科書の比重は極めて重いものとなっている(55)。したがって、性別役割分業意識を解消し、男女平等教育を推進していくうえでも教科書の役割は極めて重要なものである。女子差別撤廃条約においてもその第10条で、教科用図書の改訂等による「男女の役割についての定型化された概念の撤廃」をうたっている。

 日本においても1975年の国際婦人年「世界行動計画」の中で、教科書その他の教材を再検討し、必要な場合には社会における積極的な参加者としての女性像を反映するようにこれを改訂すべき」ことが盛り込まれたことを受けて、教科書の差別問題が表面化し、1976年には民間グループなどが性差別の視点からの教科書の分析を行なった。その分析の結果、教科書の作り手の多くが男性によって担われ男性中心の見方になっていること、教科書に登場する女性が依存的であったり、主婦や看護婦、ウェートレス等の特定職業に限られていること、夫婦共働きを社会病理としてとらえていること、英語の教科書ではケーキを作り皿を洗うのはいつもsheはつらつとスポーツをするのは”he”であることが多いことなど多くの問題点が指摘された(56)

 こうした指摘の後、職場で働く女性や買物をしたり風呂の掃除をする父親の姿を描く教科書もあらわれ、若干は改善は見られたようである。しかし、1989年に日本弁護士連合会が行なった調査では、全体として教科書の性差別は10年前とさほどは変っておらず、相変わらず女性の登場人物が少なく、「男は外で働き女は家事」という性別役割分業意識が根強く残っていたり、性差別の理解のための記述が少ないなどの傾向が報告されている(57)

 このような教科書のなかに繰り返し描かれる性別役割分業によるステレオタイプな表現は、子供のなかに無意識のうちに性的役割分業の肯定や男尊女卑的な考え方を植え付け、性的役割分業意識を再生産していくのである。女子差別撤廃条約の要請に答え、実質的な男女平等を実現していくためには、教科書の中の性差別を改善していくことの重要さが痛感されるところである。

 それに対してアメリカでは、大手教科書出版社が教科書における男女平等のガイドラインを作成し、下院議院の公聴会で意見聴取と討議が行なわれる(58)などの積極的な対応を行なっている。日本においても教科書の検討、改善に向けてより積極的な対応が望まれる。

(2)政策決定課程への参加

 社会全体に残る性差別を解消し、男女平等社会を作っていくためには、女性政策の推進のみならず、社会全般に対して行なわれる様々な立法や政策の中に男性と平等に女性が参画し、男女平等理念が貫徹されていくことが必要である。しかし、現在、これらの立法や施策の決定にあたっては、その多くが男性によって担われ、女性の参画はきわめて低くなっている。そのため、男性に根強く残る伝統的な性別役割分業意識によって作られ、女性にとって抑圧的なものとなっている可能性も高い。男女平等をめざす社会における政策決定は、男性、女性両性によって担われなければ、責任と実効性のあるものにはなり得ないであろう。そのために圧倒的に男性の視点のみによって行なわれている政策決定の場へ、女性の参画を推進し、女性の視点を取り込んでいくことが求められるのである。

 政策決定への女性の参加については、女子差別撤廃条約でも第7条で「自国の政治的および公的活動における女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとる」こと、「政府の政策の策定および実施に参加する権利ならびに政府のすべての段階において公職に就き及びすべての公務を遂行する権利」を確保することを締約国に求めている。また、ナイロビ将来戦略では「立法、行政措置による国及び地方レベルにおける政策決定課程への婦人の参加の確保」を規定し、さらに、1990年のナイロビ戦略の第1回見直しにおいては「政府、政党、労働組合、職業団体、その他の代表的団体は、それぞれ西暦2000年までに男女の平等参加を達成するため、指導的地位に就く婦人の割合を、1995年までに少なくとも30%にまで増やすという目標を目指し、それらの地位に婦人を付けるための募集及び訓練プログラムを定めるべきである」と、具体的な目標値を設定して政策決定への参加の促進を促している。

 日本においては「西暦2000年に向けての新国内行動計画」の中で「政策・方針決定への参加の促進」を掲げ、政策としては①審議会等における婦人委員の割合について政府全体として15%を目指す等、国の政策・方針決定の課程への婦人の参加拡大、②女子公務員の採用、登用、職域の拡大、積極的能力開発の促進、③地方公共団体、民間諸団体等への協力要請と社会的気運の醸成の3本を柱としている。また、今年5月の「新国内行動計画」の第一次改訂においては、国の審議会等の女性委員の割合を今後5年間で15%とすることを目標とするという改訂を行なっている。

 では、実際に日本における女性の政策決定への参画はどのくらい進んでいるのか、「婦人の政策決定参加を促進する特別活動関係資料」(内閣総理大臣官房内政審議室1991年3月)によって見てみたい。まず、国の審議会などにおける女性委員比率は1990年11月1日現在で8.2%となっている。都道府県では8.7%、指定都市では9.8%(1990年6月1日現在)となっており、国の数字を上回っているが、いずれも低水準に止まっている。

 次に公務員の女性管理職者の率を見てみると、国家公務員行政職(Ⅰ)の9級以上の女性は8,583人中58人、割合にして0.7%(1990年)である。都道府県における本庁の課長相当職以上は35,679人中988人、28%、指定都市では11,072人中363人、3.3%(1990年)となっている。

 国会議員の女性割合は、1989年の参議院議員選挙で女性議員が過去最高の22人当選したことや1990年の総選挙でも新憲法下で最多タイの12人当選など、最近の女性議員の躍進によって大幅な増加を見、1990年6月現在で46人、6.0%となっている。これはアメリカ(5.2%)、イギリス(5.8%)、フランス(4.3%)に並ぶ水準である。地方議会議員では2.5%(1990年12月現在)と国会議員を下回っているが、市議会(4.5%)、特別区議会(8.9%)では女性議員の進出が目立っている。

 なお、司法分野における女性比率は裁判官4.5%(1989年6月現在)、検察官2.1

%(1989年6月現在)等となっている。

 以上に見るように、女性の政策決定課程への参加については増加傾向にあるものの、その絶対数はまだまだ少なく、ナイロビ将来戦略第1回見直しに示されている1995年までに30

%という目標との隔たりは大きい。しかし、1991年4月には、芦屋市で初の女性市長が誕生し、東京都、沖縄県で女性副知事が任命されるなど、女性の政策決定への参加は進展しつつある。また、女性の意志決定の場への参加がきわめて遅れていると批判の高かった労働組合でも、日本労働組合総連合会(連合)が今年7月、女性の組合役員比率を西暦2000年までに15%に高めることを目指した行動計画の素案をまとめている。本県においても以前より、新かながわ女性プランの中で審議会等への女性の登用を30%にするよう政策を進めていたが、今年度からはさらに女性の登用を進めるために女性人材の登用・育成のための事業を開始しており、その成果を期待したいところである。

〔注〕

(1) 労働省婦人局『パートタイム労働豆事典』(一般資料No.37 1ページ

(2) 労働省編『平成3年度版労働白書』1991年 110ページ

(3) 1984年3月2日付け日経連「女子差別撤廃条約に関する公開質問状」に対する政府回答より

(4) 『わかりやすい男女雇用機会均等法』(有斐閣)1986年 3ページ

(5) 浅倉むつ子著『男女雇用平等法論-イギリスと日本』(ドメス出版)1991年

84-85ページ

(6) 前掲書(5) 85ページ

(7) 前掲書(5) 94-95ページ

(8) 前掲書(5) 95ページ

(9) 前掲書(5) 214ページ

(10)奥山明良「女子雇用差別判例の動向とその問題点-均等法施行後の判例を中心に」

 『女性職業財団5周年報 1986-1990』((財)女性職業財団)1991年 72-73ページ

(11)前掲書(10) 76-77ページ及び前掲書(5) 230-231ページ

(12)フランク・K・アッパーム「アメリカの法律家の目から見た日本の雇用機会均等法」

『日本労働協会雑誌 No.337 』1987年

(13)前掲書(10) 77ページ

(14)佐藤ギン子著『男女雇用機会均等法の5年』(労務行政研究所)1990年 106ページ

(15)日本弁護士連合会「男女雇用機会均等法等施行後の見直しに関する意見書」1991年

 20ページ

(16)日本弁護士連合会 前掲書(15) 22ページ

(17)前掲書(5) 272ページ

(18)前掲書(5) 258ページ

(19)桑原昌宏「男女雇用機会均等法改正への提言」『季刊労働法No.155』1990年

8ページ

(20)赤松良子著『詳説男女雇用機会均等法及び改正労働基準法』(日本労働協会)1985年

 243ページ

(21)前掲書(20) 243ページ

(22)前掲書(19) 8ページ

(23)前掲書(20) 242ページ

(24)大脇雅子著『均等法時代を生きる』(有斐閣)1987年 25ページ

(25)花見忠著『現代の雇用平等』(三省堂)1986年 227ページ

(26)労働省婦人局婦人政策課編『男女雇用機会均等法及び改正労働基準法の省令・指針解説』(日本労働協会)1986年 46ページ

(27)奥山明良「男女雇用機会均等法の到達点」『季刊労働法No,144』1987年 29ページ

(28)労働省婦人局編『平成2年度版婦人労働の実情』1990年 67ページ

(29)関本昌秀「業種別にみる女性活用の現状と課題」『女性職業財団5周年報1986-1990』((財)女性職業財団)1991年 63ページ

(30)前掲書(20) 303ページ

(31)前掲書(20) 301ページ

,

(32)前掲書(5) 268ページ

(33)前掲書(20) 318321ページ

(34)国際女性の地位協会編『女子差別撤廃条約-国際化の中の女性の地位-』(三省堂)

1990年 137ページ

(35)金城清子著『法女性学』(日本評論社)1991年 207ページ

(36)前掲書(35) 80ページ

(37)前掲書(34) 136ページ

(38)中島通子他著『女子労働の実務』(中央経済社)1988年 105ページ

(39)前掲書(20) 323ページ

(40)労働省婦人局編『平成元年度版婦人労働の実情』1989年 付表131

(41)前掲書(5) 172-175ページ及び前掲書(10) 83ページ

(42)労働省編『平成3年度版労働白書』1991年 133-134ページ

(43)林弘子「男女賃金差別の現行法制の限界と矛盾」『季刊労働法 No.157』1990年

117ページ

(44)前掲書(15) 46ページ

(45)前掲書(5) 90ページ

(46)前掲書(5) 8890ページ

(47)前掲書(43) 125ページ

(48)前掲書(34) 147-148ページ

(49)前掲書(34) 146ページ

(50)井上輝子、江原由美子編『女性のデータブック』(有斐閣)1991年 135ページ

(51)前掲書(50) 117ページ

(52)前掲書(50) 47-2

(53)前掲書(50) 116ページ

(54) 前掲書(34) 150ページ

(55)大脇雅子他著『』教科書の中の男女差別』(明石書店)1991年 215-216ページ

(56)前掲書(50) 134ページ

(57)前掲書(34) 149ページ

(58)前掲書(34) 149ページ

第2節 在日外国人(主として韓国・朝鮮人)の現状と課題

 第1章では国際人権の流れを概観し、国際社会においては到達すべき人権基準が設定され、差別の禁止と具体的な是正策特に人種差別撤廃条約)が必要とされるようになってきたことを見てきた。さらに第2章において、先進国での人権保障政策について調査し、人種差別撤廃条約の批准により、国内法として法律による差別の禁止差別は犯罪である)が明文化されている国もあり、人権保障の考え方も、先進国における地方参政権の保障に典型的にみられるように、「国籍原理」から「居住原理」への変換が進められていることが明らかになった。(なお、国籍法について出生地主義をとる国では移民II世以降は国籍を理由とする差別は発生しない。)

 ところが日本国内に眼を向けると、差別禁止の法制化(人種差別撤廃条約の批准)も進まず、「国籍原理」から「居住原理」への変換もみられない。従って在日韓国・朝鮮人は三世、四世の時代になっても国籍を唯一の理由として、地方参政権が保障されず、公務就任権(特に一般事務職)も一部自治体で完全実施されているが、自治省の「指導」により、都道府県、政令指定都市では門戸開放されていない。また、在日韓国・朝鮮人は決して「移民労働者」ではなく、政府の国策により徴用、連行され、または渡日を余儀なくされた人々とその子孫である。

 従って日本政府は、過去の植民地支配に対する戦後補償、戦争責任という側面と、国際的な人権保障の水準に到達するべき立場(これこそ国際的貢献である)から在日韓国・朝鮮人に対する権利保障を行わなければならないはずである。以上二つの観点から、在日韓国・朝鮮人の形成の歴史と現在までの政府の対応、課題と解決の方向について検討する。

1 在日韓国・朝鮮人問題の歴史的背景(戦前)

 平成3年6月末の神奈川県の外国人登録者数は総数85,678人で、国籍別にみると1位が韓国・朝鮮人で33,883人となっている。日本全体をみても昭和63の在留外国人941,005人のうち、韓国・朝鮮人が677,140人でトップであり、全外国人に占める割合は72%に達する。在日韓国・朝鮮人が多数居住するようになった背景には、日本の朝鮮に対する植民地支配と強制連行の歴史があり、これらの歴史に対する認識が深まらない限り、在日韓国・朝鮮人の人権問題の根本的な解決は望めない。紙面に制限があるので、ここでは現在の在日韓国・朝鮮人問題に関連する植民地政策についてのみ、概略を紹介する。

(1) 1910年8月29日「日韓併合に関する条約」の公布

 併合条約は全文8ケ条から構成され、前文で日韓相互の幸福の増進と東洋平和の確保のための日韓併合であると謳い、本文で韓国の統治権を韓国国王が日本天皇に<譲与>し(1条)、それを日本天皇が<受諾>して<併合することを承諾>した(2条)と規定しており、作為に満ちた文章となっている。以後1945年の第二次大戦終結まで36年間、朝鮮半島は朝鮮総督府が統治する日本の植民地支配下に置かれた。

(2) 土地調査事業(1910年~1918年)

 1912年に公布された土地調査令により、「土地の所有者は朝鮮総督府のさだむる期間内にその住所、氏名または名称及び所有地の所在、地目等を臨時土地調査局長に申告」することを義務けた(4条)。煩雑な申告作業や、当然のことながら日本語を理解できないため、あるいは高い課税を恐れて申告をしなかった人が多数いた。こうして申告しなかった人の土地は全て無主地として日本の国有地にされてしまった。この事業の結果、総督府の財政基盤が確立し国有地の払い下げにより、日本人地主の進出が容易になった。一方朝鮮人の農民については、自作農が激減し、困窮する小作農や土地を奪われた農民が増加した。当時の朝鮮人の人口の80%が農民であったのでその被害は甚大であり、この土地調査事業は故郷を捨てて日本に流入する朝鮮人が増大する主要な原因となった。事業完了の数カ月後3.1独立運動が勃発し、農村部においては特に長期に、激しく闘われたことがこの事業の性格を端的に示している。

(3) 国家総動員法

 1938年4月、日本政府は日中戦争完遂のため「国家総動員法」を公布し、翌月に「国家総動員法を朝鮮、台湾及び樺太に施行するの件」によって国内のみならず朝鮮にも実施した。1939年7月企画院は「昭和14年度労務動員実施計画綱領」を策定し、逼迫する国内の労働力の重要な供給源として、朝鮮人労働者を重要産業(石炭鉱山、勤続鉱山等)へ移出するべく計画を組んだ。この労務動員実施計画は昭和19年まで引き続き策定されていた。

(4) 皇民化教育

 新たな「朝鮮教育令」の施行(1939年)により、「教科書に関しては、小学校については文部省編纂のものを、中学校及び高等女学校については朝鮮総督または文部大臣の検定を経たるものにつき朝鮮総督の認可を受け使用すること・・、各学科目、学科の要旨並びに学科教程等はいずれも内鮮人(原文のまま)等しく同一の要旨によること」を原則とすることとなり、朝鮮人児童・生徒に対しても国語は日本語、国史は日本史を正課とし、日本語教育が強制されることとなった。

(5) 創氏改名

 1939年「朝鮮人の氏名に関する件」(朝鮮総督府制令第20号)の施行により、朝鮮人の氏名を日本名に改めることが強制され、家系を重んずる朝鮮民族に衝撃を与えた。在日韓国・朝鮮人がいまなお通称名として日本式の氏名を使用する背景はこの創氏改名政策にまで遡る。

(6) 強制連行

 植民地支配が始まった当初、朝鮮人労働者の移入を極力制限するのが政府の基本政策であった(1918年労働者募集取締規則 朝鮮総督府令第6号)が、前述の「国家総動員法」により方針を変更し、1939年政府は内務・厚生両次官名の依命通牒「朝鮮人労務者内地移住に関する件」を各地方長官に発し、それまでの朝鮮人労働者の内地移住制限を撤廃した。朝鮮人労働者の集団的連行を制度的に可能にしたのであった。そして同年9月、従来の労働者募集取締規則を国家総動員政策に応じて用できるように「朝鮮人労働者募集要綱」と「朝鮮人労働者移住に関する事務取扱手続」を定めた。この後における朝鮮人労働者の労務動員計画は、その方法、時期により三段階に分けられる。

①「募集」

 募集方式を細かく分類すると(ア)志願募集(イ)縁故募集(ウ)請負募集 (エ)業者直接募集(オ)過度的統制募集(カ)本格的統制募集に分けられる。(ア)~(エ)までは労働者募集取締規則による所定の手続きを経て当局の許可を受けて募集するものであった。(オ)過度的統制募集は上記の「昭和14年度労務動員実施計画綱領」により、「朝鮮人の労力移入を図り適切なる方策の下に特にその労力を必要とする事業に従事せしむる」ために行われた。これも従来の募集方法に変わりはないが、国家的要請によるという募集の性格上、募集を割り当てられた末端組織の役人や警察官にとっては、それだけの数の労働者を確保して応募させなければならない義務を事実上課せられたに等しかった。(カ)本格的統制募集は過度的統制募集では所期の目的が達成されなかったために、1940年1月に1918年の労働者募集取締規則を廃止し、新たに「朝鮮職業紹介令」及び施行規則を公布することにより実施された。これにより、朝鮮での職業紹介事業は政府の管掌の下に置かれることになり、性格も軍事的統制・配置の性格が鮮明にされた。

②「官斡旋」方式

 1942(昭和17)年2月、政府は「朝鮮人労務者活用に関する方策」を決定した。これを受けて朝鮮総督府は「朝鮮人内地移入斡旋要綱」を制定し、割当労務者の選定を朝鮮総督府の関係部署及び関係団体(朝鮮労務協会)が一体となって強力に行うこととなった。

③「国民徴用令」の発動

 1938年の「国家総動員法を朝鮮、台湾及び樺太に施行するの件」は朝鮮人の抵抗を恐れて朝鮮においては発動されてこなかったが、1944年9月からは戦争の激化による著しい労働力不足により、ついに朝鮮においても発動されることになった。この徴用令の朝鮮での適用により、一片の紙で朝鮮人を日本内地、占領・支配地域へ強制連行することができるようになった。

(7) 協和会への加入の強制

 関東大震災の朝鮮人虐殺事件以後、この事件を「反省」し、「内鮮融和」が唱えられ、多くの「融和団体」が生まれた。1920年以降、大阪府、神奈川県など在日朝鮮人が多数居住する地域では在日朝鮮人の「補導」、取り締まり、同化を目的に「内鮮融和会」などが創られた。1934年10月「内地における朝鮮人の指導向上及びその内地融和を図る」とした閣議決定を受け、1936年度予算から協和事業費を計上し、政府は各地方官庁に補助奨励して設立を促した。1938年に中央組織として厚生省社会局長、内務省警保局長、朝鮮総督府内務局長らを理事とする「中央協和会」が設立され、39年から実質的な強制連行が開始されると、協和会は被連行労働者の訓練や逃走防止の業務にも従事するようになり、被連行労働者はこのような協和会に入会し、その会員証を所持することが義務付けられた(募集要綱、官斡旋要綱)。この協和会手帳の第1ページには皇居の写真と君が代が刷り込まれ、皇国臣民の誓詞のほかは住所、氏名等が記録され、朝鮮人が協和会手帳を所持していない場合は逃亡した強制連行者などと疑われ、取り締まりの対象とされた。今日の外国人登録証明書の原型と言われるゆえんである。

(8) 強制連行者の推定数

 「募集」、「官斡旋」方式、「国民徴用令」の発動によって連行された朝鮮人の総数を確定できる資料はなく、1990年2月の衆議院における質問に対し、「有権的に申し上げられるようなデータを現在までのところ持ちあわせていません」と政府は答弁している。戦後に公刊された政府資料によると724 727人にのぼるが、E・W・ワグナー「日本における朝鮮少数民族」によると1937年から1945年までに約125万人の朝鮮人が産業に追加投入された」と記されている。

 戦前の朝鮮人強制連行が現在の在日韓国・朝鮮人問題を生じる主な原因となったのであり、強制連行を、「侵略」を象徴する行為として長く記録に留めておく必要があるとの認識に基づき、1990年5月の盧泰愚韓国大統領訪日時に、韓国政府は、日本政府にその名簿の提出を求めた。日本政府は 地方自治体にも協力を求めながら名簿の有無を調査し、1990年8月「朝鮮人徴用(強制連行)者等に関する名簿」として概要を発表した。結果はその約1割に過ぎな79,578人分であった。政府は今回の調査結果を最終報告としているが、両国の戦後処理問題の一つとして、不十分であることは言うまでもないし、地方自治体では引き続き調査活動を続ける必要がある。

 また、盧泰愚韓国大統領訪日時の第一回首脳会談において、海部首相は「私は大統領をお迎えしたこの機会に、過去の一時期、朝鮮半島の方々が、我が国の行為により、耐えがたい苦しみと悲しみを体験されたことについて謙虚に反省し、率直にお詫びの気持ちを申し述べたい。我が国としては、その認識に立って、過去に起因する問題、すなわち三世問題、在韓被爆者問題、在サハリン韓国人問題の解決に向け、誠意をもって取り組んできた。・・中略・・。」と述べているが、実際はどうであったのか、以下、戦後の在日韓国・朝鮮人に対する処遇の推移を見ていきたい。


年表 韓国・朝鮮人の日本への移住推移及び在朝日本人の移住推移

 年度

在日朝鮮人

在朝日本人

1895

1900

 05

 09

 10(43)

 11

 12(1)

 19

 20

 23

 31

 35(10)

 37

 38

 39

 40

 41

 42

 43

 44

 45(20)

12

196

303

790

2 527

3 171

28 273

30 178

80 617

318 212

625 678

735 689

799 865

961 591

1 190 444

1 469 230

1 625 054

1 882 456

1 936 843

2 365 263

12 303

15 829

42 460

171 543

210 689

243 729

346 619

347 850

403 011

514 666

619 005

629 512

633 320

650 104

707 742

717 011

752 823

712 583

日本軍妃虐殺

日韓保護条約

伊藤博文暗殺

日韓併合

1次世界大戦 朝鮮教育令

土地調査事業

3.1独立運動

産米増殖計画着手

関東大震災、朝鮮人約6000人虐殺

「満州」事変

在日朝鮮人数が在朝日本人を超す

日中全面戦争

志願兵制度公布

創氏改名

国民総力運動

太平洋戦争

朝鮮徴用令

学徒兵制を強制

朝鮮徴兵令

日本敗戦、朝鮮人の参政権停止

 46

 47

 52

 59

 65

 79

 82

 85

 90

647 006

508 905

535 065

619 096

583 537

662 561

669 854

683 313

686 237

GHQ軍人恩給の廃止

外国人登録令施行  日本国憲法施行

講和条約締結  外国人登録法施行

北朝鮮への帰国運動開始

日韓条約

国際人権規約発効

難民条約発効

女子差別撤廃条約、国籍法改正(父母両系血統

91年協議(日韓覚書911)     主義へ)

         在朝日本人数については森田芳夫『朝鮮終戦の記録による

 1945年までは内務省警保局調査 1946年は総司令部覚書による登録

 1947年は臨時国勢調査による、その後は法務省調査(戦後の在日韓国・朝鮮人

の人口減は本国帰国と北朝鮮への帰国及び国籍法の改正による時だけである。)


年表 日本に強制連行された朝鮮人

年度

 

金属鉱山

土建業

工場他

合計

1939

1940

1941

1942

1943

1944

1945

34 659

38 176

39 819

77 993

68 317

82 859

   797

5 787

9 081

9 416

7 632

13 763

21 442

   229

12 674

9 249

10 965

18 929

31 615

24 376

   836

2 892

6 898

15 167

14 601

157 795

8 760

53 120

59 398

67 098

119 721

128 296

286 472

10 622

合計

342 620

67 350

108 644

206 113

724 727

      出典:大蔵省管理局「日本人の海外活動に関する歴史的調査3-朝鮮編第9分

冊」高麗書林(ソウル)復刻版1985年刊

<資料:強制連行者の名簿>

平成2年8月7日 日本政府発表「朝鮮人徴用(強制連行)者等に関する名簿」

○労働省保有

 昭和21年に都道府県が行った朝鮮人労働者に関する調査結果16県分

  (岩手、宮城、秋田、茨城、栃木、長野、岐阜、静岡、三重、滋賀、大阪、

兵庫、奈良、福岡、佐賀、長崎)                       66 941人

○防衛庁保有

  「特設水上勤務第104隊中隊日誌」の付表の「球第8887部隊軍夫編成表」 

668人

 地方自治体保有の名簿

 帯広土木現業所作成の「朝鮮労務者名簿」                       148人

 北海道の鉱山が作成した「半島人労務者名簿」               2 955人

 豊川海軍工廠火工部の工員名簿                                 198人

 長崎県の企業が作成した「霧島隊便覧」(非公開)                463人

 長崎県の企業が作成した「福田寮収容者名簿(朝鮮人)」           190人

○民間保有

 福島県の炭鉱の朝鮮人労働者名簿                212人

 茨城県の鉱山の朝鮮人徴用者名簿              4 955人

 山梨県の土木工事の「労働者名簿」               468人

 山口県の炭鉱が作成した「集団渡航鮮人有付記録」        518人

 その他                          1 862人 


 合計                          79 578人 


2 在日韓国・朝鮮人問題の歴史的背景(戦後)

 日本の敗戦は同時に祖国の解放を意味し、在日朝鮮人は怒濤の如く帰国していった。敗戦当時の在日朝鮮人は約230余万人と言われ、そのうちの約170万人が帰国した。しかし、36年間にわたる植民地支配による収奪の結果として朝鮮半島が政治的、経済的に混乱し、疫病が流行していること、もはや生活基盤が日本にしかないことなどの理由により、約60万人の朝鮮人が戦後も日本に留まらざるをえなかった。こうした人々とその子孫が現在の在日韓国・朝鮮人であり、彼等をどのように処遇するのかが日本政府に問われたのであった。

(1) 敗戦から講和条約まで

 この時期の日本は連合国(実質的にはアメリカ合衆国)の占領下にあり、アメリカの極東政策、対日政策に左右された時期であった。初期の占領政策の大枠は、1945年9月に「初期対日方針」、11月に「初期基本指令」として明らかにされた。初期基本指令の第8項「捕虜、連合国民、中立国民、その他の者」は極東委員会により若干の技術的修正を加えられた上、1946年6月「在日外国人に関する極東委政策決定」として採択され、連合国の原則を示すものとなった。第8項は、占領軍当局に対し、台湾系中国人及び朝鮮人に関しては「軍事上の安全の許す限り解放民族として処遇する」ことを命じ、「基本指令中の日本人」には含まれないとしつつも、日本臣民であったことから「必要な場合には敵国民として扱ってよい」とし、さらに自発意思に基づく帰還を規定していた。日本政府も、在日朝鮮人、台湾人をある時には「日本人」、ある時は「外国人」として極めて恣意的な対応に終始した。以下、その対応を年代を追って説明する。

 1945年12月17日衆議院議員選挙法の改正

 付則で「戸籍法の適用を受けない者の選挙権及び被選挙権は当分の間停止する」と定められ、韓国・朝鮮人の戸籍は全て本国にあったので、参政権は行使できなくなった(日韓併合後は日本国内居住者には参政権が認められていたので、衆議院議員に親日派と言われていた朴春琴が2回当選し、市会議員に延べ30人、区会議員に2名、町会議員に延べ22人が当選している)。

 1946年11月5日朝鮮人の地位及び取扱に関する総司令部渉外局発表

 「総司令部の引き揚げ計画に基づいて本国に帰還することをことを拒絶するものは、正当に設立された朝鮮政府が、かれらに対して朝鮮国民として承認するまで、その日本国籍を保持するとみなされる」

 1947年5月2日外国人登録令(新憲法施行日の前日、旧憲法下の最後の勅令)

 11条で、「台湾人のうち内務大臣の定めるもの及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間」「外国人とみな」されるとした。この外登令も占領期の他の様々な法令同様、GHQの指令に基づき、それを実施するという建前で制定されるべきものであるが、日本政府が在日朝鮮人を外国人とみなし、これに一般的登録義務を課し、違反者を退去強制することを認めるGHQの覚書は全く存在しなかった。当時の日本政府の見解からすると、「日本国民」を日本から追放することになり、国際法の観点からも認められることではない。また、密入国の取り締まりという目的についても、講和条約発効までは戦争に伴う領土、国籍の変更はないという政府の見解にたてば、「日本国民」たる朝鮮人の日本と朝鮮半島の往来は一国民の国内移動にすぎず、「不法入国」ということはあり得ないはずである。

 1948年1月24日朝鮮人設立学校の取扱に関する学校教育局長通牒

 ここでは「いまだに日本国籍を有する」として日本の法令への服従を説き、朝鮮人子弟は日本学校へ就学すべきことを通達した。民族教育の核心たる朝鮮語教育は「課外に行う」ことのみが認められ、各種学校の設置は認められないとされた。同年4月、政府は民族学校閉鎖命令を出し、これに対する抵抗の最も激しかった神戸地区には、占領軍当局が戦後唯一の非常事態宣言を発して鎮圧にあたった。死者1名、検挙者1千名以上を出した阪神教育事件である。

(2) サンフランシスコ講和条約 1952年4月28日

 サンフランシスコ講和条約の締結により、日本は

第1条a  日本国と各連合国との間の交戦状態は、第23の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。

   b  連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。

第2条a  日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

こととなった。この講和条約の批准に際しては韓国、朝鮮並びに中国などのかって植民地支配を受けた地域及び侵略を受けた地域の政府は招請されていない。

 また、この条約では在日韓国・朝鮮人の国籍については何も規定されず、条約締結直前の4月19日に出された法務省民事局長通達によって日本国籍を喪失するとされた。その後、4月28日には法律125号外国人登録法と法律126号という2つの法律が制定されたが、法律125号により在日韓国・朝鮮人は正真正銘の外国人として指紋押捺の対象とされ、出入国管理令の全面適用を受け、法律126号により「別に法律によって定めるまで、在留資格を有することなく日本に在留することができる」との暫定措置がとられただけであった。いわゆる法126-2-6の該当者と呼ばれるものであるが、これは権利としての在留資格とは認められない暫定措置である。

 こうして1950年の国籍法(父系血統主義)、51年の入国管理令、52年の外国人登録法を三本の柱とする、入管体制が確立された。

 日本の戦後政治の骨格を形成したといわれる吉田茂首相(当時)はマッカ-サ-連合国最高司令官宛に次のような手紙を送っている。1949執筆と推定されている)

「朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。彼らは総数百万に近く、その半数は不法入国であります。私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。その理由は、次の通りであります(1) 現在および将来の日本の食料事情からみて、余分な人口の維持は不可能で米国の好意により、日本は大量の食料を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。

(2) 大多数の朝鮮人は日本経済の復興にまったく貢献しておりません。

(3) さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。彼らは日本の経済法令の常習的違反者であります。彼らの多くは共産主義者並びにそのシンパで最も悪辣な種類の政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいるという状態で

 

あります。戦後の朝鮮人による起訴犯罪事件数は次の通りです。(詳細省略、19485月末までに91235名の朝鮮人が犯罪に関与したという数字をあげている)

 さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。

(1)原則として全ての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである

(2)日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。許可は日本の経済復興に貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。

上述のような見解を、原則的に閣下が御承認下さるならば、私は、朝鮮人の本国帰還に関する予算並びにその他の具体的措置を提出するものであります。」

連合国最高司令官

マッカ-サ-元帥                       吉田茂

出典 法律時報19764月号 大沼保昭訳

引用 在日外国人 田中宏著 岩波新書より

 この書簡には多くの事実誤認と民族的偏見に満ちているが、当時の日本政府の基本認識を十分窺うことができる。植民地支配に対する謝罪も反省の念の一かけらもなく、「朝鮮人に食わせる米は一粒たりともない」といわんばかりである。講和条約締結時においても、かつての植民地支配や侵略の「清算」はなされなかったのである。

(3) 日韓条約の締結

 14年間に及んだ日韓交渉は領土、漁業権、在日朝鮮人の法的地位、強制送還者の引き取りの問題等々多岐にわたったが、植民地支配の歴史をどう評価するかをめぐって、難渋し、日本側代表の「妄言」などにより、しばしば中断するいきさつがあった。その妄言の多くが、日本の植民地支配の「統治の正当性」を強調する傲慢なものであり、韓国では「屈辱的外交阻止」の広範な反対運動が展開された。最終的には、日本、韓国、アメリカのそれぞれの経済的、政治的な思惑の中で、196512月に日韓条約は締結され、日韓の国交「正常化」がなされた。同時に、「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」も締結され、在日韓国・朝鮮人に対する処遇は新たな問題を抱えることになった。

  まず、改善策を列挙する。

(第1条)法126-2-6号の該当者とその子供について、申請により協定永住の資格が付与された(従来の暫定措置に比べ在留資格が明確化した)。

(第3条)法126-2-6号も協定永住も永住資格として事実上変わりはないが、退去強制の該当要件が1年以上の懲役または禁固が7年に引き上げられた。

(第4条)教育、生活保護及び国民健康保険に関して妥当な考慮を払うとされた。教育、生活保護については従来と基本的には変化はないが、国民健康保険の適用は、就職差別の結果として自営業の多い在日韓国・朝鮮人にとっては意味が大きく、永住権申請(結果としての韓国籍の増加)の契機として利用された。

 次に問題点を列挙してみる。

  講和条約が朝鮮戦争のさなかに締結され、東西の冷戦下の政治情勢が反映されていたように、日韓条約においても朝鮮半島の南北対立の政治情勢を受けて、在日韓国・朝鮮人社会の政治的分裂が法的地位のレベルにも反映されるようになった。つまり、この条約が朝鮮半島の南半分を支配する韓国政府との協定であたため、いわゆる朝鮮籍の人々の処遇については未解決のままにされたのである。

  従来の外国人登録法において国籍欄は一律に朝鮮の表示であったが、協定永住申請~許可によって国籍欄は韓国に変更され、韓国籍で協定永住の在留資格を有する人だけが国民健康保険に加入することができるようになり、同じ歴史的経緯を有するにもかかわらず、朝鮮籍の者は、同様の社会保障の適用を受けられない事態が生じた。

  植民地支配とその歴史の清算について何も言及されなかった。1972年9月の日中共同声明の「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国人民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」との明確な記述に比べるとその差は明らかである。

 この問題についてはさらに後述する。

  日韓条約では日韓請求権経済協力協定も締結され、第2条において「両締結国は、両締結国およびその国民(法人を含む)の財産、権利および利益並びに両締結国およびその国民の間の請求権に関する問題が、・・・完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と記されている。しかし同条2項は「この条の規定は、次のものに影響を及ぼすものではない」と定め、aとして「一方の締結国の国民で1947年8月15日からこの協定の署名の日までの間に、他方の締結国に居住したことがあるものの財産、権利および利益」を掲げており、即ち、在日韓国・朝鮮人の財産、権利および利益には影響を及ぼさないと定められている。にもかかわらず、日本政府は対日請求権の放棄を口実に、在韓被爆者、朝鮮人軍人・軍属、サハリン残留朝鮮人等への補償問題について、「すべて解決済」との態度をとりつづけた。

(4) 国際人権規約の批准 1979年

 1979年の国際人権規約の批准は、本来ならば画期的なこととして高く評価されるはずであったが、批准にともなう国内法の改正は何一つ行われなかった。あえて言えば、公共住宅諸法(住宅金融公庫法、公営住宅法、住宅都市整備公団法、地方住宅供給公社法)における運用上の「国籍制限」を撤廃する、建設省、大蔵省の通達が出されたことである。但し、通達文の改正理由は「諸般の情勢に鑑み」となっており、国際人権規約の批准によるとは明記していない。

(5) 難民条約の批准 1982年

 1975年5月ベトナム難民9名が米国船に救助され、千葉港に上陸したのが日本における難民受入れの第1号であり、第3国への出国までの一時滞在として上陸特別許可が付与された。78年に定住許可の方針が打ち出され、対象もベトナム難民からインドシナ難民に拡大された。このため日本政府は難民条約の批准を求められるようになった。難民条約の24条は社会保障について「内国民待遇」を求めており、いわば一握りの難民が在日韓国・朝鮮人の法的処遇に決定的な影響を与えることになった。当時の厚生大臣は「ほかの在日外国人の法的地位に関連してくるような問題には慎重にならざるを得ない」と閣議後の記者会見で述べていることからも政府の動揺ぶりを伺うことができる。

 1982年にこの難民条約を批准したことにより、国民年金法、児童手当法、児童扶養手当法および特別児童扶養手当法の国籍条項が撤廃され、出入国管理令の退去強制事由のうちハンセン氏病患者、精神障害者及び公共負担者(生活保護受給者)であることを理由にするケ-スが適用除外となった。本来、協同の負担を財源に、社会の相互扶助を理念として成り立つ社会保障制度について、それまでは日本人と同様に納税の義務を負うにもかかわらず、在日韓国・朝鮮人は国籍を理由に排除されてきたのだが、難民条約批准によりようやく社会保障の対象となった。

 しかし、後で詳しく述べるように、国民年金法の改正については、単に国籍条項を撤廃するのみで、撤廃以前にすでに障害のあった20以上の外国人は障害年金の受給資格がなく、従来の差別が生み出した歪みを是正する措置は何らとられていない。

(6) まとめ

 このように、戦後における日本政府の在日韓国・朝鮮人に対する処遇は、先に述べた海部首相のコメントからもわかるように、誠意をもって取り組んできたとは言いがたい。紙面の制約上触れることはできなかったが、在日韓国・朝鮮人側は民族的諸権利擁護のために、あるいは権利拡大のため、様々な運動を重ねてきた。しかし、日本人一般の考えは政府と基本的には大差がなかった。

 もし日本人一般の考えが政府と異なるものであったならば、多くの国民の声を無視して、管理・抑圧・同化・追放と呼ばれるような在日韓国・朝鮮人処遇政策が一貫として続くことはなかったはずである。地方自治体も基本的には日本政府の政策に追従するのみであったが、1970年代に入って、在日韓国・朝鮮人の人権擁護運動に触発されて、あるいは抗議を受けて、政府に先駆けて、自治体独自の政策を展開するようになった。神奈川をはじめとする自治体の先駆的な取り組みは、国際人権規約や難民条約の批准により、一層、政府の政策の変更を迫り、先駆的な取り組みの正当性がむしろ、明らかにされたと言える。とはいえ、自治体の独自の政策も国の法律により制約を受けることから決して充分とは言えず、表1にあるとおり、国籍要件による権利制限はまだ存在する。現在、未解決とされている問題について、本年の日韓覚書により一部解決をみたものや、解決されぬまま残された課題もあり、次に覚書の内容を紹介する。


参考 日本の社会保障・戦争犠牲者援護立法と「国籍条項」の推移


注)○印は国籍条項がなく、外国人にも適用

  △印は国籍条項は法文上規定はないが、運用上外国人を排除

  X印は国籍条項により、外国人を排除

  □印は台湾省住民のみ(在日韓国・朝鮮人中国人は適用除外)を対象

<, P class=MsoNormal>    恩給法の…は軍人恩給停止の期間

    生活保護法は申請に対する却下決定に対し、不服申立ができない

    年金法については、国籍条項は撤廃されたが、経過措置に問題がある

(資料・出典 田中宏著『虚妄の国際国家日本』風媒社及び

       『RAIK通信第7号』在日韓国人問題研究所19897月号

参考 主要国籍別、都道府県別、外国人登録数(19906月末現在)

   出典;法務省入管局統計

合計

韓国・

  朝鮮

中 国

フィリピン

アメリカ

ブラジル

合計

1 025 911

686 237

141 489

43 374

36 435

34 105

大阪

東京

兵庫

愛知

神奈川

京都

埼玉

福岡

その他

208 671

205 047

89 715

73 658

70 658

53 819

32 503

30 764

261 726

186 960

90 393

70 877

55 530

33 363

47 178

13 889

25 900

162 147

13 842

57 868

10 716

5 081

12 641

3 151

7 247

2 346

28 597

1 600

10 465

700

2 050

3 428

584

3 279

662

20 606

1 604

14 661

1 824

1 271

3 794

1 037

1 017

732

10 495

662

1 842

108

6 065

5 624

170

2 969

100

16 565

構成比

100%

66.9

13.8

4.2

3.6

3.3

 その他の国籍のものは省略

※ 東京、神奈川、埼玉の韓国・朝鮮人数はそれぞれの都、県の全外国人数の

半数を割っている(上記下線部分


<参考 日韓会談当時の日本側代表の「妄言」集>

○ 久保田貫市郎(日韓会談首席代表)

「日本の36年間の朝鮮統治は朝鮮人に恩恵を与えた」195310月 日韓会談席上

○ 沢田廉三(日韓会談首席代表)

38度腺を鴨緑江まで押し返すのが日本外交の任であり、日韓交渉の目的である。これは地下に眠る朝鮮関係先輩たちの霊にむくゆるためにも忘れてはならない」1958年6月2日、日韓会談席上

○ 吉田茂 1958811日 朝日新聞

「経済援助とか、賠償とかいうのは、こちら(日本)からいえば投資である。投資によって開発されれば日本の市場となる。そうなれば投資額は回収されるわけだ」

○ 椎名悦三郎(外相)

日本が明治以来、このように強大な西欧帝国主義の牙から、アジアを護り、日本の独立を維持するため、台湾を運営し、朝鮮を併合し、満州の五族協和をの夢を託したことが、日本帝国主義というなら、それは栄光の帝国主義である」1961年『童話と政治』より

○ 高杉晋一(日韓会談首席代表)

「日本があともう20年朝鮮をもっていたらよかった。日本は朝鮮を植民地にした、謝罪せよというが、日本は朝鮮統治時代よいことをやった。創氏改名も朝鮮人を同化して、日本人と同じく扱うための政策だった。よくするために努力したが、戦争に負けたので努力が無駄になった。終戦後日本は、工場、家屋などをそのままおいてきた。いま韓国には山に木が一本もない。これは朝鮮が日本から離れていったからだ」1965年1月7日、日韓会談後の記者会見で

○ 橋本登美三郎(内閣官房長官)

「何しろ、アジアじゃ日本を兄貴分と思っているのは韓国とインドネシアぐらい だからね。大事にせにゃいかん。わが国が長男で、韓国が末弟のようなものさ。傾きかけている家(韓国)はしっかり助けてやらなければならない。(このように)よそに金をだしてやるのは気持ちのよいことである」  1965年3月17日、中日新聞記者との会見で


3 在日韓国・朝鮮人に対する現在の日本政府の対応

 1991年1月9日~10日、海部首相が訪韓し、両国の外相によって覚書の調印がなされ、以下の内容が確認された(以下、「日韓覚書」と略す)。この日韓覚書に見られる日本政府の対処方針は、近年の在日韓国・朝鮮人の様々な要求、運動に対する基本姿勢と考えられるので、重要な項目についてまず、紹介しておきたい。

~中略~日本側は、在日韓国人の有する歴史的経緯及び定住性を考慮し、これら在日韓国人が日本国でより安定して生活を営むことができるようにすることが重要であるという認識に立ち、かつ、これまでの協議の結果をふまえ、日本国政府として今後本件については下記の方針で対処する旨を表明した~中略~

1 入管法関係の各事項については、1990年4月30日の対処方針を踏まえ、 在日韓国人三世以下の子孫に対し日本国政府として次の措置をとるため、所要の改正法案を今通常国会に提出するよう最大限努力する。この場合(2)(3)については、在日韓国人一世及び二世に対しても在日韓国人三世以下の子孫と同様の措置を講ずることとする

(1) 簡素化した手続きで、羈束的に永住を認める。

(2) 退去強制事由は、内乱、外患の罪、国交、外交上の利益に係る罪及びこれに準ずる重

大な犯罪に限定する。

(3) 再入国許可については、出国期間を最大限5年とする。

2 外国人登録法関係の各事項については、1990年4月30日の対処方針を踏まえ次の措置をとることとする。

(1)  指紋押捺については、指紋押捺に代わる手段をできる限り早期に開発し、これによって在日韓国人三世以下はもとより、在日韓国人一世及び二世についても指紋押捺を行わないこととする。このため、今後2年以内に指紋押捺に代わる措置を実施することができるよう所要の改正法案を次期通常国会に提出することに最大限努力する。指紋押捺に代わる手段については、写真、署名及び外国人登録に家族事項を加味することを中心に検討する。

(2) 外国人登録証の携帯制度については、運用のあり方も含め適切な解決策について引き

続き検討する。同制度の運用については、今後とも在日韓国人の立場に配慮した、常識的かつ弾力的な運用をより徹底するよう努力する。

3 教育問題については次の方向で対処する。

(1) 日本社会において韓国語等の民族の伝統及び文化を保持したいとの在日韓国人社会の希望を理解し、現在、地方自治体の判断により学校の 外で行われている韓国語や韓国文化の学習が今後も支障なく行われるよう日本国政府として配慮する。

(2) 日本人と同様な教育機会を確保するため、保護者に対し就学案内を発給することについて、全国的な指導を行うこととする。

4 公立学校の教員への採用については、その途をひらき、日本人と同じ一般の教員採用試験の受験を認めるよう各都道府県を指導する。この場合において、公務員任用に関す

る国籍による合理的な差異を踏まえた日本国政府の法的見解を前提としつつ、身分の安定や待遇についても配慮する。

5 地方公務員への採用については、公務員任用に関する国籍による合理的な差異を踏まえた日本国政府の法的見解を前提としつつ、採用機会の拡大が図られていくよう地方公共団体を指導していく。

なお、地方自治体選挙権については、大民国政府より要望が表明された。

 

4 残された課題と解決の方向

 1910年の日韓併合から現在までの日本政府の在日韓国・朝鮮人に対する処遇策を見てきたが、制度上、国籍要件が撤廃され、平等待遇が徐々に前進してきたことは事実である。しかし、国際人権規約や難民条約の批准という、政府にとっての「外圧」によって改善を迫られたという面が強いことは否定しがたい。

 残念なことは、過去の植民地支配による強制連行や徴用、徴兵による犠牲者に対する戦後補償がなされていないこと、現存する就職差別に対する是正策や在日韓国・朝鮮人が堂々と本名を名乗れる社会環境の整備がなされていないこと及び、外国人登録法の適用による「治安管理的対処」など、過去の歴史の反省に立脚したとは思えない政策がとられていることである。その結果として発生した未解決の課題について個別に検討してみたい。

(1) 植民地支配に対する歴史認識

 在日韓国・朝鮮人問題を考えるにあたっての基本的な問題は、過去の植民地支配の歴史とその所産である在日韓国・朝鮮人をどのように認識するかということである。1965年の日韓基本条約にあたって、日本側は36年間の植民地支配を「謝罪」するどころか、むしろ正当化し、美化までした。日韓基本条約の第2条は、「1910年8月22日(日韓併合条約が強要された日)以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結された全ての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」となっているが、この2条の解釈について、韓国側が、「もは

や」を、旧条約の締結時当初から無効であったとして、植民地支配の不法性を主張したのに対して、日本側は、併合条約は両国が対等の立場で自由意思によって締結されたもので、有効であり、1948年8月15日の韓国独立の時点ではじめて無効になったと解釈しており、その見解を今も崩していない。従って日韓経済協力協定に基づいて韓国に支払われた有償3億ドル、無償2億ドルについて、日本側は公式的には経済協力だと主張し、韓国政府は「供与と借款」には「賠償」の意味が含まれていると、韓国国会に説明している。

 当時の佐藤首相は批准国会で次のように明確に答弁している。「旧条約の問題に触れられましたが、これは私が申し上げるまでもなく、当時、大日本帝国と大韓帝国との間に条約が結ばれたのであります。これがいろいろ誤解を受けておるようでありますが、条約であります限りにおいてこれは両者の完全な意思、平等な立場において締結されたことは、私が申し上げるまでもございません。従いまして、これらの条約はそれぞれ効力を発生していったのであります。」(19651119日参議院本会議)

 つまり、日本政府の基本的な見解は、植民地支配が条約に基づく合法的なものであり、法的な謝罪も補償もあり得ない、というものなのである。

 このような認識にたつ以上、歴代の首相や天皇が「両国間の不幸な過去」について「遺憾の意」や「痛惜の念」を表明したとしても、それは個人的な外交辞令の域をでるものではない。

 1991年6月1日広島市で開催された「国連と軍縮シンポジウム」で、コ-ディネイタ-を務めた明石国連軍縮担当事務次長が朝鮮民主主義人民共和国の国名を「北鮮」と紹介し、聴衆から「差別語であり、不適切」との指摘を受けた。次長は「省略語で差別ではない」と説明したという。しかし、多くの歴史学者が指摘しているように南朝鮮、北朝鮮をそれぞれ「南鮮」、「北鮮」と呼び、朝鮮人を「鮮人」と呼んだのは植民地支配以降の国策による差別表現と言われている。日本語の用法から考えても北朝鮮の省略語は北朝であり、天皇家の歴史に関わる表現を想起させるとして「北鮮」に代えられたとする説もある。「北鮮」が省略語であるなら「鮮人」も省略語というのであろうか。日本人が「本人」と呼ばれて、作為的な偏見、侮蔑と感じない日本人がいないであろうか。こうした差別表現もまた、歴史認識の欠如によるものと言えよう。

(2) 在日韓国・朝鮮人の法的地位~入管特例法(日本国との平和条約に基づく日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法)

 この法律では今後生まれてくる韓国籍の協定三世だけではなく、朝鮮籍及び旧植民地であった台湾省出身の中国人をも対象とし、細分化されていた在留資格を「特例永住」に一本化しているが、以下の問題点が指摘できる。

①取得の方法

 法案では、「法務大臣の許可を受けて、本邦で永住することができる」となっているが、在日韓国・朝鮮人の歴史的経緯を考慮するならば「申請による許可」ではなく、出生による自動取得が保障されるべきではないだろうか。

②退去強制事項

 法案では、「内乱、外患の罪、国交・外交上の利益に係る罪」、「無期または7年を超える懲役または禁固に処せられた者で、日本国の重大な利益が害されたと法務大臣が認定した者」には強制退去される可能性を残している。永住権を持つ一世は植民地支配の時代に「旅券」をもって入国したわけではないし、その子孫である二世・三世は日本で出生したのであるから、韓国・朝鮮は生まれ育ち、生活基盤を保障された母国ではない。仮にそのような犯罪を犯したとしても、日本の法律により服役するわけであるから、更に追放するとなれば二重の刑罰を受けるに等しいと言わなければならない。また、法務大臣の自由裁量の権限は残されたままであり、客観的な審査基準も明示されてはいない。

 このことは「再入国許可」にいても同様であり、期間の問題のみならず、許可・不許可の判断が法務大臣の自由裁量とされている。国連人権小委員会で起草中の「出国・帰国の権利宣言」の草案11は「全ての合法的永住者の居住国への帰国」を権利として認めようとしていることに留意すべきであろう。

③一時帰国者への救済措置

 さらに同法案では戦後に一時帰国したが、植民地支配による生活基盤の破壊により、再度渡日せざるを得なかった「潜在居住者」には何らの救済措置がとられていない。先に述べたとおり、日本政府の見解によれば、「日本国籍保持者」の朝鮮半島と日本の「国内移動」とも言えるからである。

 また、指紋押捺を拒否して再入国許可を得ないまま出国して協定永住資格を剥奪された者、「政治犯」として再入国期限切れの後帰国した者、日韓・日朝の二重国籍の子供で20歳から22歳までの間に韓国籍・朝鮮籍を選択した者等が永住権の対象となるか否か明らかにされていない。アメリカやフランスなどのようなアムネスティ(不法在留者の在留資格の適正化)の実施が検討されるべきであろう。

(3) 外国人登録法改正案について

 指紋押捺の廃止とそれに代わる措置として、家族事項を加味した登録制度が法務省を中心にして検討されているが、在日韓国・朝鮮人側は指紋押捺制度の廃止について要求していたのであり、代替措置を開発してほしいとは一言も要求していないことをまず知るべきであろう。また外国人登録法自体の問題点(法の目的が公正な管理に資することにあること、常時携帯義務、違反者に対する刑事罰の適用等)については既に多くの指摘がなされているので割愛させていただく。

 次に地方自治体の政策との関連から、在日韓国・朝鮮人などのいわゆる定住外国人(他の国籍を有する永住権資格者を含む)を、いつまでも国籍概念によって外国人登録法の対象とすることの適否を検討してみる。

 以前、四日市市は人口が27万人に達したことを祝って、ちょうど27万人目に当たる人に記念品を贈ったが、それには約2700人の外国人住民が含まれておらず、その報道は隣接する鈴鹿市でも事情は同じであったと伝えていた。川崎市でも、毎年行っている市民意識調査については、住民基本台帳から対象者を抽出しており、外国人市 民は調査対象からずっと除外されていた。このように自治体の基礎である「住民たる地位に関する正確な記録」(地方自治法13条)が住民基本台帳法のみと理解されており、対象者が日本国籍を有するものに限られているため、在日韓国・朝鮮人はその歴史性と定住性にもかかわらず、その住民性を無視される立場に置かれてきた。このことは在日韓国・朝鮮人にとって不利益であるばかりではなく、自治体行政や自治体職員の意識を曇らす理由にもなっており、住民=「日本国民」という図式を安易に成立させてしまうのである。

 また、外国人登録法改正案は家族事項の加味を検討中といわれているが、1989年の統計をみると在日韓国・朝鮮人の結婚相手の75%は日本人であり、国籍法の改正(父系血統主義から両系血統主義)により日本人の父または母を持つ子供は出生の届け出により日本国籍を取得することになったので、日本人との戸籍上の関わりは強まっている。したがって住民基本台帳法と外国人登録法を併存させたままで家族事項の加味を検討するのではなく、国籍と本名を明記した上で、定住外国人については住民基本台帳法の適用ないし準用が検討される時期にきているのではないか。実現すれば、自治体の外国人に対する各種の行政サ-ビスの適用もれや申請もれを防ぐことができ、しかも外国人登録証は不要となり、携帯義務も発生しない。罰則も刑事罰から行政罰に軽減され、入管法の適用もなくなる。

 なお、この問題については既に神奈川県国際人権問題懇話会の報告書で言及されているが、今後の外国人登録法改正問題で議論になると思われるので、重複するが、問題提起として記述しておく。

(4) 社会保障

 国際人権規約と難民条約の批准により、社会保障関係の法律に関しては、1982年1月以降、国籍要件はほぼ完全撤廃された。しかし、国籍要件撤廃までの期間に生じた不利益、損失の回復や差別が生み出した歪みを是正するための経過措置はとられなかった。

 国民年金法については、1982年に外国人も加入が可能になったが、納付期間25年という受給資格があるため、過去に厚生年金の加入期間がなければ、35歳以上の外国人にとっては何の利益もない国籍要件の撤廃であった。1986年の法改正により1961年(昭和36年)から1982年までは、カラ期間として25年という必要年数に算入することになったが、いずれにしても、日本の植民地支配の直接的な犠牲者である高齢者ほど加入しても受給額が少ないという現実には変わりない。

 社会保障を最も必要とするのはこれら高齢者であり、植民地支配の時代、戦後と、一番辛酸を嘗めた世代に対して、謝罪と補償の意味をも含めて早急な是正策が求められている。91年3月8日付け北国新聞(石川)によると、石川県根上町では4月より町内に20年以上居住する65歳以上の外国人及び帰化した人で国民年金を受給していない人に、独自の年金を支給することに決め、「友情年金条例」として議会に提案した。対象者は13名で、町の発展に尽くしてきた労への感謝と福祉の平等の意味を含めて実施するという。

 障害年金についても、82年の法改正により20歳前に生じた障害による障害者については、外国人にも適用されるようになったが、82年の法改正時に既に20歳を超えていた外国人の障害者には適用されず、救済措置は何ら講じられず、現在に至っている。市町村独自の救済措置は全国的にみても以下の3市のみである。

大阪府高槻市 在日外国人障害福祉年金 年額15万円

高知市    身体障害者福祉年金 年額39万6千円(一級の障害者に限定)

神戸市    重度心身障害社特別給付金 年額18万円

 都道府県レベルでの取り組みはいまだなされておらず、神奈川県が県下の市町村とともに実施に踏み切れば、政令指定都市や他の都道府県のみならず、国への影響も大きい。

 日本社会の高齢化が問題になっているが、このことは日本人のみならず在日韓国・朝鮮人Ⅰ世についても同様である。植民地支配により強制連行されたり、渡日を余儀なくされ、苦労の連続により病に倒れ、ヘルパ-の看護や援助を受けておられる人も多い。しかし、日本人ヘルパ-の作る食事は口に合わないこともあり、習慣や作法の違いが双方の誤解を招くこともありうる。従って母国の文化、言葉を共有できる在日韓国・朝鮮人のヘルパ-の採用が緊急の課題として迫っている。在日韓国・朝鮮人の高齢者を対象とした施設の建築なども検討に値するのではないだろうか。

(5) 教育問題

  教員採用問題の経緯

 公立学校教員の採用は各都道府県(及び政令指定都市)教育委員会によってなされる。大阪市教育委員会が国籍条項を撤廃し、在日韓国・朝鮮人に門戸開放したのは1973年のことであり、それ以降各地で採用するケ-スが出てきた。1979年には三重県で李慶順(イ・キョンスン)さんが採用試験に合格し国籍要件撤廃の運動が始まった。82年、愛知県は選考要項から国籍条項を撤廃した。

 1982年9月の「国公立大学外国人教員任用法」の施行により、外国人も教授会その他大学の運営にかかわる合議制の機関の構成員となり、議決にも加わることができるようになったのであるが、文部次官通達は、この法律の趣旨とは何の関係もなしに「なお、国公立の小・中・高等の教諭等については、従来どおり、外国人を任用することは認められないものであることを、念のため申し添えます」との付言を加えた。

 1984年12月、長野県で教員試験に合格した梁弘子(ヤン・ホンジャ)さんに対し文部省は横ヤリを入れ、長野県教育委員会は結局、梁さんを教諭ではなく、常勤講師として採用することとした。日韓覚書はこの長野方式を踏襲したものにすぎない。現在47都道府県のうち14都府県では文部省の「指導」に反して、教諭の国籍要件を撤廃しているが、既に教諭の採用実績を有するところがそれを貫くか、常勤講師に格下げするのか、地方自治体の責任と見識が問われている。

 8月12日の朝日新聞の報道によると国籍要件のあった37道県市が常勤講師なら採用可とし、国籍要件のない6県市は教諭から常勤講師に限定したという。

  政府見解の問題点

 そもそも、教員たる資格については教育職員免許法第5条、地方公務員法、学校教育法に定められているが、いずれの法律(欠格条項)にも「国籍条項」は定められていない。教員免許状を取得している外国籍の者に対して、その最大の就職先である公立学校に就職する時に「国籍条項」を課して、一律に排除することがはたして許されるのであろうか。

 また、私学の教員の場合、文部省は、外国籍の教員が、学校長の行う校務の運営に参画しても、大学での教授会構成員になったとしても、それを排除することはできない。しかし、そもそも学校は設立者が国、公、私立であっても「公の性質」(教育基本法6条)を持つものであり、国公立の教員にのみ国籍要件を求めることは整合性を欠く。さらに最高裁大法廷においても「旭川学テスト判決」で、「子供の教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、なによりもまず、子供の学習する権利に対応し、その充足をはかりうる立場にあるものの責務に属するものとしてとらえられているのである」(1976年5月21日)と判示している。また、別の判決(東京高裁判決1954年9月「判例時報40号、1955年」)も「学校教育の本質は学校という営造物によってなされる国民の教化、育成であってそれが国または地方公共団体によって施行される場合でも、国民ないし住民を支配する権力の行使を本質とするものではない」と判示している。

 このように、「公の性質」を有する学校は、「国民ないし住民を支配する権力の行使」を本質としないのであり、学校教育の現場から、教員免除をもつ外国籍教員を一律に排除することは、「当然の法理」の恣意的な拡大解釈にほかならないといえるのではないだろうか。

  在日韓国・朝鮮人の民族教育権

 在日韓国・朝鮮人が自分の民族のことを知り、自覚をもって生きるための民族教育は、日本社会の国際化にとっても欠くことのできないものである。しかし、学校内でも本名を名乗ることは極めて困難であり、当事者の人格形成をも歪めるものとなっている。91年6月7日付毎日新聞は、大阪での実態調査の報告を掲載している。大阪人権研究会及び大阪市外国人教育研究協議会は在日韓国・朝鮮人児童生徒の割合が5%以上を占める同市内の小中学校29校の7021人を対象に行った意識調査を公表した。

 調査対象のうち在日韓国・朝鮮人児童生徒   1542人

 在日韓国・朝鮮人であることを自覚している子供   1476人(95.7%)

 本名で通学している子供   小学生24.5%、中学生22.9%

 本名を名乗っていない子供のうち、名乗りたいと思う子供は

                            小学生12.7%、中学生5.5%

 本名を名乗っていない子供のうち、名乗りたくないと思う子供は

                            小学生44.%、中学生52.3%

 名乗りたくない理由

 a 日本名で呼ばれ、本名になれていない     61名

 b 恥ずかしい                             53名

 c 本名のことでからかわれるのがいや       39名

 d 本名を名乗ったら差別されるのではないか

 等の理由を挙げている。神奈川県教育委員会の県立高校に在籍する在日韓国・朝鮮人生徒の意識調査でも約70%の生徒が通称名を名乗っている報告がある。

 在日韓国・朝鮮人が比較的多住する地域ですらこうした状況ならば、少数しか在日韓国・朝鮮人生徒が在籍しない学校では本名を名乗ることはもっと困難であろう。

④ 今後の改善策

 既に神奈川県では「在日外国人(主として韓国・朝鮮人)にかかわる教育の基本方針」が作成されているが、以下の具体的な施策の推進が必要である。

a 公立学校における民族学級、地域における子供会活動など在日韓国・朝鮮人の子供が民族文化、言語を学習するための取り組みの保障と民族講師の配置

b 視聴覚教材を含む副読本の作成、配付

c 在日韓国・朝鮮人の民族学校に対する制度的差別の是正

d 教職員、父母、PTA等に対する啓発、研修の実施

e 県下の市町村や私学、保育園、幼稚園にも県教委の方針の理解を求めること

 特に在日韓国・朝鮮人児童生徒の民族教育の推進については、大阪市と奈良県において外国人教育研究会が既に設立され、教員を主体に、教育実践の交流、副読本の作成がすすんでいる。大阪では、府内51校の公立校において、民族講師が指導している民族学級は小学校38学級、中学校27学級あり、こうした民族学級に対しては自治体から補助金や講師謝礼が支払われている。神奈川県下の学校より在日韓国・朝鮮人の在籍率が高いという事情もあるが、今後の教育指針の具体化に向けて、おおいに参考すべきではないだろうか。また、外国人教育研究会等の執行機関の設立も検討されるべきであろう。

 日韓覚書における「日本社会において韓国語等の民族の伝統及び文化を保持したいとの在日韓国人社会の希望を理解し」という記述は、民族教育の意義を認めたという点では日韓条約当時よりも前進したが、積極的施策については何ら言及していない。このため今後も、上記のような自治体の独自の政策展開が欠かない。

 また、1989年11月国連第44会期に採択された「子供の権利に関する条約」には以下の条文が存在する。

8条(アイデンティティの保全)

  締結国は、子供が、不法な干渉なしに、法によって認められた国籍、名前及び家族関係を含むアイデンティティを保全する権利を尊重することを約束する

30条(少数者・先住民の子供の権利)

  民族上、宗教上もしくは言語上の少数者、または先住民が存在する国においては、当該少数者または先住民に属する子供は、自己の集団の他の構成員とともに、自己の文化を享受し自己の宗教を信仰しかつ実践し、または、自己の 言語を使用する権利を否定されない

 日本政府は未だ批准していないが、尊重すべき国際的な規範であることに間違いない。この条約の精神は、在日韓国・朝鮮人児童生徒の民族教育権の保障にととまらず、近年激増している外国人労働者の家族、子供の教育権の保障も要請している。今回の報告書では触れることができなかったが、就労を目的に来日している外国人労働者の子供の教育問題(日本語教育と母国の文化の継承)も緊急の課題となっている。在日韓国・朝鮮人の民族教育を保障することにより、その相乗効果として、さらに多文化教育の推進が目指されなければならないであろう。

(6) 公務就任権

 地方自治体職員、特に、一般事務職に外国人を採用することについて、自治省は、都道府県、政令指定都市を対象に、「採用しないように」厳しく指導しているが、根拠法は存在せず、「当然の法理」という行政解釈のみに基づくものである。自治省の調査(昭和63年4月1日現在)によっても既に採用実績は把握されている。一般職(常勤)539名、一般職(非常勤・臨時)61名、特別職1,016名で合計1,616名。一般職(常勤)539名の内訳は都道府県136名、指定都市140名、市町村263名である。一般職(常勤)539名の部門別内訳は、一般行政141名、教育104名、公営企業294名(ただし、病院が285名と大半を占めている)。そのうち、韓国・朝鮮人は382名で、一般職(常勤)539名の70%を超える。

 なお、この問題については、外国籍教員の採用問題ならびに提言で詳しく言及しているので重複を避け、歴史的な経緯についてまず、紹介したい。

<歴史的経緯> 現在、神戸地裁で争われているが、原告側の証人として意見を     

べられた島根大学の岡崎勝彦教授の書証を参考にさせていただく。

第1期 容認政策 1945年降伏~1952年講和条約締結まで

    (在日朝鮮人の法的地位、日本国籍・外国人の二元的使い分け)

1948年8月17日(兼子一意見)

 質問「日本国籍を有しない者は日本政府の警察官になることができるか」

 回答「公権力の行使を委ねられており、官吏たるには原則として国籍が必要」

1949年1月27日(法審回発第522号)

 質問「外国人を国家公務員として採用したる場合の処理」

 回答「公務員として在職する朝鮮人は、平和条約締結後、その帰属が明瞭になるまで、その身分を保有する」

1949年5月26日(自発第546号)

 質問「外国人を県職員として採用することについて」

 回答「制限はない・・・任命権者において判断すべきと考えられる」

1950年6月8日(法曹界公務調査委員会決議)

 「一般職員たる国家公務員に日本の国籍をもたない者を採用することは、職務の内容が国家意思の決定、国家公権力の行使に直接関係するものではない限り、必ずしも違法ではない」

1950年6月27日(GHQ外資委員会覚書)

 「法律的にみれば20年9月2日以降、日本に引き続き居住する朝鮮人は(選挙権および公職に就く権利を除いて)実質的には日本国民であるが、あわせて朝鮮国籍を取得する権利をももっている」

 (注)ここで言う公職については一般職公務員は含まれない。

1951年8月22日(71-69法制局長)

 質問「韓国人は具体的にいかなる場合いかなる方法により国家公務員となりうるか」

 回答「国家公務員法の定める通常の手続きにより、国家公務員となりうる」

1951年8月15日(地自公発第332号)

 質問「外国人は地方公務員法第13条及び19条にいう「すべて国民」には含まれないか」

 回答「お見込みのとおり」

<朝鮮人公務員数>

  国家公務員一般職 83名 <昭和2612月1日現在人事院>

  地方公務員   122名+α(一部未報告)<昭和27年1月末自治庁>

  講和条約発効当日に日本国籍取得者(帰化者)は52名

 「在日朝鮮人処遇の推移と現状」法務研修所編 湖北社刊より

第2期 排除政策 1952年~1965年日韓条約(法的地位 外国人)

1952年7月3日(地自公発第234号)

 質問「職員任用上の疑義について」

 回答「地方公務員法その他の国内法に何ら制限規定はないので、原則としてさしつかえないものと解する」

1953年3月25日(法制局一発29号)「当然の法理」の登場

 質問「わが国の公務員が日本国籍を喪失した場合、その者は公務員たる地位を失うか」

 回答「公務員に関する当然の法理として、公権力の行使または国家意思の形成への参画にたずさわる公務員となるためには日本国籍を必要とするものと解すべきであり、他方において れ以外の公務員となるためには、日本国籍を必要としないものと解せられる」、それ以外の者は直ちにその地位を失わない。

1955年3月18日(12-226人事院事務総長)

 質問「当然の法理に抵触しない公務員には日本国籍は必要ないのか、必要ないとしたら公権力行使等かどうかはいかなる基準によって認定すべきか」

 回答「当該公務員の任用にかかる官職の職務内容を検討して具体的に検討すべきものと解する」

第3期 修復政策 1965年~1982年国公立大学教員任用法の制定(議員立法)

1967年6月1日(人事院規則818

 採用試験の受験資格を日本国籍を有する者にのみ限定

1973年5月28日(自治公1第28号)

 質問「公権力の行使または地方公共団体の意思形成への参画にたずさわるものについては、日本国籍を有しない者を任用することはできないか」

 回答「できないものと解する」

 質問「それらの職に就くことが将来予測される職員(一般事務職員、一般技術職等)の採用試験において受験資格を認めることの適否」

 回答「適当でない」

1973年9月 阪神間各市国籍条項完全撤廃

1979年4月13日 大平総理大臣答弁書

 質問「在日韓国・朝鮮人の地方公務員任用に関する質問」上田卓三議員提出

 回答「公権力の行使または公の意思形成への参画にたずさわる地方公務員であるかどうかについては、一律にその範囲を確定することは困難である。いわゆる管理職であるかを問わず、地方公務員の任命にかかる職務内容を検討して当該地方公共団体において具体的に判断されるべきものと考える。」

第4期 見直し政策 1982年~

1982年9月1日 国公立大学教員任用法

 第2条「前項の規定により任用された教員は、外国人であることを理由として、教授会その他大学の運営に関与する合議制の機関の構成員となり、その議決に加わることを妨げられるものではない」

1984年6月23日 郵便外務職員の国籍条項撤廃

1986年6月24日(自治公二第33号)保健婦・助産婦・看護婦の国籍条項について

 「専門的、技術的な職種であり、国籍条項不必要、その職位によっては公権力の行使等に参画する場合もあるが、それは一般的ではなく、一律に国籍条項を設けることは適当ではない」

 以上見てきたとおり、政府の見解は一貫性を欠くものであり、その時々の情勢に左右されてきたと言える。基本的な問題は、制約基準とされる「当然の法理」の運用、解釈が「国籍」にのみこだわり、在日韓国・朝鮮人の歴史制的背景、定住性を考慮していないことにある。次に、包括的な運用の問題である。すなわち、「職業選択の自由を制限するためには、国会の定める法律によるべきであって、法律に何らの規定がないのにかかわらず、行政事例による解釈によって制限しうるところではない。このような行政事例は、法治主義違反という意味で違憲の疑いがある」(有倉遼吉「金敬得君の問題に関する憲法論的断面」原後・田中編「司法修習生・弁護士と国籍」日本評論社)ことである。

 「制約基準そのものを再検討し、より限定的で明確な基準に改める必要」芦部信喜編「憲法II・人権(1)」があることは言うまでもない。また、自治省は「日韓覚書」により、政府見解が認められたかのように主張しているが、「日韓覚書」は法的には国内法的な効力を有するものではなく、自治体を拘束するものではない。

(7) 地方参政権

 在日韓国・朝鮮人をはじめとする定住外国人に地方参政権を保障する現行法の法的根拠として、次のものが挙げられる。

① 憲法第93条②〔地方公共団体の直接選挙〕「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」(下線は筆者による)

  国際人権規約のB規約第25条〔参政権〕「すべての市民は第2条に規定するいかなる差別もなく、かつ、不合理な制限なしに、次のことを行う権利及び機会を有する。(b)普通かつ平等の選挙権に基づき秘密投票により行われ、選挙人の意思の自由な表明を保障する真正な定期的選挙において、投票し及び選挙されること」

  地方自治法第10条〔住民の意義と権利義務〕「市町村の区域内に住所を有する者は、当該市町村及びこれを包括する都道府県の住民とする」「住民は、法の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の役務を等しく受ける権利を有し、その負担を分担する義務を負う」

  また、制限する規定としては次のものが挙げられる。

  地方自治法第11条〔住民の選挙権〕日本国民たる普通地方公共団体の住民はこの法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の選挙に参与する権利を有する

  地方自治法第18条〔選挙権〕日本国民たる年齢満20歳以上の者で・・・

  地方自治法第19条〔被選挙権〕日本国民たる年齢満30歳以上の者・・・

  公職選挙法第9条〔選挙権〕日本国民たる年齢満20歳以上の者で・・・

  公職選挙法第10条〔被選挙権〕日本国民は、左の各号の区分に従い・・・

 地方自治法および公職選挙法では、憲法にはない「日本国民」という制限条項を追加して、定住外国人を排除している。特に地方自治法では、一方で住民として規定しておきながら、他方では「日本国民たる普通地方公共団体の住民」という制限規定を設けたことは、すべての住民参加を目的とする地方自治の原理に反するものと言えよう。地方自治体の行政とは、その地域に住む人々が、その都道府県、市町村の運営を決定することである。したがってその自治体を構成する住民が主人公であって、国籍=国民のみが主体になるものではない。国民主権と国籍が密接な関係にあるとしても、「そもそも、国民主権とは、市民革命時代に君主主権に対抗するアンチテ-ゼとして、民主国家における市民階級の政治的ゲモニ-を確立するために主張されたイデオロギ-であるが、そこにおける国民とは、君主に対立する抽象概念であり、その範囲は政治的意味を有し、各国家や各時代によって変わりうるのである」。(参政権訴訟大阪地裁1991年2月準備書面より)

 国民主権の原理の前に国籍があったわけではなく、主権者である住民が先にあって、後から国籍が付与されたというのが歴史的事実ではないのだろうか。

 歴史を遡れば、参政権の基盤は納税者の発言要求にあり、「代表なくして課税なし」の原則を承認しない国家はもはや「民主国家」とは呼べない。

  EC加盟国ではEC委員会が「居住する加盟国における他の加盟国民の地方参政権に関する指令案」を理事会に提出し、実現の方向で討議が進んでいるし、既に実施済みの国も存在する。(詳細はECの移民政策参照)

 在日韓国・朝鮮人をはじめとする定住外国人に地方参政権を保障することは、当事者の法的地位の向上にとどまらず、日本人自身にも、在日韓国・朝鮮人が地域社会に「共に生きる」パトナ-として居住していることを、一層認識させるであろう。

(8) 戦後補償

 先の歴史認識の項で過去の歴史に対する謝罪と補償がいかに不十分であったのかを記述したが、そのことは具体的な施策が何ひとつなされていないことからも立証される。政府はむしろ、被害者の切実な要求を無視あるいは拒絶の姿勢すらみせている。強制連行者の名簿問題、従軍慰安婦問題、未払い賃金、サハリン残留朝鮮人の存在、朝鮮人戦犯問題、被爆者、戦争犠牲者への援護問題等、戦後すぐに解決すべき問題について、今日に至るまでも政府が誠意を持って解決しようとしていないことは、厳しく批判されるべきである。ましてや歴史を捏造することや抹消することは決して許されることではない。この問題を避けて通る限り、日本はアジア近隣諸国および国際社会から信頼を得ることはできないであろう。

  戦後補償の対象者別に経過と現状を以下、考察してみる。

 戦争犠牲者への援護問題

 戦後、占領当局が日本の民主化のために打ち出した改革のひとつに「軍人恩給の停止」がある。1945年11月、GHQは覚書「恩給及び恵与」により「左の事由に基づき下付又は授与さるる公私の恩給その他・・の支払いを終止するため必要なる手段を執るよう指示さる。A

 軍務に服したることによるもの・・・」などを指示したその指示に際してのGHQ渉外局の発表は「この制度こそは世襲軍人階級の永続を図る一手段であり、その世襲軍人階級は日本の侵略政策の大きな源となったのである。・・・現在の惨憺たる窮境をもたらした最大の責任者たる軍国主義者が、他の犠牲において極めて特権的な取扱いを受けるがごとき制度は廃止しなければならない。われわれは、日本政府がすべての善良なる市民のための公正なる社会保障計画を提示することを心から望むものである。」と指摘している。そして1946年2月の「恩給の特例に関する件(勅令68)」によっていわゆる軍人恩給は廃止された。その後1952年4月30日、講和条約発効を待つかのように戦傷病者戦没者遺族等援護法が公布された(適用は4月1日に遡及)。

 日本政府の見解によれば、4月28日の講和条約により、在日朝鮮人は「日本国籍」を喪失するのであり(同年4月19日の法務省民事局長の一片の通達に基づくのであるが、憲法10条では日本国民たる要件は法律でこれを定める、とある)、4月1日適用では在日朝鮮人もその対象となるところ、付則②「戸籍法の適用を受けない者については当分の間、この法律を適用しない」を設けて排除した。ちなみにその後に制定された戦争犠牲者に対する援護立法では「戸籍法の適用・・」という規定は存在しない。

 また日本の戦争犠牲者援護施策の特徴は、国家との特別な関係を有する旧軍人軍属などに限定して国家補償を行い、空襲の犠牲者等を除外してきたことにあるが、国家と特別な関係を有する旧植民地出身者はことごとく除外された。現在13の援護法が制定されているがすべて国籍条項を設けている。

 在日韓国・朝鮮人の請求権については日韓条約の項でふれたが、「援護法に関する権利は、日韓協定2条2項(a)により、請求権放棄の効力の及ばない一方締結国国民の財産、権利及び利益に該当し、いまだ放棄されていないといわなければならない」(大沼保昭「在日朝鮮人の法的地位に関する一考察」法学協会雑誌97巻4号1980年)のである。

<参考 諸外国の対応>

I 日本

 1975年、台湾人元日本兵士が日本政府に補償を求めて東京地裁に提訴し、82年に地裁が、85年に高裁が棄却判決を下した。高裁での控訴審では外務省の調査結果「負傷または戦死した外国人に対する欧米諸国の措置概要」が明らかにされたが、米国、英国、仏、伊、旧西独の5か国のいずれもが外国人となった元兵士達に対し自国民とほぼ同様の年金または一時金を支給している。

II アメリカ

 1983年6月に、アメリカ議会に設置された日系人強制収容に対する補償に関する委員会から以下のような勧告が出された。

「~どんなに金を積んでも、強制排除された人々の損失と苦痛を補うことは不可能である。再定住キャンプの有刺鉄線の内側に閉じ込められた2年半というもの、ただ日系人というだけでアメリカに不忠誠かもしれないとの刻印を押されながら、彼らが受けた不公正を手際よく金銭に換算することはできない。歴史を書き換えることはできない。われわれが今なすべきことは、すべからく遺憾の意を表明して、国民としてのより高い価値を目指すことでなければならない。~」として、「重大な不法行為が行われたことを認め、国家が謝罪」するため、特別財団を設立し、「現在なお生存する日系人6万人に対し、一人当たり2万ドルの補償支払い」を行うよう救済勧告を行った。

 1988年9月、日系人強制収容に関する補償(合計15億ドル<約1,950億円>)を盛り込んだ「市民自由法が制定。日本にも対象者がいないか、担当者が派遣された。同時に「公教育基金」を設立し、事件の原因や状況を鮮明に理解するための勧告や出版の費用に充てるとしている(市民自由法106条)。

III カナダ

 カナダにおいても戦時中、日系人に対する強制収容、強制労働の問題があったが、1988年、マルニ-ロ首相と全カナダ日系人協会との間でこの問題の解決が図られた。その歴史認識と補償内容は米国とほぼ同様であり、一人当たり2,100カナダドル(約230万円)の補償金の他1,200カナダドルを日系人協会に支払い、政府により、カナダ人種関係基金が創設された。

IV 旧西ドイツ

 旧西ドイツ政府の「過去の克服」の過程については詳述する余裕がないので年表として記録しておく。

1950年 連邦援護法の制定

 対象者は身分(軍人、民間人)を問わず、国籍、居住地も問わない。

1951年9月 アデナウァ-首相の連邦議会での政府声明

  「ドイツ民族はユダヤ人に対する犯罪を大多数が嫌悪し、犯罪に関与しなかった」が、「ドイツ民族の名において、言葉では言い尽くせぬほどの犯罪が行われ、その犯罪には道徳的物的補償が義務付けられている」

1952年 旧西ドイツ政府は世界ユダヤ人評議会との協定で480億ドル(6兆2400億円)を生き残りのユダヤ人とその家族に支払った。(毎日新聞1988年2月6日)

1952年9月 イスラエルとの間で「ルクセンブルク協定」

 イスラエルに対し30億マルク、対独物的賠償要求ユダヤ人会議に対して4億5000万マルクを15年間にわたり分割支払いする

1958年 ナチス犯罪追求センタ-設立

1959年 ノルウェ-、デンマ-ク、

1960年 ギリシャ、フランス、ベルギ-

1961年 イギリス、スイス

1964年 スウェ-デン等西欧12か国との間でナチス犠牲者のための補償協定締結

1965年 ナチス殺人罪時効延長(後に時効は廃止される)

197012月 ブラント首相、ポ-ランドのワルシャワで謝罪の拝

1985年5月8日 敗戦40周年の連邦議会でのヴァイツゼッカ-大統領の演説

 「~問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし、過去に眼を閉ざす者は結局のところ現在にも眼を閉ざすことになります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。~」(「荒れ野の40年」岩波ブックレット55より)

 これらの謝罪と補償に共通しているのは市民または外国人であるか否か、また居住地の如何を問わないことである。

<民間企業の補償>

  アウシュヴィッツ強制収容所近くのIGファルン社所属の工場では収容者達が強制労働に就かされ、生存者が補償を求めて1949年に提訴したことが契機となり、IGファルベル社は1957年に5,855 人に一人当たり約5,000マルク支払った。

  対独物的賠償要求ユダヤ人会議はその後も強制労働を強いた企業に対し補償請求を続け、   クルップ(鉄鋼)   1005万マルク(3090人に対して)

 AEG(電機)     431万マルク(2223人に対して)

 ジ-メンス(電機)   718万マルク(2203人に対して)

 ラインメタル(金属 ) 254万マルク(1507人に対して)

 フリック・コンツェルン 500万マルク

 の各社はそれぞれかってのユダヤ人の強制労働者に支払っている。その他有名なベンツ社も2000万マルクの補償を支払うことにしたという(北海道新聞1988年8月24日夕刊)。

V ソ連

 ペレストロイカ政策が進行するなかで、シベリア抑留問題の見直しがなされ、ソ連科学アカデミ-のA・A・キリチェンコ博士の論文は、ソ連内で黙殺されていた経緯を批判し、抑留の実態「抑留捕虜総数60万人、死者数約6万人」というソ連側のデ-タも初めて公表した。その後、名簿の公表、墓参、遺骨収集等調査、慰霊の事業が進んできたのは記憶に新しいことである。

 なお、戦後のアメリカの統治下の沖縄における軍人軍属への援護措置については、日本国憲法が適用できない状況にもかかわらず、「潜在主権がある」として軍人恩給等の支払いをし、被爆者の治療については、治療費、渡航費まで保障した。

 植民地時代に、「内鮮一体化」が叫ばれ、皇国臣民の詞」を暗唱させ、「創氏改名」を強制して「日本名」を名乗らせたにもかかわらず、韓国・朝鮮人は決して日本人と平等の待遇を受けられなかった。以上、諸外国との対比で考えても日本政府の戦後補償政策は再検討されるべきである。

 現在、国に対し請求運動を起こしている在日韓国・朝鮮人は三氏である。

 石成基(ソク・ソンギ)氏   91年1月28日 神奈川県を通じ厚生大臣宛

      戦傷病者戦没者遺族等援護法の障害年金の給付申請

 鄭商根(チョン・サンクン)氏 91年1月31日 大阪地裁に提

      戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用の地位確認と慰謝料1,000万円請求

 陳石一(チン・ソギル)氏 91年4月2日、東松山市を通じ厚生大臣宛

      戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく総額1億1200万円の給付申請

 また、韓国においても「堤岩里(チェアムリ)事件」の遺族が1991年7月15日に謝罪と損害賠償義務の確認を求めて東京地裁に提訴している。「堤岩里(チェアムリ)事件」とは1919年4月、3・1独立運動が堤岩里(チェアムリ)に波及し、これを弾圧しょうとした日本軍警が、同地の15歳以上のキリスト教信徒を礼拝堂に集め、出入口を釘付けにし、礼拝堂に石油をかけたうえに火をつけ、同時に射撃を加えて21人を虐殺し、異変を知って駆けつけた女性2名も惨殺した事件である。

 韓国内では、ほかにも「太平洋戦争犠牲者遺族の会」も日本政府を相手に、「謝罪と補償」を求める訴訟を展開している。

 朝鮮人戦犯問題

 東京裁判における、戦争指導の最高責任者としてのA級戦犯容疑の被告28名の中には第7代朝鮮総督の南次郎、最後の総督小磯国昭の二人が含まれている。

 二人は終身刑の判決を受けているが、彼らが罪に問われたのは朝鮮総督としての任務ではなかった。これについては一切の責任が問われていない。2年余りの東京裁判では朝鮮に対する植民地支配について論議されず、その責任も問われることはなかった。

 一方、戦場における戦争犯罪、B・C級戦争裁判は、かって大東亜共栄圏と呼ばれた日本の「占領地」の全域で49回開廷された。ここでは日本軍に徴用された軍人軍属を戦争犯罪に関してだけは日本人と同等に裁くという連合国の方針によって、多くの朝鮮人が戦犯容疑で拘留された。

徴用された朝鮮人軍人軍属242,241人、死亡者は22,182(厚生省調査)、有罪147人(このうち129人は俘虜収容所監視員として徴用された軍属)、死刑22人、その他の有期刑を受けた者は祖国ではなく巣鴨プリズンに収容<昭和25年末厚生省復員局法務調査部>

 講和条約締結後、釈放請求の訴訟が起こされたが、1952年7月30日最高裁判決は「戦犯者として刑が科せられた当時日本国民であった者は、平和条約発効後も刑の執行の義務を負い、国籍の喪失・変更は、右義務に影響を及ぼさない」というものであった。

 なお、日本人戦犯受刑者の援護措置は当初除外されていたが、1953年の改正法で「復権」した。

 韓国・朝鮮人に対しては、刑には服させるが援護は受けさせないが、同じ戦犯でも日本人は受給できるのである。

 朝鮮人戦犯の最後の一人が釈放されたのは、A級戦犯の嫌疑がかけられたにもかかわらず無罪とされ、かつ強制連行の責任者の一人である岸信介内閣が成立した1957年であった。1991年4月12日付朝日新聞は韓国・朝鮮人BC級戦犯とその遺族による国家補償を求める裁判が東京地裁に提訴されたと、報道している。

  サハリン残留韓国・朝鮮人問題

 この問題についても詳細に論じることは紙面に制, 限があるため、日本政府の対応についてのみ記述する。

 ソ連領サハリンには強制連行された朝鮮人は約6万人残留し、現在はソ連籍、朝鮮籍(韓国とは国交がないため)、無国籍に分かれ、全人口約60万人の10%に達する。

 1945年8月9日、ソ連が対日宣戦布告、8月23日日本軍は武装解除。

 サハリン残留の日本人76,000人は8月23日までに北海道に緊急疎開していた。1946年12月19日、ソ連地区引き上げに関する米ソ協定の締結

 第1条「左記の者がソ連邦及び支配下の領土より引き揚げの対象となる。

   (イ)日本人捕虜

   (ロ)一般日本人(各人の希望による)

 一般日本人とは英文で「Japanese Nationals」となっており、当時の日本政府の見解では朝鮮人も日本国籍を引き続き保持していたはずであるが、なぜか日本人のみが帰還の対象となった。後に明らかにされたソ連赤十字総裁から日本赤十字総裁への書簡(1987年4月28日付け)により、その真相が解明された。つまり、「朝鮮人については、日本当局はポツダム宣言の条文を引用して、以後日本公民とはみなさないように公式に要請してきました。その結果、無国籍者として定住すべく残留しました」という経過があったのである。

 ポツダム宣言(1945年7月26日)は、その前のカイロ宣言(1943年11月27日)の「朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、朝鮮を自由かつ独立のものたらしむるの決意を有す」の条文をうけて、「日本国の主権は本州、北海道、九州、四国並びにわれらの決定する諸小島に局限せらるべし」として、基本的には朝鮮の独立を承認する義務を負うことにあり、国籍処理には触れていない。

 しかしこの時も、朝鮮人と婚姻し、朝鮮戸籍に入り、1952年4月19日の民事局長通達により、日本国籍を喪失したと扱われることが確定している日本人女性に対しては「未帰還日本人証明書」を発行し、日本人として引き揚げさせているが、朝鮮人の夫は残留を余儀なくされた。

 1956年10月19日、日ソ共同宣言により、日本人配偶者を持つ朝鮮人の引き揚げが可能になった。日本国籍を持つ妻、子供については日本政府から帰還手当てと帰還旅費が支給されたが、朝鮮人には駅弁ひとつ支給されなかった。あくまでも日本人帰還者の「同伴者」でし

かなかったのである。

 1975年、サハリン残留帰還請求裁判が開始され、以後、人道的な問題として世論を喚起し、議員等の働きかけもあり帰還が徐々に実現してきた。しかし、残留者の実態調査や消息不明者の調査もなされず、謝罪も補償も実現していない。また、敗戦直後、「朝鮮人のスパイ行為」という流言飛語や虐待の証拠湮滅等により、日本軍警等による虐殺事件も起きた(高木健一著「サハリンと日本の戦後責任」凱風社刊)と言われ、1991年8月14日付毎日新聞はサハリンでの虐殺事件の遺族がソウルで記者会見し、日本政府に1億円の慰謝料請求の訴訟を起こすことを明らかにしたと報道している。これより前に、サハリンに連行され、今は韓国に在住している韓国・朝鮮人21名が離散者家族会(会員4万人)に支援されて東京地裁で「日本の戦争責任」を問う裁判を起こしている(朝日新聞1990年8月29日付け)。

  未払い賃金

 戦後まもなく、在日朝鮮人は全国的な規模で、在日本朝鮮人連盟を結成し、在日朝鮮人の帰国援助事業を展開した。その一環として、戦時動員労務者に対する補償を各事業主に要求する運動を組織的に推進した。要求項目は以下のとおり。

I 総合的情報の提供(年度別使用人員数、就労場所、現在人員の本籍・氏名・年齢及び家族の氏名、年齢)

  給与金、支給金、食糧、住宅、衛生その他処遇に関する状況

II 死亡者の待遇(死亡者一人に対し遺族扶助料1万円以上の支給、その他)

III 傷病者の待遇

IV 帰国者に対する処遇(退職金、特別退職金、慰労金の最大限支給、厚生年金、天引き貯金 

等の即時代払い、8月15日から帰国日までの賃金、諸手当など)

 日本政府と企業は(イ)の提供については認めたものの、補償と未払い金の請求に関しては頑に拒否し、1946年厚生省労務局「朝鮮人労務者等に対する未払い金その他に関する件」を通知して、地方法務局内に供託局を発足させ、連行朝鮮人を雇用する企業に対して、未払い金を債務履行地の供託所に供託させるとともに、供託番号、供託年月日、未払い金とその内訳等を記載した報告書を地方長官(県知事)に提出することを義務づけた。供託の時効成立の1956年、供託金と供託報告書は地方法務局に引き続き保管された。91年6月10日付朝日新聞では強制連行された朝鮮人に対する未払い賃金が今も法務局に供託されたままになっていることが判明し、33万人分、総額で約5,000万円(現在の価値で2,900億円相当)と報道している。

 1965年の日韓協定において経済協力と引換えに韓国政府は対日請求権を放棄したと言われているが、その根拠は「事実関係を実証するような材料というものはみられなくなっておる」(外務省条約局条約課「日韓条約国会審議要旨)という点にあったと言われている。日韓協定締結時には供託報告書は地方法務局に確実に保管されており、協定の前提条件は崩れることになる。

⑤ 従軍慰安婦

  従軍慰安婦問題については、日本政府は「民間の業者が連れて歩いたというのが実態」

(東京新聞1990年6月6日夕刊)という見解をとっており、政府文書からは政府の責任を確認できるものは見当たらない。たしかに政府の言うとおり、当初<皇軍の名誉>に係わるとして民営の形をとったことは事実である。しかし、1943年からは「女子廷身隊」の名の下に約20万人の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち、若くて未婚の5万~7万人が慰安婦にされた。(朝鮮を知る事典 平凡社刊より)

 元山口県労務報国会動員部長吉田清治氏は、その肩書が示すように徴用の陣頭指揮にあたった張本人であり、彼の謝罪と反省をこめた著作が出版されているので、具体的な事実は省略するが、彼の著作にははっきり、「軍命令」であったと著述されている。また、「公式記録や関係文書は、敗戦直後に内務次官通牒に基づいて、全国道府県知事の極秘緊急命令書が、各警察署長宛に送達されてきました。私が関係した山口県労務報国会下関支部の場合は、当時の下関警察特高係の署員を指揮して、丸4日がかりで、完全焼却しました」と証拠湮滅の事実も告白している。(「消された朝鮮人連行の記録」林えいだい 明石書店刊より)

 91年7月31日付朝日新聞は、朝鮮人従軍慰安婦の実態を調査している韓国廷身隊問題対策協議会の代表が、本年5月に東京で開催されたシンポジウムの際、北朝鮮代表との間で朝鮮人慰安婦の補償などを日本政府に対して、共同で要求することに合意したことを明らかにした、と報道している。

⑥ 被爆者問題

 日本人被爆者のみならず、強制連行された朝鮮人被爆者もかなりの数にのぼる。1944年の広島県には81,863人の朝鮮人がいたことが確認されており、被爆当日の広島、長崎には合計数万人(10万人とも言われる)に及ぶ朝鮮人がいたと推定される。さらに被爆したとも知らず、韓国、北朝鮮に帰国したものは3~4万人とも言われている。

 戦後帰国せず、日本に残った被爆者は長い間、治療も救済もなされずに放置されてきたが、実は日本人被爆者も手厚い保護を受けてきたわけではなかった。原爆医療法は1957年の制定であるし、被爆者特別措置法は1968年の制定であり、この間、被爆者に対しては特別の援護事業はなかったのである。1955年の被爆者(日本人)5名の国家賠償請求訴訟が契機となって、63年の東京地裁判決は「国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、障害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。・・・被告(国)がこれに鑑み、十分な救済策を執るべきことは、多言を要しない」と指摘し、上記2法の成立を促した。

 原爆被爆者については、関係法令には国籍条項がなく、韓国・朝鮮人も原爆医療法、被爆者特別措置法の適用が受けられる。しかし、ここでも在日韓国・朝鮮人に限定されており、韓国と北朝鮮に在住する人は対象外となっている。1979年に在韓被爆者治療に関する四項目合意書が調印され、渡日治療が実現した(治療費は日本、渡航費は韓国政府負担)。5年間の時限措置で、全部で350人が来日したが入院期間は2か月と定められ、本格的治療には至らなかった。91年7月12日付朝日新聞によると、南北朝鮮の医師がストックホルムで会い、南北朝鮮と日本にいる韓国・朝鮮人被爆者とその遺族らが、日本政府から正当な補償を得られるよう、共同で努力することで合意した、と報じている。米国、カナダの日系人の補償問題では、日本にまで対象者を探しにきたことを想起すれば、日本政府の対応は不十分と言えるであろう。(朝鮮を知る事典 被爆朝鮮人の項参照)

 県は、こうした戦争犠牲者の実態調査、法の適用が早急には困難としても、少なくとも該当者の掘り起こしなどの調査を行うべきである。

(9) その他の課題

  就職差別は当事者である在日韓国・朝鮮人にとって、今も、最も身近で、深刻な課題であるが、この問題については、提言「在日韓国・朝鮮人生徒進路保障協議会の設立」の項で、現状と解決の方向について詳しく論述してあるので、参考にしていただきたい。

  住宅環境について言うと、県下には在日韓国・朝鮮人の多住地域がいくつか存在するが、戦後直後の混乱期に住むところがなく、工場跡地や河川敷に急遽バラック建ての集住地域を形成し、現在にいたるも「不法占拠」という汚名を被せられているところが多い。そのため、多住地域は、環境条件の良くないところが多く、<朝鮮部落>という呼称で差別の対象とされてきた。しかし、戦後45年の間、文字通り<定住>の実態があるにもかかわらず、国も自治体も解決策を見いだせずに放置してきたのがその最大の原因と言わねばならない。

 今後の解決策としては、単に環境整備、改善を図るだけではなく、むしろ<在日韓国・朝鮮人の歴史を記憶する街>として、多住するようになった歴史的背景を記録するモニュメントの建設、川崎市の「ふれあい館」のような日本人と在日韓国・朝鮮人の出会いと交流の場の設置、大阪府堺市のような在日韓国・朝鮮人の老人ホ-ムの建設、現在、川崎区桜本商店街で検討中の韓国の商店街との姉妹商店街構想による地域活性化など、在日の歴史を消し去るのではなく、在日の歴史を生かした街づくりの手法を考えるべきではないだろうか。

  その他、住宅入居差別など細かく見てゆけば、まだまだ課題は残されているが、地方自治行政の課題の抽出という観点から論述しているので、ここでいったんペンを置くことにする。触れなかった問題、欠落するものがあれば、是非御指摘いただきたい。

(10) 終わりに

 在日韓国・朝鮮人問題の発端である植民地支配の歴史から、戦後の政府の処遇策、日韓覚書を中心として現在の残された課題について考察してきた。過去の不正義も悪かったが、その不正義を正してこなかった歴史はもっと許されるべきことではない、ということを肝に銘じておかなければならず、また、日本政府の責任に全て帰することもできないことも認めなければならない。

 では今後の解決の方向はどうであろうか。EC諸国の統合政策に典型的に見られるように、人権保障の基準を、国籍原理から居住原理に変換したり、また、国民概念の再構成により、日本国民とは<日本に居住する住>という概念が成立し、日本国民とは日本国籍者と永住する外国人を含むことになれば、それもひとつの解決案となろう。さらに、国籍法が血統主義から出生地主義に転換すれば、少なくとも国籍条項による差別は将来なくなるかもしれない。また、日本国籍取得(帰化)の方法、審査の簡素化や一定の要件を充たした者に対する日本国籍請求権(国籍選択権を含む)の保障なども政府では既に検討しているかもしれない。しかし、「国籍問題」を解決すれば、全ての課題が解決するのであろうか。

 アイヌの人々や被差別部落出身者など「日本国籍」を有する人々への差別は、国籍だけが問題ではないことを示唆している。帰化した「元在日韓国・朝鮮人」は日本人と在日韓国・朝鮮人のはざまにあって、独自の困難な問題も抱えていると言われている。在日韓国・朝鮮人問題を考える時の基本的な視点は、日本の歴史的責任の自覚と定住している実態を直視することである。日本人にとっての在日韓国・朝鮮人問題とは、日本人自身の権利意識の水準を問うと同時に、日本人の過去の侵略の歴史に対する「痛みの自覚」を問う課題でもある。過去の歴史に囚われて将来への前進を遅らせてはならないが、過去の歴史に対する反省なくしては将来に向けての信頼関係の構築もまた不可能である。

 1986年山口地裁に提訴した趙健治(チョ・コン氏の「日本国籍確認、損害賠償、謝罪請求事件」の控訴審判決において、広島高裁は趙さんの主張を退けたが、判決理由の中で、踏み込んだ言及をしている。「在日朝鮮人が、その歴史的経緯により日本において置かれている特殊の地位にもかかわらず、日本人が憲法ないし法律で与えられてる多くの権利ないし法的地位を享受しえず、法的、社会的、経済的に差別され、劣悪な地位に置かれていることは事実であるが、右は在日朝鮮人が日本国籍を有しないためではなく、主として日本の植民地支配の誤りにより在日朝鮮人が置かれた立場を顧慮せず、日本人が享有している権利ないし法的地位を在日朝鮮人に与えようとしなかった立法政策の誤りに由来する」。(1990年11月29日広島高裁民事第2部の判決、田中宏著「在日外国人」岩波新書より引用)

 現在各地の自治体では様々な国際化政策が実施されているが、国際化とは自己と異なった他者、または他の文化を認めるということが出発点である。内在する在日韓国・朝鮮人をも<ともに生きる>社会の構成員として包容することができない日本が、国境を越えて、他の民族を理解できるはずはないし、近年増加の一途をたどる外国人労働者の人権保障も困難であろう。

 在日韓国・朝鮮人が日本社会の一員として、民族的衿持を保ちつつ日本人と、同等の立場で生きていける地域社会の創造をめざして、県と県民は上記判決のとおり、過去の立法政策の誤りをひとつひとつ正し、人権保障をより一層推進してゆかなければならない。

〔参考文献〕(比較的、入手しやすい文献をあげておきます)

田中宏著 「在日外国人」 岩波新書

田中宏著 「虚妄の国際国家・日本アジアの視点から」 風媒社

民族差別と闘う連絡協議会編「在日韓国・朝鮮人の補償・人権法」 新幹社

徐龍達(ソ・ヨンダル)編著「韓国・朝鮮人の現状と将来」社会評論社

高木健一著「サハリンと日本の戦後責任」 凱風社

「朝鮮を知る事典」 平凡社

内海愛子、梶村秀樹、鈴木啓介編「朝鮮人差別とことば」 明石書店

林えいだい著「消された朝鮮人強制連行の記録」     明石書店

梶村秀樹著「朝鮮史」 講談社現代新書

特集「在日韓国・朝鮮人の法的状況」 法律時報 1990年6月号

岡義昭・水野精之編「外国人が公務員になったっていいじゃないかという本」 径書房

大沼保昭著「単一民族国家の神話を超えて」東信堂


<資料 被爆当時の朝鮮人被害状況(推定)>

地名

被爆者総数

死亡者

生存者

帰国者

日本残留者

広島

長崎

50,000

20,000

30,000

10,000

20,000

10,000

15,000

8,000

5,000

2,000

合計

70,000

40,000

30,000

23,000

7,000

韓国原爆被害者協会編「韓国被爆者の現況」(韓国被爆者協会 1985年刊)

引用和田任弘著「在韓被爆者問題及びサハリン残留韓国・朝鮮人問題の

経過と現状」

レファレンスNo 479号 国立国会図書館調査立法考査局より

<資料 朝鮮人のサハリン渡航状況>

年度

国民動員計画による計画数

渡航数

石炭産業

金属鉱山

土建業

合計

14

   15

   16

   17

   18

   19

8,500

1,200

6,500

3,300

2,578

1,311

800

3,985

1,835

  不明

190

533

1,214

651

1,960

976

3,301人

2,605

1,451

5,945

2,811

不明

合計

19,500

10,509

190

5,416

16,113

出典堅田精司著「旧樺太内国貿易史」(北海道地方史研究会 1966年刊)

引用和田任弘著「在韓被爆者問題及びサハリン残留韓国・朝鮮人問題の

経過と現状」

レファレンスNo 479号 国立国会図書館調査立法考査局より


第5章 まとめと提言

1 はじめに

 私たちは、これまで国際人権の流れや先進各国の差別是正政策の現状を概観し、先進国の行政政策における人権問題や機会平等への取り組みを探り、次に日本社会における女性と在日韓国・朝鮮人を中心とした定住外国人の差別是正策の実態を見てきた。

 本章では、これらを踏まえたうえで、自治体の差別是正政策のあり方、そのなかでも特にアファーマティブ・アクションに代表される積極的な差別是正策のあり方について、提言しようとするものである。その場合、この問題の現状をどのように認識するかということは、個々の提言を理解するうえで必要不可欠なものである。そこで、われわれの現状認識の要点をここで再確認したうえで、具体的提言に入ることにしたい。

2 「人権のインターナショナル・ミニマム」の進展と日本

 人権(Human Rights)とは、ジョン・ロックなどに代表される啓蒙時代の自然法思想に由来するものであり、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言などのようにはじめは為政者の圧政に対する、人々の人間としての自由・平等を保障しようとする意味から、いわば国内問題として主に扱われてきたものであった。しかし第2次世界大戦中におけるユダヤ人のホロコーストなどの国家を越えた悲惨な体験から国内問題としての人権保障の限界についての認識が高まるにつれて、今日人権の問題は従来とは異なった国際的な視野の中で捉えられるようになってきており、これを人権の国際化、あるいは「国際人権」と呼んでいる。

  このような国際社会における人権保障制度の確立の要求を反映して、当初、国連では、「世界人権宣言」(1948年)や「国際人権規約」(1966年)のように「人権の享有を差別してはならない」という基本的な原則の確立が目的とされていた。しかし、その後、このやや消極的な保障体制をさらに一歩進めて、個々の差別そのものの撤廃を目的とした条約が数多く作成されるようになった。具体的には、あらゆる人種差別を禁止する「人種差別撤廃条約」(1965年)、国際人権規約のB規約の実施にかかる「選択議定書」1966年)、女性に対するあらゆる差別を禁止する「女子差別撤廃条約」1979年)、また最近では「子供の権利条約」などの様々な条約あるいは宣言がこのために作成されいる。そして、これらの各種条約などの成立によって、国際社会の求める人権の国際的基準、すなわち「人権のインターナショナル・ミニマム」が次第に明確化されるに従って、今日人権の問題は新しい展開を示すようになってきたのである。

 ひるがえって、このような国際人権の進展が日本の社会に与えた影響はいかなるものであろうか。例えば、インドシナ難民受入れ問題に際して、自国に滞在する難民に諸種の権利を積極的に保障しなければならない旨を規定した国連の「難民条約」(1951年)を日本政府が批准し、1982年に国内においても発効した結果、日本国籍者に対象を限定していた国民年金法、児童手当法などの国籍条項が撤廃された経緯や、先の「女子差別撤廃条約」の署名(1980年)およびその発効(1985年7月)に至る国内法制度の整備の必要性から、国籍法の父母両血統平等主義などの改正(同年1月)、男女雇用機会均等法の成立(同年6月)などの諸種の改正が実施されたように、部分的ではあるが「人権のインターナショナル・ミニマム」によって国内法制度が整備された実例は確かに存在する。しかし、いずれの場合もその発端が国内外の世論の圧力によって批准せざるをえなくなった状況の中でのものであり、また、前記した難民条約への加入にともなう国籍条項の撤廃によって在日韓国・朝鮮人の社会保障加入への道が開かれた経緯などに代表されるように、日本政府の取り組みを決して「積極的な姿勢」とは呼べない状況がある。

 また、各種の条約の批准にともなう日本政府の報告書においても、例えば、1980年のB規約に関する報告書の中で「日本には少数民族は存在しない」と報告したために、翌年の規約人権委員会の審議において委員の中から逆に朝鮮民族や中国民族あるいはアイヌ民族の存在について追求されたり、また、1988年の女子差別撤廃条約の報告書が法的平等の視点から導き出された抽象的なものであったため、事実上の平等を目標とする同条約との不整合が指摘されるなど、数々の問題が指摘されている。

 さらに条約の批准そのものについても、国際貢献を語る世界2位の経済大国でありながらすでに100か国以上が締約している条約(6種)のうちの3条約、すなわち「ジェノサイド防止条約」(1948年)、「奴隷廃止条約」(1956年)、「人種差別撤廃条約」を未だに批准できない状況にある。なかでも「人種差別撤廃条約」については1990年8月現在すでに131か国が締約済みであり、いわば条約という形をとった「公的秩序public order)」も称されるものなのである。このような人権の国際基準に対する日本政府の姿勢は相対的に見て前向きであるとは言えず、この傾向が続けば今後ますます、人権のインターナショナル・ミニマムと国内の保障体制の乖離の増大が懸念されるのである。

3 先進各国政府の差別問題への取り組み

 一方、このような国際的な人権基準の明確化の中で、先進各国は人権の保障、なかでも特に重要な差別の是正という問題についてどのような対応を採っているのであろうか。この複雑で困難な問題に対する各国の取り組み状況を比較検討するひとつの指針として、雇用分野における性差別の是正の問題がある。なかでも1964年にアメリカ合衆国において制定された公民権法第7編、いわゆる「雇用機会平等法」と呼ばれる法的平等を規定した特別立法は、その後急速に拡大し、1975年にはイギリス、フランス、1980年にはスウェーデン、西ドイツ、1984年にはオーストラリアと続き、このような法的平等はいわば先進国の必要条件となっている感がある。しかし、その具体的な実施状況になると各国の国情および社会的条件に従ってその形態は様々であり、苦情処理、行政指導、資金援助、広報教育などが既存の制度的バランスとの兼ね合いの中で、苦心を重ねながら実行されている。例えば、その積極的努力の目安としてわれわれが注目している間接差別の禁止については、イギリス、スウェーデン、オーストラリアがすでに法規定で明記しており、その他のフランス、アメリカにおいても判例などによって実質的に確立されている。また、同一価値労働同一賃金の原則もECよる明確な指令のためにイギリス、フランス、西ドイツ、さらにスウェーデンにおいても明確な法規定があるほか、アメリカでは州法など、オーストラリアでは行政委員会の決定によってその実施が実質的に確立されているのである。そして特に近年、この分野でその重要性を増してきているアファーマティブ・アクション、あるいはポジティヴ・アクションの導入に関しても、各国はなんらかの形でこの20年の間にその積極的導入を図っており、差別問題に対するその積極的姿勢が窺えるのである。

 一方、マイノリティ、とりわけ定住外国籍市民の問題に関しては、各国ともその人口比率、国土の広さなど客観的条件が異なるうえに歴史的経緯もあるため、その進展状況はまちまちである。しかし、教育分野における母国語教育や多文化教育事業などは各国においてすでに制度的に一般化しており、さらに地方自治体における公務就任権あるいは地方参政権などの広い意味での参政権に関しても、最近のECの指令案に見られるようにその積極的保障の拡大が提起されている状況にある。今日、先進諸国の、特に自治体レベルにおける「国籍原理から居住原理へ」の転換は歴史的趨勢といえるのではないだろうか。

4 日本政府の差別問題への取り組み

 他方で日本政府はこの差別問題の解決にどの様な取り組みを見せているのであろうか。雇用分野における性差別の是正の問題に関しては、確かにいわば「先進国の必要条件」たる特別立法として、「男女雇用機会均等法」(1985年)が制定されているし、同法がそれなりに日本社会の雇用問題における性差別に対してある種のインパクトを与えたことは事実である。しかし、同法はその成立経過にも顕れているように、条約発効のタイムリミットと財界を中心とする強力な抵抗の中から生まれた「妥協の産物」と言われるほど、その内容において各種の問題を残している。例えば先に見たアファーマティブ・アクションや間接差別の禁止あるいは同一価値労働同一賃金の原則などは現在に至るまで確立されておらず、また、そもそも機会平等の原則自体が努力義務に止まっているために、一般職と総合職の区分けの問題などの各種の差別行為が黙認される結果を引き起こしている。このような将来を見越してか、同法には「見直し規定」があるが現在に至るまで有効に機能しているとは言いがたい。

 また、外国人の人権保障についてはさらに状況は厳しい。先ず, 、マイノリティの人権を守るための基本法が存在せず、さらに基本政策すら明確でないために、各省庁間の外国人政策がまちまちになっている。加えて人権を擁護すべき主務官庁たる法務省の政策が、先の入管法改正に見られるように激増する外国人労働者の不法就労に関する罰則の強化を打ち出すのみで、その人権擁護に関しては同省人権擁護局による特設人権相談所の開設(1988年8月)などの一部の努力はあるものの決して満足できる状況にあるとは言えない。

 特にその歴史的事実および今日に至る定住事実において特別な経緯を持つ在日韓国・朝鮮人については、戦後およそ半世紀を経た現在もなお、日本社会において摩擦なしには本名さえ名乗れないような厳しい差別にさらされているにもかかわらず、日本政府はこの問題に対する基本法の制定はおろか、実態調査さえ実施していないのが現実なのである。

5 地方自治体の差別問題への取り組み

 以上のような人権のインターナショナル・ミニマムの進展と日本政府の差別問題に関する取り組みとが乖離していく中で、地域住民の自治組織である地方自治体にいま何が求められているのであろうか。

 従来において人権の保障あるいは差別の撤廃という問題は中央政府の管轄であり、地域自治体にはなじまないものと考えられてきた。それは差別の問題がまず、法的禁止あるいは法的保障によって解決されなければならないという、伝統的な形式的平等の考えに端を発している。しかし、諸外国の例でも分かるように、今日差別の是正は唯一の法律の制定のみによって達成できるものではなく、それを補完するさまざまな具体的取り組みがあって初めて、そのような法的禁止も有効に機能することが実証されてきている。そして、そのような取り組みは日々、地域住民と接する地方自治体によって実施できるものではないだろうか。

 また、同様のことは条約批准後の国内整備の問題についても言える。すなわち国際人権規約や難民条約あるいは女子差別撤廃条約などへの加盟によって、日本政府が世界に向けて条約の遵守を宣言した以上、これらの実施責任は今や中央政府から、各地域にあって年金、保険、健康管理、就労相談、教育、福祉、住宅などの様々な行政サービスを実際に行う自治体の手にその比重が移ったと自覚しなければならない。今や自治体は「何をしたらよいのか」ではなく、「何をしなければならないのか」と問う段階にきているのではないか。

 このような大きな流れの中で、わが県はすでにこの差別の是正という問題について数々の成果を上げてきた。例えば「かながわ女性プラン」の策定や「内なる民際外交」の実施、在日韓国・朝鮮人の実態調査、加えて自治総合研究センターにおいても昭和57年度に「国際化に対応した地域社会のあり方」チームが「神奈川の韓国・朝鮮人-自治体現場からの提言」という報告書を公表している。このような着実な努力の積み重ねによって、差別の現状が少しずつ着実に改善されていることは論を待たないであろう。しかし、深刻な差別の現状が地域住民の生活の安寧を阻害し、女性であるために、あるいは在日韓国・朝鮮人であるためにいま現在も謂れのない苦難を日々経験している人々にとってはこれで十分ということはないのである。われわれは差別の撤廃と機会の平等に向けて今よりさらに前進するために積極的に行動しなければならない。そこにアファーマティブ・アクションを導入する意義がある。

6 アファーマティブ・アクションとかながわ

 「アファーマティブ・アクション(Affirmative Action)」とは、今世紀後半にアメリカにおいて登場した差別是正措置の一種で、日本ではさざまな訳語があてられているが、ここではとりあえずその内容を汲んで「積極的差別是正措置」と呼ぶことにする。この政策は、差別に対する法的禁止、すなわち法律によって不作為義務を課す従来の〔消極的〕差別是正策から一歩踏み出し、より積極的に差別撤廃の結果たる、機会の平等を達成していこうとする目的から生み出されたもので、従来差別の理由とされた人種、性別、出身国などに着目した優遇措置を逆に機会の平等が達成されるまで暫定的に実施しようというものである。

 この政策が1961年にアメリカにおいて登場した後、先進各国政府はここ約10年の間に何らかの形でその導入を決めており、例えば1975年にイギリス、スウェーデン1980年、フランス1983年、1984年にはオーストラリアとECがそれぞれその導入を決め、その外にもカナダやノルウェーにおいても実施されていると言われる。さらに「人種差別撤廃条約」の第2条2項にはすでに「特別かつ具体的な措」との表現があり、また、日本政府も批准している「女子差別撤廃条約」にもその第4条1項において「男女間の事実上の平等を促進することを目的とする暫定的な特別措置を締約国がとることは、この条約に定義する差別とみなしてはならない」旨の規定が存在している。以上のような短期間の間にこの政策がこれほどの広がりを示したことは、各国が差別問題の解決に苦心している事実もさることながら、このアファーマティブ・アクションのもつ差別是正効果の有効性を如実に物語っているのではないだろうか。

 しかし、このような現実にもかかわらず、現在の日本社会ではこの政策は全く定着しておらず、その実施のための法的枠組みすら存在していないのが現状なのであり、わが県において単純にその導入を提起することには多大な困難がつきまとうことが予想される。何よりもアファマティブ・アクション自体がその実施にあたって、非差別対象グループごとの実態や特殊性あるいは数量的把握を必要としており、そのような実態調査や統計データを欠いた現在において早急な実施を求めることは、逆に社会的混乱を引き起こし、ひいてはアファーマティブ・アクションの将来そのものにも悪影響を及ぼしかねないのである。

 そこでわれわれは、この「アファーマティブ・アクションの研究」の結論として、この神奈川県において長期的展望に立ったアファーマティブ・アクションの導入を求める、より総合的な人権保障機構、すなわち機会の平等を保障する積極的基盤・制度の確立を目的とした提言を以下にまとめることにした。

7 提言とアファーマティブ・アクション

 先に見たように現在の日本あるいは我が県には、先進各国に見られるような差別問題の解決手段としての行政救済を図る基本的・組織的基盤がない。その一方で司法救済のみによって差別問題の解決が促進が図られているかというと、現実には先述したような法的保障体制の未発達、訴訟審理の長期化などの様々な障害によって差別を受けている人々が泣き寝入りしているのが現状ではあるまいか。そこで、地域に密着し地域住民の生活に責任を持つ自治体、特に神奈川県が早急にこの現状を改善してゆくために、われわれは平等推進のための基本条例の制定と、それを管轄する行政救済機関の設置を提言する。

 この提言の参考モデルとして、差別の救済も含むより包括的な平等政策の実施を任務としたアメリカやイギリスに典型的な「機会平等委員会(EOC)モデル」や、行政救済のみを任務とするスウェーデン型の「差別オンブズマン(DO)モデル」が存在するが、現在の日本の法制度のなかで可能な限り有効に働くよう考え出されたのが以下の提言モデルである。しかし、現行法制上、日本においては各国の救済機関において効力を発揮している訴訟提起権限を付与することは不可能であり、この理由から当提言は純粋な行政救済および行政上の政策実施機関として構想されたものである。

 次にこのような基本的救済体制を補完し、機会の平等をより極的に推進する行政先導型の指導・誘致手段の開発が必要とされる。

 そこで次にわれわれはフランスの「女性の権利庁」に典型的な、機会平等のための資金援助と指導・奨励を組み合わせた誘導機関モデルを以下に提言する。この提言モデルは、機会均等の実現を目的とした基金と併用されることによって機会均等の実現に多大な効果があり、またアファーマティブ・アクションなどの積極的差別是正措置に馴染みのない企業などの啓蒙・普及機関としても有効なものと考える。ここではより自由で積極的な事業の実施を期待するために「第三セクター型」で構想してみた。

 さらにこのようなフレキシブルな誘導型よりも、より強力に行政側の機会均等政策を企業に課すためのものとして、アメリカの連邦契約遵守事業局(OFCCP)を参考にした、公共契約モデルを次に提言する。純粋なOFCCP型のモデルでいえば、行政が一定金額以上の発注契約を企業と結ぶ場合に、差別の撤廃、アファーマティブ・アクション計画の提出等を義務づけるものであるが、現行の日本の自治法上の制約から、このモデルの採用には疑問がでるだろう。

 そこで、ここでは機会平等の実現に公害行政などで先例のあるいわゆる「協定方式」を採用することによって、その行政目的の達成に努めることを求めている。当面、協定方式で実績を積み重ねることにより、将来的にはもっと実効性の高い純粋なOFCCPモデルの条例化を検討することが可能となろう。

 以上のような提言は、アファーマティブ・アクションの実施および機会均等の実現に向けて早急に実行されなければならない、基本的な体制作りあるいは基盤整備に類するものである。

 欧米のなかで比較的有効に機能しているオンブズマンや機会平等委員会等の機関には一定以上の独立した権限が与えられている。その意味では、この提言は自治法等の制約等のために、独立委員会として裁判原告になれる等の要件は満たされていないし、純粋なOFCCPモデルも採用できていない。しかし、現在の日本においては差別の撤廃に対する基本的な法律が未整備であることを考え合わせれば、これらの基盤整備は差別に苦しむ人々の状況を積極的に改善するために必要不可欠なものであると考える。このような基本的体制が実現され、各種の差別に関する実態調査が詳細に実施されることによって、おのずからアファーマティブ・アクションのような有効な積極的差別是正措置もその真価を発揮できるのではないだろうか。

 次頁からの個別の提言では、以上の基本的な提言のほかに、早急に取り組むべき課題として県内の在日韓国・朝鮮人の機会の平等とその保障を求める具体的措置を2つ、すなわち公務就任権における差別の撤廃および就職差別の是正を目指した進路保障機関の設置を提言する。

 日本において差別是正の問題は、まだ始まったばかりである。そして国政レベルの事情から一向にその具体的是正が進まない現状において、地域住民の生活を守るべき自治体の果たす役割は、「地方の時代」を経過してますますその重要性を増してきていると言えるだろう。なぜならば地方の時代を経験し、自治体が行政の主体としての自らのアイデンティティを自覚するに至って、われわれは地方自治の本旨、すなわち地域住民の自治組織であるという基本的原則に立ち帰って政策を企画・実施せざるをえないからである。このような「差別是正の問題」と「地方自治体の問題」の大きな流れの中に、われわれの提言は位置づけられなければならず、そのような可能性の中においてこそ、われわれの「アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)」の提言は重要な意義を持つと考えられるのである。以上のことを前置きしたうえで、当研究チームが考えた施策を次に提言することにしたい。






 〔提 言〕

 かながわ平等推進条例(仮称)を制定すること。

〔解説〕

1 条例制定の趣旨

 すべての人の人権が十分に尊重されるためには、すべての人の尊厳と平等とが実現されることが必要不可欠の前提である。しかし、この神奈川においても、女性や在日韓国・朝鮮人などに対する、生活の様々な場面での厳しい差別が現存し、その差別には、例えばあからさまで意図的なものがあったり、長年にわたる慣行や慣習から発生しているところのいわゆる間接差別などもあり、形態は様々である。

 そして、今や国際慣習法と呼びうる女子差別撤廃条約や人種差別撤廃条約は、間接差別も含めてあらゆる形態の差別を撤廃するよう求めており、先進各国では、差別を禁止するという方法と併せて、積極的に機会の平等を実現することをもその目標としている。こうしたインターナショナル・ミニマムの実現という観点から、神奈川県はさらなる取り組みを行う必要がある。われわれが提言するかながわ平等推進条例(仮称)は以上のような認識に立っており、その目的とするところは、言うまでもなく、あらゆる形態の差別の禁止と実質的な機会の平等の実現である。

 こうした目的を条例で謳うことによって、この課題は特定の部局が扱うものでなく、県政全体の課題としてさらに積極的な取り組みを行う義務があることを認識させることができる。

2 条例の特色

 この条例は、間接差別を含めたあらゆる形態の差別を撤廃し、実質的な機会の平等を実現するために、いわゆるアファーマティブ・アクションを県の施策に積極的に取り入れるとともに、県内の事業者等に対してもその活用を積極的に働きかけていくものである。

 アファーマティブ・アクションは、アメリカの公民権運動の中から生まれてきたものであり、差別に関して、一定の成果を上げ得たものと評価されている。

 しかし、アファーマティブ・アクションは被差別対象を特定し、その状況などを詳細に調査したうえで慎重に行われるべき措置であり、県が具体的にどのようなアファーマティブ・アクションを行っていくかは今後の課題である。われわれのチームとしては後述するかながわ平等委員会がその調査・研究を行い、アファーマティブ・アクションに関する政策提言を行うよう提言するものである。

 以下に、われわれのチームが考えた条例案を提示する。

 かながわ平等推進条例(案)

(目的)

第1条 この条例は、すべての人の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することが、世界における自由、正義及び平和の基礎であるとする世界人権宣言の前文を確認し、神奈川におけるすべての県民に対する性、国籍、人種、民族、その他によるあらゆる形態の差別を撤廃し、実質的な機会の平等を達成することを目的とする。

(県及び市町村の責務)

第2条 県及び市町村は、互いに協力してこの条例の目的を達成するための極的施策を展開し、差別のない地域を創造するよう努める。

(事業者の責務)

第3条 事業者は、自らあらゆる形態の差別を撤廃し、実質的な機会の平等を達成するよう努力するとともに、県がこの条例の目的を達成するために行う施策について、積極的にこれに協力しなければならない。

(県民の責務)

第4条 県民は、人権の重要性について認識し、自らあらゆる形態の差別を撤廃し、実質的な機会の平等を達成するよう努力するとともに、県がこの条例の目的を達成するために行う施策について、積極的にこれに協力しなければならない。

(アファーマティブ・アクション)

第5条 この条例の目的を達成するために行なわれる、差別を撤廃するための一時的な積極的措置を逆差別と解してはならない。

(平等達成行動計画)

第6条 知事は、この条例の目的を達成するために行う施策に係る計画を策定することができる。

2 知事は前項の計画の達成のために、事業者に対し、適切な指導助言を行う等必要な施策を行わなければならない。

3 知事は前項の施策として、平等に関するガイドラインを作成し、公表することができる。


提 言

かながわ平等委員会(仮称)を設置すること。

〔解説〕

1 かながわ平等委員会の概要

 かながわ平等委員会(以下、「委員会」とする。)は、かながわ平等推進条例(以下、「条例」とする。)を受けて設置される機関であり、その目的とするところは、言うまでもなくあらゆる形態の差別の撤廃と実質的な機会の平等の実現であり、そのために委員会は積極的な活動を行うことになる。

 委員会は、まず、この神奈川の地にどんな差別が存在するかを知るために、差別を受けたと主張するあらゆる県民からの苦情を広く受け付け、その事実関係を調査する。そのうえで、もし差別があることが判明した場合は、自発的にその改善が図られるよう、当事者に対し調停を行う。その調停が不調に終わった場合には、是正勧告を行うよう知事に対し意見を述べる。知事はこの意見を尊重して是正勧告を行う。

 勧告にもかかわらず、事態の改善が見られないときは、委員会は事実関係を含めて当事者の氏名を公表するよう知事に対し意見を述べる。知事はこの意見を尊重して氏名公表を行う。

 また、こうした具体的な差別撤廃に向けての委員会の行動は、県民からの苦情を待たずに委員会が独自に職権で行うこともできる。

 差別は生活のあらゆる場面で発生し得るものであり、その撤廃のための努力はひとりこの委員会のみが行うものではなく、県政全体の課題となるものである。そのため、委員会は条例の目的を実現するための政策についての提言をも行うものである。

 また条例が特に規定しているアファーマティブ・アクションに関して、委員会は神奈川における差別の実態を苦情申し立てや独自の調査を行うことにより知ることが可能となり、神奈川らしいアファーマティブ・アクションを具体的に提言していくことになる。

2 委員会の組織

(1) 性格

 地方自治法第138条の4に規定する附属機関とする。

 われわれのチームとしては、知事からの独立を保障される独立行政委員会として、この委員会を構成したいと考えたが、現行の地方自治法は自治体が法律の規定を待たずに独立行政委員会を設置することを予定していないとの説が通説となっているため、委員会は知事の附属機関とする。

 委員会は7名の委員からなる合議機関とする。

(2) 委員の構成

 差別は社会的に微妙な問題なので、委員会は様々な利害関係を有する人たちから構成されることが好ましい。

 われわれのチームとしては、例えば、労使双方からそれぞれ1名、女性から1名、在日外国人から1名、人権、労働そして教育の分野から専門家をそれぞれ1名ずつ、という案を考えている。

(3) 委員の任命・罷免

 委員の任命は知事が行うが、その任命には議会の同意を必要とするものとする。また、委員の罷免を行うにあたっても一定の欠格事由を設け、かつ議会の同意を得ることとし、委員の身分について、ある程度の独立性を付与するものとする。

(4) 委員の任期

 委員の任期は3年とし、再任を妨げないこととする。

3 委員会の権限

(1) 差別に関する苦情の受付

 1の概要にも書いたとおり、委員会の活動はまずどんな差別がこの神奈川の地にあるのかを知ることから始まる。厳密な差別の定義が困難である以上、委員会は広く差別と思われるものを取り上げ、その調査に当たることが求められる。

 この調査にあたり、委員会は必要と認められる範囲で当事者に対し、必要な資料の提出を求めることができるものとする。

 そして、この調査権の行使につき、当事者が正当な理由もなく協力を拒んだ時は、その事実関係を含めて当事者の氏名を公表できる。

(2) 当事者との調停

 (1) の調査の結果、差別があることが判明した場合、委員会はその当事者に対し、その状況を自主的に改善させるための調停を行う。

(3) 是正勧告の意見

 (2) の調停が不調に終わった時、委員会は知事に対し、その是正のための勧告を行うよう意見を述べなければならない。

 知事はこの意見を尊重し、当事者に対して勧告を行うものとする。

(4) 氏名公表の意見

 (3) の勧告後、3か月間、当事者の監視を行い、事態の改善が見られない時は委員会はその事実関係を含めて、当事者の氏名の公表を行うよう知事に対し意見を述べなければならない。なお、氏名公表についての意見を知事に述べるに当たり、委員会は当事者に対し弁明の機会を与えなければならない。氏名公表についての意見を受けた知事は、その意見を尊重して、氏名公表を行う。

(5) 職権による調査

 マスコミの報道などから差別の疑いがあると委員会が判断する時は、差別についての具体的な申立てがなくとも、委員会はその事実関係を調査することができ、差別の存在が判明したときは、(2) から(4) の手続きに従いその是正を行っていくことになる。

(6) 県の機関への是正勧告

 条例の趣旨を受け、県の機関は積極的に差別の撤廃に取り組むことになるが、なお、差別が存在し、その撤廃に向けて、県の努力が足りないと思われるときは、委員会は知事に対しその是正勧告を行い、知事は速やかに是正のための措置を取るものとする。

(7) 差別についての調査・報告

 委員会は、神奈川県における差別の状況について、5年毎に調査を行い、その結果を知事及び議会に対して報告する。

(8) 政策提言

 (1) 差別に関する苦情の受付や(6) の調査によって知りえた神奈川県における差別の状況に基づいて、委員会は差別の撤廃や実質的な機会の均等のために県が行うべき政策についての提言を行う。

 また、条例第6条に規定する計画やガイドラインを作成し、それらに基づいて県内の事業者に対して適切な指導助言を行う。

4 平等オンブズマン(仮称)の設置

 差別は社会的に非常に微妙な問題を含んでいるので、差別についてのコンセンサスを得るためには様々な利害を有する人たちから意見を聞く必要があると考えられるので、委員会の設置を提言した。

 しかし、委員の人選などの困難な問題も予想されるので、人権問題などに造詣の深い学識者などから構成される独任制、あるいは2~3人の小人数からなる平等オンブズマン(仮称)の設置も検討されるべきであろう。平等オンブズマンの権限としては、委員会のそれと全く同じものを考えている。

 委員会が知事の附属機関である以上、条例設置が予定されるので、その条例案を以下に掲げる。

かながわ平等委員会設置条例(案)

第1章 総則

(設置)

第1条 かながわ平等推進条例の目的を達成するために、かながわ平等委員会(以下、「委員会」とする。)を設置する。

(組織)

第2条 委員会は7人の委員をもって組織する。

(任命)

第3条 委員は、国籍を問わず、高潔な人格を有し、かつ国際人権の分野において能力を認められた人の中から、議会の同意を得て、知事が委嘱する。

(任期)

第4条 委員の任期は3年とする。ただし再任を妨げない。

(罷免)

第5条 知事は、委員が心身の故障のため職務の遂行に堪えないと認める場合又は職務上の義務違反その他委員たるに適しない非行があると認める場合においては議会の同意を得て、これを解嘱することができる。

(服務)

第6条 委員は職務上知ることができた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も、また、同様とする。

(会長)

第7条 委員会に会長を置き、委員の互選によりこれを定める。

2 会長は会務を総理し、委員会を代表する。

(会議)

第8条 委員会の会議は会長が招集し、その議長となる。

2 委員会の会議は委員の過半数が出席しなければこれを開くことができない。3 会議の議事は、出席委員の過半数で決し、可否同数のときは議長の決するところによる。

第2章 委員会の職務権限

(是正勧告)

第9条 委員会は、差別の事実の主張に対して、その事実関係を調査し、差別の事実があると認めるときは、当事者に対してその是正のための調停を行う。 2 委員会は、前項の調停が不調に終わったときは、その是正のための勧告について、知事に対し意見を述べなければならない。

3 知事は、前項の意見を聞き、是正勧告を行うものとする。

(氏名公表)

10条 前条の是正勧告が行われた場合、委員会は事態の経過を監視し、勧告後3を経過しても事態の改善が見られないときは、知事に対して、その事実関係を含めて当事者の氏名の公表についての意見を述べなければならない。なお、氏名公表について知事に意見を述べるに当たり、委員会は当事者に弁明の機会を与えなければならない。

2 知事は、前項の意見を聞き、氏名公表を行うものとする。

(準用)

11条 前2条の規定は、差別の事実の主張がない場合でも、その事実があると委員会が認める場合には準用される。

(調査権)

12条 委員会は差別の事実を調査するのに必要な範囲で当事者に対し資料の提出を求めることができる。

2 当事者が正当な理由なく資料の提出を拒んだときは、委員会は、その事実関係を含めて当事者の氏名をを公表することができる。

(県の機関への是正勧告)

13条 神奈川県の機関の作為・不作為によって差別の事実が発生したと委員会が認めるときは、知事に対しその是正を勧告することができる。

2 知事は、前項の勧告を尊重し、できるだけ速やかに是正のための措置を取るものとする。

(啓発)

14条 委員会は、差別の撤廃と実質的な機会の平等とに関する情報を、適切な手段で広く県民に提供する。

(調査・報告)

15条 委員会は、神奈川県における差別の状況について5年毎に調査を行い、その結果を知事及び議会に報告する。

(政策提言)

16条 委員会は前条の調査結果に基づき、差別の撤廃と実質的な機会の平等を達成するために必要な政策の提言を行う。

(計画策定)

17条 委員会は、かながわ平等推進条例第6条に規定する計画や平等に関するガイドラインを作成し、これらに基づき県内の事業者に対し適切な指導・助言を行う。

第3章 雑則

18条 この条例に定めるもののほか、委員会の運営その他委員会に関して必要な事項は、規則で定めることができる。


[提  言

 県は、かながわ平等推進条例の目的に則り、あらゆる差別の撤廃と機会の平等の達成のための事業を推進するため、かながわ平等推進財団(仮称)を設立すること。

1 実施事業

  かながわ平等推進財団の実施事業は、下記のとおりとする。

 ○調査研究

  ・機会平等、アファーマティブ・アクション・プログラムの調査、開発等

 ○援助

  ・企業のアファーマティブ・アクション・プログラムヘの援助※

  ・起業への援助※

  ・裁判支援※

 ○教育訓練

  ・男女職務分離是正のための職業訓練

  ・女性の管理能力、専門技術能力向上訓練

 ○啓発情報

  ・在日韓国・朝鮮人就職情報センター

 (※印は、基金対象事業)

2 アファーマティブ・アクション基金(仮称)の設置

 企業におけるアファーマティブ・アクション・プログラムヘの助成金の交付など女性、在日韓国・朝鮮人の実質的な機会平等を積極的に推進するための援助事業の実施にあたっては、広く行政・企業・一般県民からの資金を積み立てて、アファーマティブ・アクション基金を財団が設置し、その益金によって事業を推進することとする。

〔解説〕

 神奈川におけるあらゆる差別をなくし、実質的な機会の平等を達成するための政策実施機関として、われわれは、かながわ平等委員会の設置を提言した。ここでは、さらに、その平等委員会の機能を補完し、企業や県民個人による機会平等に向けての積極的な行動を促進、支援する機関として、かながわ平等推進財団の設立を提言するものである。

 平等達成行動計画の策定と、その行動計画を企業等が実施していくためのガイドラインの作成等、基本的な枠組み作りは平等委員会の任務であるが、平等の実現には、企業によるアファーマティブ・アクション・プログラムの実施等に対して、財政的援助も含めて多様な支援を図っていくことや、女性や在日外国人に対する先進的な能力開発プログラムを実施していくことが重要である。そこで、そのような積極的支援や先進的施策の実施については、財団が担っていくものとする。

1 財団の事業について

(1) 調査研究

 企業における差別撤廃と実質的な機会平等の達成にあたっては、かながわ平等推進条例に基づき、企業自身が自主的に努力するとともに、平等委員会が平等達成計画及び機会平等のためのプログラムやアファーマティブ・アクション・プログラムのガイドラインを作成して、指導援助していくことを予定してる。しかし、企業における機会平等、アファーマティブ・アクション・プログラムの内容は個々の企業の状況によってそれぞれ多様であり、また、プログラムの作成には詳細な調査分析と検討が必要であることから、財団では、企業からのプログラム作成についての相談に対応したり、適切なプログラムの作成を指導援助していくことができるように、機会平等やアファーマティブ・アクション・プログラムの調査やプログラム開発を行うものとする。

 また、女性や在日外国人の能力向上を図るための先進的な教育訓練プログラムの研究・開発にも取組んでいく。

(2) 援助

 これからの実質的機会平等の達成に向けての事業の推進にあたっては、従来の平等化政策だけではなく、企業におけるアファーマティブ・アクションの実施など、被差別グループに対する積極的施策の展開を図っていくことが必要である。したがって、財団では、委員会のガイドラインに従って女性や在日韓国・朝鮮人への採用、昇進、教育訓練等のアファーマティブ・アクション・プログラムを実施する企業や女性及び在日外国人による起業に対して、ノウハウの提供などの支援や助成金の交付などを行ない、奨励を図っていくことが必要であると思われる。

 また、具体的な差別事件の解決については前述のかながわ平等委員会で苦情処理を行うものであるが、現行の日本の法体系のもとでは、委員会による調停を経て、知事による勧告、氏名公表までしか行なうことができず、それでも事件が解決しない場合には、被害者が提訴するしか解決方法がない。提訴にあたっても、イギリスやオーストラリアでは、機会平等委員会等の苦情処理機関が裁判の原告となることができるのに対して、日本の場合は、委員会には原告適格は認められず、裁判に主体として係わる道は閉ざされている。しかし、委員会及び県の意見として差別是正の勧告を出した以上は、差別事件の違法性を確認するためにも、被害者に対して、なんらかの裁判支援を行える方策を考える必要がある。そこで、県が是正勧告を出した事件の裁判では、財団が雇う差別事件の専門弁護士を派遣するとともに、被害者への裁判費用を融資して、裁判を支援していくこととする。

(3) 教育訓練

 財団は、女性や在日外国人の能力向上のための先進的な教育訓練プログラムを開発し、そのプログラムを実施するものとする。

 特に、男女の昇進や賃金面での格差が男女の職務分離に起因するところが大きいことを考えると、男女の職務分離を解消するための教育訓練が望まれる。財団では、男女の職務分離の解消を図るために、いわゆる「男性の仕事」への女性の参入を促進する職業訓練や、女性の管理能力や専門技術能力を向上させる教育訓練を行なうこととする。

(4) 在日韓国・朝鮮人就職情報センター

  男女雇用機会均等法の施行後、女性の雇用における機会平等は、徐々に進みつつあり、特に、募集採用における機会平等はかなり改善が見られている。しかし、それに対して、在日韓国・朝鮮人に対する雇用差別はいまだ厳しく、何よりも、雇用の場への入り口である就職において、著しく機会が制限されている現状がある。在日韓国・朝鮮人の経済的自立を図り、実質的機会平等を実現するためには、就職差別の是正は不可欠の課題である。そこで、在日韓国・朝鮮人の就職機会の確保・拡大を促進するため、財団に、在日韓国・朝鮮人の採用実績や採用予定のある企業の情報を収集・提供し、採用企業の開拓を行う就職情報センターを設置するものとする。就職時の差別を予期して、在日韓国・朝鮮人の多くが止むなく同胞企業に就職している現状を考えると、就職情報の提供は重要であり、早急にその機能の整備が望まれるところである。すでに、大阪市には、在日韓国・朝鮮人向けの就職情報誌「コリア就職情報」を発行しているコリアファミリーサークルという団体があり、在日の採用実績のある企業名を情報誌に掲載し、実績をあげている。したがって、在日韓国・朝鮮人就職情報センターは財団に設置し、財団の全体の事業との連携を図りながら総合的に運営されることが望ましいが、財団の設立がすぐには困難な場合には、就職情報センターを単独で設置することも検討されるべきである。

2 アファーマティブ・アクション基金について

 財団が行なう企業や女性、在日外国人への援助事業は、企業や団体等から広く資金を集めて協力と理解を求める必要性があり、また、特定財源の確保の必要性や(特に裁判支援など)単年度会計では対応しにくい点を考慮すると、基金を積み立てることが望ましいと考えられる。

3 財団及び基金の財政規模について

 愛媛県では、今年度、女性の地位向上と社会参加の促進を図ることを目的とする基本財産1億円の「財団法人えひめ女性財団」が設立されており、また、東京都では、1992年度に、100億円の「東京都男女平等推進基金」が設置される予定である。

 これらの例から考えて、財団法人かながわ平等推進財団とアファーマティブ・アクション基金が有効に機能するためには、相当規模の財源を確保することが必要であると考えられる。

〔提言〕

 県と一定金額以上の契約を結ぶ企業に対して、機会均等の保障やアファーマティブ・アクション計画を提出等を内容とした機会平等協定を結ぶよう努力すること。また、企業の業種や地域特性を踏まえたガイドラインを設置し、当面の数値目標を示すこと。

〔解説〕

 この提言は、アメリカ合衆国のOFCCPを念頭においている。アメリカの平等政策で見てきたように、OFCCPモデルが機会平等を進めるうえで非常に有効なことは確かであり、提言の目標もそこにある。しかし、残念ながら、日本の風土のなかで、しかも自治法の制約を受けている自治体がすぐに行うには困難な問題が残る。そこで、提言では段階を踏んで、OFCCPモデルに至るために、当面、公害行政等で効果をあげた協定方式で労使、行政のコンセンサスづくりに努めるところまでを示すこととした。なお、OFCCPについては、第3章、アメリカの節をご覧いただきたい。

(1) OFCCPモデルに至るための問題点

 ①地方自治法の制約

  OFCCPモデルは、県の持つ購買力を政策資源化し、県から受注をする企業の差別行為を禁止し、機会平等達成のための積極的措置をとらせるものである。しかし、現行の自治法では、政策的な理由で経済的な有利性を放棄することは許されていないという解釈が一般的で、契約に際してこうした条件をつけられるかどうか疑問がある。一円入札事件のように闇雲に経済有利性を求めていいわけもないので、解釈の問題としては、人権を守るために購買力を政策資源化することの正当性を主張することもできるが、ここでは、当面、コンセンサスづくりを優先させるために、この問題には踏み込んでいない。

 ②企業の抵抗感の大きさ。

  日本の企業はこれまで女性差別や民族差別を、特段重大な人権問題として受け止めなくても済んできた時期が長かった。このため、差別の累積として例えば女性管理職が異常に少ないなど、平等達成の水準が非常に低い。同様に、組合をはじめ働く側の意識も早急には改善されにくい。こうした事情から、平等達成計画の提出に抵抗感が大きい。

 ③一自治体が行う困難性

  神奈川県だけが行うとすると、全国に展開している大規模企業の場合、神奈川の支店だけ特別な人事管理を強いられる感が強い。また、神奈川の財政規模だけでは、一定金額以上の契約とすると、基準を, いくらするかで異なるが、土木・建築業界等に偏る恐れもある。必要に応じて、業種ごとに一定の金額を決めたりするなどしていく必要があるかもしれない。

(2) 協定締結までの準備

 ①調査の実施

  業種、地域の人口特性、事業所の規模等に基づいた綿密な平等達成状況の調査を行う。この調査の結果は、業種別の女性や外国籍県民の人材活用モデルの開発やガイドラインの設置に役立てる。

 ②ガイドラインの設

  例えば、間接差別の禁止を協定に盛り込む場合、何を間接差別とするかという基準や業種や事業所の規模による5年後の目標値(例えば女性管理職30%)のようなものを含むガイドラインを策定する。ガイドラインは数年ごとに見直すことを前提に、労使、行政、学識経験者、女性、外国籍県民などの意見を踏まえて策定する。いきなり、正当な人権水準の回復を求めても難しいので、現状の綿密な調査をもとに、そこから必ず改善されるような目標を設定することが必要だろう。比較的進んでいる部分は平等達成まで10年、まったく遅れているところは平等達成まで30年などの期間を分けて、各年ごとの目標を割り返してもいいかもしれない。大切なことは、こうしたガイドラインづくりの議論を通して、企業を含めた県民のコンセンサスをつくっていくことである。

(3) 将来の方向

  協定の内容は、調査やガイドラインに基づいて作られるが、協定に基づいて提出される企業の機会平等計画は、企業の実態に合わせて個別につくられるべきものである。問題は協定方式では、達成度の報告を受けたときに、努力の跡が見られないようなケースが出ても、粘り強い交渉以外に手がないことである。将来は、条例で契約の中に平等計画を盛り込むことを義務づけ、かながわ平等委員会等にその監視機関として必要な権限を付与することを考え ていく必要があろう。そのためには、県の契約を取るためには差別企業であってはならず、これまでの差別の累積を取り除いていく努力が求められるのだということが常識化していくことが必要で、県として姿勢を明確にしていくことが大切であると考えられる。

〔提言〕

 県は、かながわ県平等推進条例の目的にのっとり、在日韓国・朝鮮人生徒に対する就職差別の撤廃と、雇用における機会均等を促進するために、仮称「神奈川県在日韓国・朝鮮人生徒進路保障協議会」を設立すること。

1 構成

 県教育委員会は、県下の高校の進路指導担当教員と県教育委員会の関係者による「神奈川県在日韓国・朝鮮人生徒進路保障協議会」を構成する。

2 役割

(1)教員の情報交換、経験交流の場の保障

 在日韓国・朝鮮人生徒の進路保障については教員の個人的な努力により、徐々に採用企業の拡大が試みられてきたが、こうした教員の個人的な努力には限界があり、教育関係者の組織的な取り組みへと発展させるために、まず採用実績のある企業の情報交換と教員の経験交流の場を確保する。

(2)資料づくり

 既に在日韓国・朝鮮人を本名または通称名で採用している企業を調査、把握し、進路指導の資料づくりを行う。また、別掲の「かながわ平等推進財団」と連絡を密にして情報収集を行い、進路指導担当教員に資料提供を行う。

(3)啓発

 企業から求人の要請を受けた学校は、在日韓国・朝鮮人生徒の求職と合致する場合は応募を勧め、企業に対して就職差別をしないよう、応募の段階から理解を求め、採用企業の拡大を図る。

(4)報告

 国籍を理由に応募を拒否したり、就職差別が明らかになった時は、その事実を別掲「かながわ平等委員会」に報告する。

〔解説〕

1 設立の理由

(1)神奈川県が1984に実施した県内在住外国人実態調査によると「在日韓国・朝鮮人の自営業者の比率が明らかに高く(自営業対被雇用者、県内一般1対8.5、調査対象者1対1.4)、自営業者のうち、個人経営が64%、有限会社などが22%を占めており、個人経営については85%が従業員2~4以下程度というような零細な状況になっています。このことは被雇用者の就業先についても同様であり、従業員500人以上規模のところで働く人々は、わずか8%にすぎません」と記されている。(「地域と国際化」P99 神奈川県渉外部)

 この数字は依然、就職差別が存在し、在日韓国・朝鮮人の青年が差別を回避するために同胞の経営する中小の企業に就職してゆく姿を想像させる。人は労働によって日々の糧を得るのであり、就職差別を受けることは、まず生活基盤の確立の契機そのものを奪われることにほかな

らず、当事者に与える苦痛、不安は深刻なものがあることを認識する必要がある。

(2)学校生活の中にあっては、在日外国人(主として韓国・朝鮮人)教育指針の制定により、民族的な自覚の形成、日本人生徒の理解の推進が図られてきているが、在日韓国・朝鮮人生徒にとって本名を名乗ることは本人の生き方の基本姿勢の問題である故、学園内、学生時代という限られた範囲にとどまるものではない。本名を名乗って生きることは卒業後に自ら直面するであろう就職差別や両親及び周囲の同胞が体験した様々な社会生活における差別を再び自分も体験し、立ち向かわざるをえないことを予見させる。卒業後に体験するであろう様々な差別に直接的に対峙する恐れが「通称名」の使用となって表れている(神奈川権教育委員会調査70%以上)。民族的な自覚の形成を促し、本名を名乗り、しかも卒業後の進路保障が取り組まれていなければ、差別的な社会の中に在日韓国・朝鮮人青年は一人で身をさらすだけなのである。進路保障の取り組みは、学校教育における在日韓国・朝鮮人の民族的な自己形成と、雇用における機会平等の保障の接点として極めて重要な位置にあるといえる。

(3)従来、在日韓国・朝鮮人生徒の進路保障については教員の個人的な努力に より、少しずつ採用企業の拡大が試みられてきたことは事実であるが、その半面、企業の就職差別の実態は明らかにされてこなかった。川崎市内の金融機関の就職差別撤廃闘争に関わったある教員は以下のように述懐している。

 「この事件で糾弾されるべきは、企業は勿論であるが、学校側、今の学校の進路指導のあり方こそ、点検されなければならないのではなかろうか。在日韓国・朝鮮人生徒を排除しようとすることは、企業、学校双方の暗黙の了解になっているのではないか。川崎市内の金融機関が学校の進路部に応募先の変更を求めてきたり、30つきあっている学校では初めからこんなことにはならないと豪語するのは(注、当社に長年生徒を送り込んでいる学校ならば、当社は在日韓国・朝鮮人を採用しないのは知っているはずだから、在日韓国・朝鮮人を応募させるはずがない、の意味)、学校側も納得するだろうと思っているからである。そのように差別に出会ったときの学校側の対応も、○○会社はやり方が下手だった、とか○○企業は正直すぎた、等という教師の意識を土台に差別を是認し、日本には差別がある、仕方がないんだというかたちで、結局は生徒にあきらめを迫っている。しかも自分自身は差別はいけないことだと思っているのであって、その差別に加担しているなどという認識は全くない。」

 16回民族差別と闘う連絡協議会全国交流兵庫集会報告資料集 P92

                     神奈川高教組 山本氏のレポトより

 こうした現実が一部にでもあるとするなら、学校特に進路担当は生徒の立場に立って現状を改善し、行政も企業への指導を強化しなければならない。企業への啓発だけでは現状の打開は困難であり、雇用における機会平等を保障するために実効性のある具体策の推進が求めらている。

2 運営について

 構成については、県下の高校の進路指導担当教員と県教育委員会の関係者が中心になって組織されるが、在日韓国・朝鮮人生徒にとって、また、行政にとっての課題の重要性を考慮し、県労働部の関係者との連携を密にし、県下の市町村の教育関係者及び県下の私学にも参加を呼びかけることが望ましい。

 なお、かながわ平等推進条例の制定を待つまでもなく、この協議会の設置は早急に検討されるよう提案するものである。

3 参考(同和地区出身者の場合)

 労働省は「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」の下に「職業安定行政に係る地域改善対策特定事業推進要綱」を定め、各都道府県知事に通知した。これが、昭和62年4月1日付職発188号「職業安定行政に係る地域改善対策特定事業等の推進について」という労働省職業安定局長通達であり、「同和関係住民の雇用の促進と職業の安定に特段の御配慮をお願いする」内容である。以下、関連する部分について紹介する。

(1)趣旨

 (前略)一方、同和関係住民に対する就職差別は依然として跡を絶たない状況にあり、またその就業状態は、臨時、日雇い等の割合が高く、全国平均的な数値と比較した場合、不安定な状態にあるといえる。・・・

(2)職業指導及び職業紹介

 ④新規中学校・高等学校卒業者に対する職業指導及び職業紹介、新たに中学校及び高校を卒業する者に対しては、近代的な産業への就職の促進に特に留意し、きめ細かい職業指導及び適切な職業紹介を推進するため、前記①から③に掲げるもの(①就職前の就職指導、②職業紹介、③就職後の職場適応指導)の他、学校との連携について十分配慮すること

)事業主に対する啓発、指導

 ④新規学校卒業者の採用、選考時における問題が依然として数多く提起されている現状に鑑み、新規中学校及高等学校卒業者並びに新規大学等卒業者に対する採用、選考に当たっては、従来と同様に適正な応募書類を使用し、身元調査を行わないこと等、本人の適性と能力による選考を行うよう十分指導するとともに、中高年齢層の雇用の促進を図る観点から、その職務を行うに必要な能力を有すると認められる場合、同和関係住民以外の者との均衡を著しく失しない限りにおいて、優先的に中高年齢層の同和関係住民の採用を配慮するよう事業主の理解と協力を求めること。

 ⑤この他、求人受理時における求人者指導及び差別事象を惹起した企業又は 就職差別を未然に防止するための行政指導に違反した企業に対する個別指導についても引き続き推進を図ること。

)雇用の安定のための総合的対策の推進

 ②同和関係住民の雇用対策についても、単に地域改善対策特定事業のみに依 存せず、関係地方公共団体等との連携の下に一般諸施策を活用し、当該地域における全体的な雇用機会の拡大を図るための総合対策を推進することにより、就労の場の確保と雇用の安定等が図られるよう努めるものとする。

 この職安局長通達の内容は、「同和関係住民」とあるところを在日韓国・朝鮮人と置き換えても十分理解できるものと思われる。「関係地方公共団体等との連携の下に一般諸施策を活用し、当該地域における全体的な雇用機会の拡大を図るための総合対策の推進」を提案しているわけであるから、県は、同和地区住民とともに、在日韓国・朝鮮人の雇用機会の拡大を図るべきであろう。

4 参考 外国人の国民健康保険加入状況

 神奈川県川崎市における国籍別の国民健康保険の加入状況から、在日韓国・朝鮮人の就労状況を検討してみる。

      

全市人口A

国保加入人口B

B/A%

住民基本台帳人口

外国人登録人口

合計人口

外登人口/合計%

1 162 031

16 653

1 178 684

1.41

331 481

9 578

341 059

2.81

28.53

57.52

28.94

198.77

国籍別内訳

    

全市人口A

国保加入人口B

B/A%

韓国・朝鮮

中国

ブラジル

フィリピン

アメリカ

9 562

2 515

1 178

897

472

7 060

779

461

353

169

73.83

30.97

39.13

39.13

15.81

 以上の表から理解できることは、韓国・朝鮮人の国保加入率の圧倒的な高さである。国保加入率が高いということは、裏返せば社会保険・厚生年金適用事業所に働く在日韓国・朝鮮人とその家族があまりにも少ないことを意味しており、神奈川県の実態調査結果の正確さと、その後の変化のなさを示している。この表からも<就職差別はまぎれもなく厳存している>といえよう。

(注)下線は筆者によるもの



[提言]

県は、原則としてすべての職員採用試験に外国人が応募できるよう制度を改善すること。

〔解説〕

1 国籍条項の根拠

 日本国籍を有しない者が公務員になりうるかについて、法律よる制限としては、外務公務員法7条が、外国人本人のほかその配偶者についても外務公務員への就任を禁止しているが、その他に一般的に公務就任を禁止する明文の規定は存在しない。しかし、人事院規則8-18第8条の「日本の国籍を有しない者は、採用試験を受けることができない」との規定で大部分の国家公務員については、外国人の公務就任権は認められていない。地方公務員についても、大阪府総務部長の照会に対する自治省公務員第一課長の回答(1973年5月28日付)、すなわち「地方公務員法の職のうち公権力の行使または地方自治体の意思の形成への参画にたずさわるものについては、日本の国籍を有しない者を任用することはできない」「地方公務員法の職のうち公権力の行使または地方自治体の意思の形成への参画にたずさわる職につくことが予想される職員の採用試験において、日本国籍を有しない者にも一般的に受験資格を認めることは適当でない」により、多くの自治体が人事委員会規則や試験要綱に国籍条項を設け外国人の公務就任を制限している。

 しかしながら、地方公務員法19条1項は、「競争試験は、人事委員会の定める受験の資格を有するすべての国民に対して平等の条件で公開されなければならない。(以下略)」と規定している。これは、憲法14条(法の下の平等)、地方公務員法13条(平等取扱いの原則)を受けて、公務就任の際の平等原則をっているものである。この平等就任権(国家公務員では、国家公務員法46条)が、外国人にそのまま及ばないとしても、憲法及び国際人権規約の精神により、合理的必要限度を超えた制限は許されないと考える。とくに地方公務員についていえば、「公権力の行使または地方自治体の意思の形成への参画」という基準を可能な限り狭く解釈し、法律上、行政上の具体的な支障を明示できない限り、国籍による制限を設けるべきではない。

2 地方自治体の現状

 全国の地方自治体の現状を見てみると、「公権力の行使または地方自治体の意思の形成への参画の基準が不明確であるため、採用試験に国籍条項を持つ職種は自治体によってまちまちである。そのため、大阪、兵庫の自治体を中心に一般事務職を含め国籍条項をはずし、外国人に門戸を解放するところも増えてきている。神奈川県でも、1988年度にそれまでの7職種に54職種を加えた61職種を外国籍の人に解放した。(ただし、一般事務職については、他の都道府県及び政令指定都市と同様国籍条項を残している。)また、東京都町田市のように  「日本国籍を有しない方が市職員として採用された場合には、下記の行政実例の範囲内で任用されますので予めご承知おき下さい」として前述の自治省公務員第一課長の回答の前半部をただし書きに付け、課長以上に登用しないことを明記したうえで国籍条項をはずした自治体もある。

3 各国の公務就任権

 ここで、参考までに欧米各国の公務就任権についてふれてみたい。ECでは、ロマ条約48条が域内での国籍による差別的取扱いを禁止しているが、それは公職に及ばないとされており、各国は国内法により公務就任権を自国民に限定しているのが通例である。例えば、フランスでは、官吏、軍人、司法官職について、公務員法等に明文の禁止規定がおかれているし、ドイツも原則として国籍を有することが任用の条件になっている。EC以外のアメリカ、オーストラリアなども国籍によって制限されている。(ただし、オーストラリアは地方公務員にはまったく国籍条項を設けていない。)しかしながらこれらの国々では、わが国でいう公務員のかなりの部分が契約による職員として存在し、外国人の就任制限はこれらの職員には及んでいない。さらに、アメリカ、イギリス、オーストラリアなどの国々は生地主義をとっているし、その他の国においても国籍の取得が我が国よりずっと容易であるので、日本のように2世・3世の世代で公務就任が制限されることはない。また、フランスでは、1960年前後より法改正や相互協定により、旧フランス国籍地住民の公務就任および教員・研究員について、あいついで制限が緩和されているし、アメリカでも「一般的な公の政策の形成・執行もしくは審査に直接関与し、代議政治の核心にふれる機能を遂行する職員」に外国人は就きえないとしながら、一般的な公職からの排除は平等権および適正手続きに違反するとして、州法や連邦人事委員会規則を違憲とする判例が近年登場するなど全体的に外国人の公務就任を広く認める方向である。(1)さらにスウェデンでは、国家公務員は原則的に自国籍の人間に限っているものの、慣習的には採用してるし、地方公務員には確たる制限をもっていない。イギリス、アイルランド、スペインなども一定の資格を有する外国人の公務就任権を認めている。(2)

4 国籍条項の撤廃

 地方公務員の場合について言えば、我が国においても外国人の公務就任権の制限は、その職業選択の自由や内外人平等の原則から合理的で必要最小限度にとどめるべきであろう。

 神奈川県のように外国人の多い自治体では、地方公務員の採用と「国籍条項」の問題は、在日外国人の働く権利と生存権の問題でもある。現に就職差別が存在する在日韓国・朝鮮人の問題を考えるとき、公的機関における就職状況を改善すれ、私企業に及ぼす影響は大きい。そういう意味でも県は積極的に外国人に対し門戸を解放していくべきであろう。同時に、そのことが、一般県民に国際意識を芽生えさせ、県政の大きな施策である「民際外交」を推進していくうえでの重要なステップになると思われる。1991年1月、日韓両国政府が交わした在日韓国人の法的地位・待遇改善の「覚書」で「地方公務員への採用については、国籍による合理的な差異を踏まえる」という日本政府の見解が認められたことにより、自治省は外国人の採用に厳しい姿勢をとるようになってはいるが、県は「地方自治の本旨」に基づき、独自に国籍条項を撤廃することによって、その先駆性を発揮すべきである。とくに、日本に生まれ日本に生活基盤を置く在日韓国・朝鮮人を中心にする定住外国人については、過去の日本の植民地支配の結果、日本に居住するにいたった人々の子孫であるというその歴史的経緯を考えると、一律に外国人として制限することは合理的ではない。さらに、最近では、国民というカテゴリを国籍だけで判断せず、生活の基盤が日本にある定住外国人を含めるという学説も有力である。定住外国人については、地方公務員への就任に関して日本国民と異なる制約基準をすべて廃止することが望ましいと考える。

〔注〕

(1) 浜川 清 「外国人の公務就任権」 ジュリスト『行政法の争点(新版)』142-143

(2) 中井清美 『定住外国人と公務就任権』 柘植書房 194-197

[その他参考文献]

(1) 青木宗也・室井 力編 別冊法学セミナ 基本法コンメンタ

    『地方公務員法』

(2) 大沼保昭・徐 龍達編 『在日韓国・朝鮮人と人権』 有斐閣

(3) 岡 義昭・水野精之編 『外国人が公務員になたっていいじゃないかという本』 径書房

(4) 神奈川県自治総合研究センタ 『神奈川の韓国・朝鮮人』 公人社

(5) 『座談会 定住外国人の人権と自治体』 季刊自治体学研究 NO44 1990年 <春>

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